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自然の摂理から生まれた学問である日本古学を「清風道人(せいふうどうじん)」が現代と未来に伝えていきます。
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#00393 2016.1.7
『本朝神仙記伝』の研究(11) -若狭八百姫-
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若狭八百姫(わかさのやおひめ)は、また八百比丘尼(やおびくに)とも白比丘尼とも云ふ。その姓氏及び父母を詳(つまび)らかにせず。若狭国小松原の人なり。小松原は小浜城の東の海辺に在り。
八百姫の父、ある日海に釣して魚を得たり。その貌(かたち)奇怪なりしを以て、棄てゝ食はず。八百姫、歳猶若かりしかば、拾ひてこれを食ひたりしとぞ。 然(しか)
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#00392 2016.1.1
『本朝神仙記伝』の研究(10) -水江浦島子-
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水江浦島子(みずのえのうらのしまこ)は、また筒川島子(つつがわのしまこ)とも云ふ。日下部首(くさかべのおびと)等の祖(おや)にして、丹後国與謝郡日置里筒川村の人なり。その容姿、秀美にして風流類無し。 雄略天皇の二十二年、島子独り小舟に乗り、海上に出て釣を垂る。一魚をだも得ず、即ち霊亀(あやしきかめ)を得たり。心に奇異の思ひを為し、舟中に留め
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#00391 2015.12.26
『本朝神仙記伝』の研究(9) -武内宿禰-
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武内宿禰は孝元天皇五世の孫なり。父は武緒心命(たけおこころのみこと)にして、母は紀伊国造(きいのくにのみやつこ)等が祖(おや)・菟道彦(うぢひこ)が女(むすめ)・山下の影姫なり。景行天皇の三年に生まる。
この御代の二十五年、宿禰、北陸及び東方の諸国を監察せられしこと、国史に見えたるを思ふに、その年二十三歳の時に当たり、かくてまたその御代
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#00390 2015.12.20
『本朝神仙記伝』の研究(8) -印南別嬢-
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印南別嬢(いなみのわけいらつめ)は、また播磨太郎姫(はりまおおいらひめ)とも称し、景行天皇の皇后にして日本武尊の御母に御座(おわし)ます。
印南別嬢、同天皇の五十三年五月四日、播磨国高宮にて薨(こう)ぜさせ給ふ。即ち墓を日岡(ひのおか)に作りてこれを葬り奉らむとし、その屍(かばね)を挙げて印南川を渡れる時、大嵐、川下より吹き来りて、その
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#00389 2015.12.14
『本朝神仙記伝』の研究(7) -日本武尊-
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日本武尊(やまとたけるのみこと)は一名(またのな)を小碓命(おうすのみこと)、また日本童男(やまとおぐな)と申す。景行天皇の皇子なり。母は皇后(おきさき)播磨稲日太郎姫(はりまいなひのおおいらひめ)なり。同天皇の十二年、大碓皇子(おおうすのみこ)と一日に同胞(おなじえな)にして双生(ふたご)に生まれ給ふ。天皇、異(あやし)みて碓の上に誥(たけ
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#00388 2015.12.8
『本朝神仙記伝』の研究(6) -倭姫命-
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倭姫命(やまとひめのみこと)は垂仁天皇の皇女(ひめみこ)なり。御母は丹波道主王(たにはのみちぬしのみこ)の女(むすめ)・日葉酸姫命(ひはすひめのみこと)なり。同天皇の二十五年三月、倭姫命を以て、豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に代りて天照大御神を斎(いつ)き奉らしめ給ふ。
これより前(さき)、天照大御神の神鏡(みかがみ)を始め奉り
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#00387 2015.12.2
『本朝神仙記伝』の研究(5) -賀茂別雷大神・玉依姫命-
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賀茂別雷大神(かものわけいかづちのおおかみ)は賀茂建角身命(かものたけつぬみのみこと)の孫にして、玉依姫命(たまよりひめのみこと)を母として生出(あれいで)給へり。始め建角身命は日向国の曾峰(そのみね)に天降り給ひ、神武天皇御東征の時、御前に立ちて大倭(やまと)の葛木の峰に宿り給ふ。 彼処(かしこ)より漸(ようや)く山背国(やましろのくに)
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#00386 2015.11.26
『本朝神仙記伝』の研究(4) -椎根津彦-
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椎根津彦(しいねつひこ)は、本(もと)の名を珍彦(うづひこ)と云ふ。神武天皇御東征の時、天皇自ら船師(ふないくさ)を率ひて筑紫の日向国を打ち立たせ給ひ、速吸(はやすい)の門(と)まで進ませ給へる時、亀甲(かめのせ)に乗りて釣を垂れつゝ、打羽(うちわ)と云へるものを挙げて寄り来る者あり。
天皇遥かに御覧(みそなわ)してこれを呼び寄せ、「汝
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