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自然の摂理から生まれた学問である日本古学を「清風道人(せいふうどうじん)」が現代と未来に伝えていきます。
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#00403 2016.3.7
『本朝神仙記伝』の研究(21) -願覚仙人-
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願覚は何人(なんびと)たることを詳らかにせず。大和国葛上郡(かつらぎかみのこおり)に高宮止寺(たかみとでら)と云ふ寺あり、この寺に円勢(えんせい)法師と云へる百済国の僧、我が国に渡り来りて住みけり。智識の勝れたる僧にてありたるとぞ。時に何処の者とも知らず、願覚と云へる僧、また来りてこの房に住みぬ。
然(しか)るにこの願覚、晨(つと)に出
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#00402 2016.3.1
『本朝神仙記伝』の研究(20) -菊女仙-
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菊女仙は何処(いずこ)の人と云ふことを知らず。またその姓氏を詳らかにせず。夏秋の間、里人、女仙を白山(はくさん)の水晶渓(すいしょうだに)の滝の下に見る。常に菊を採りて、その花と葉を食とし、火の入りたるものを絶てり。その容貌顔色、宛(さながら)処女(おとめ)の如し。人、「菊女(きくめ)」と称し、また「阿菊(おきく)」と呼べり。後、その神霊なる
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#00401 2016.2.24
『本朝神仙記伝』の研究(19) -養老仙人-
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養老仙人はその姓名を詳らかにせず。美濃国多藝郡(たげのこおり)の樵夫(しょうふ)にして、母に仕へて至孝なり。 元正天皇の霊亀三年、この樵夫の孝咸(こうかん)に因りて同郡多度山より醴泉(れいせん)出(いだ)せり。故に改元ありて、霊亀の年号を改めて養老とせらる。これを以てこの樵夫の孝名、普(あまね)く世に知られたり。然(しか)れども、この樵夫が
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#00400 2016.2.18
『本朝神仙記伝』の研究(18) -久米仙人-
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久米仙人は大和国上郡の人なり。始め深山に入りて神仙の道を求め、常に松葉を食とし、薛荔(かおりぐさ)を服しけるとぞ。 また、大伴(おおとも)仙人、安曇(あづみ)仙人等と、同国吉野郡なる龍門寺に籠りて、形を練り真(まこと)を修めけるに、他の二仙は早く道を得て飛行自在の身となり上昇しけるが、久米仙人は何かの障(さわ)りありけるにや、少し後れて、共
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#00399 2016.2.12
『本朝神仙記伝』の研究(17) -柿本人麿-
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柿本人麿は、姓は朝臣(あそみ)、その父母及び生国を詳らかにせず。石見国より大和国に上りたる事蹟あるより石見国の人なりと云ひ、また大和国の皇別(こうべつ)に柿本朝臣の姓あるより大和国の人なりと云ふ者あれども、確証無ければ孰(いず)れとも定むべからず。
人麿、天稟(てんぴん)よく歌を詠ず。持統天皇の時、石見国より大和国に上り、即ち敷島の道を
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#00398 2016.2.6
『本朝神仙記伝』の研究(16) -鈴鹿翁-
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鈴鹿翁(すずかのおきな)は何人(なんびと)たるを詳らかにせず。天武天皇を助け奉りしに因りて世に知らるゝことゝなりぬ。 抑々(そもそも)この翁の現はれしは、天智天皇、御位を御弟・大海人皇子(おおあまのみこ)即ち天武天皇に譲らせ給ひし時、天智天皇の皇子・大友皇子、大いにこれを憤り、大軍を起こして大海人皇子の坐します清見原宮に押し寄せ、厳しくこれ
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#00397 2016.1.31
『本朝神仙記伝』の研究(15) -駕龍仙人-
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駕龍(がりょう)仙人は何人(なんびと)たることを知らず。斉明天皇の元年五月庚午の一日、龍に駕(のり)て虚空(おおぞら)を飛行せり。故に称して駕龍仙人と云へり。
この仙人、その貌(かたち)唐人に似て、青き油帛(あぶらきぬ)の笠を着、大和国葛城山の峰より飛び出(いで)て、生駒山の方に馳せ行き、暫時(ざんじ)の間、同山に隠れて見えざりしが、同
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#00396 2016.1.25
『本朝神仙記伝』の研究(14) -漆部造麿が妻-
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漆部造麿(ぬりべのみやつこまろ)が妻は何氏なるを知らず。大和国宇多郡漆部里の人なり。 その性、廉潔にして清浄を好み、少しも穢れ無き好女なり。常に魚肉だに食せず、専ら菜蔬(さいそ)のみを食とせり。七人の子有れども、家貧にして衣服無きを以て、藤蔓(ふじづる)を用ひ、物を綴(つづ)りて身に纏(まと)ひたりと云ふ。
然(しか)れども日々沐浴を
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#00395 2016.1.19
『本朝神仙記伝』の研究(13) -宇度濱女仙・漁夫-
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宇度濱(うどはま)の女仙は何人(なんびと)たるを知らず。また何時の代と云ふことを詳(つまび)らかにせず。宇度濱に現れて、漁夫(あま)の妻となりしに依りて、世に知らるゝ事と成りたり。
今その大要を挙げむに、宇度濱は駿河国宇度郡に在り、即ち三保の松原とて世に知られたる名所のある所なり。この松原は西より東へ海中にさし出たること凡そ四十余丁にて
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#00394 2016.1.13
『本朝神仙記伝』の研究(12) -高麗山樵-
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高麗山樵(こまのきこり)は、相模国大磯に在る山下村の人なり。実は春嶽(はるだけ)山中に住む神仙の子にして、父を真珠男(またまお)と云ひ、母を白綿女(しらゆうめ)と云ふ。由(よし)ありて山下長者が祖(おや)たりし者に養はれて成長し、後再び山に入りて仙去せり。
今その大要を叙せむに、始め山下長者が祖たりし者、夫婦の間に子無きを歎き、相共に高
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