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以前の記事 : 2020年8月
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#00672 2020.8.29
水位先生と神通(3) -人間的努力を尽くす-
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吾々道士の間では「気線」といふ語を殆ど日用語の如く何の説明も定義づけの必要も認めずに便利重宝に使用してゐるが、これを純粋に玄学上の専門語として説明するとなると仲々やかましい事になる。 しかし吾々が日用語の如くに「気線」といふ語を勝手に駆使してゐる範囲は、例へば「気線が通じる」とか「通じない」とか、「気線が違ふ」とか「同じ」とかいった塩梅(あ
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カテゴリ:水位先生と神通 |
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#00671 2020.8.23
水位先生と神通(2) -顕幽不二の恩頼-
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現界生活中に最高神界たる神集岳に肉身を以て出入りされたのは、近代に於ては水位先生だけであったと諒解してよいであらうかといふ質問を私は屡々(しばしば)受けるのであるが、「必ずしもさうとは限らないと思ふ」とお答へするのを常としてゐる。 例へば明治九年七月七日の夜、吉野山の仙窟から肉身を挙げて昇天された山中照道(やまなかしょうどう)大霊寿真(たい
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#00669 2020.8.11
宮地神仙道要義(19) -霊胎凝結口伝(7)-
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天地の長久・日月の運転するも、その子細を推し究め見る時は別の事はなしこの無心より出るの外はあらず(天地はその無心を得て万物を生じ、日月もその無心を受けて六合(りくごう)に照徹し盡(つき)る事なく、万年以前の天地日月も今日の天地日月も異なる事なきは無心の神気によるのみ)。 只の無心(只の無心とは無感無用なる物をさして云ふ)と云ひてあなどり天理
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