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以前の記事 : 2016年12月
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#00452 2016.12.28
『本朝神仙記伝』の研究(70) -足柄山五仙人-
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足柄山の五仙人は、正覚院(しょうかくいん)と云ひ、満善坊と云ひ、十全院と云ひ、養徳医師と云ふ。今一人はその名を知らず。皆、足柄山に住む仙人なり。孰れもその元何人(なんびと)たりしかを詳らかにせず。唯、養徳医師のみは、江戸日本橋の辺(ほとり)に医業を為したる者なりと云ふ。固(もと)より山中の隠者にして、絶へて知る者無かりしが、猟師・水原文五郎な
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#00451 2016.12.22
『本朝神仙記伝』の研究(69) -雲水行者-
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雲水(うんすい)行者はその姓名を知らず、また何国の人と云ふことを明かさず。諸人その名を問へば、唯「雲水の行者なり」と答へたりとぞ。僧か俗か詳らかならず。髪は後ろに長く垂れたりと云ふ。
元文(げんぶん)年間より信州小諸領(こもろみね)の岩窟(いわや)の中に住みて、神妙の事ども多きにより、衆人信仰して、卜筮(うらない)咒術(まじない)等を頼
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#00450 2016.12.16
『本朝神仙記伝』の研究(68) -羽黒山千三仙人-
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羽黒山千三(せんざ)仙人は何氏なるを知らず。その名は千三郎、父は弥助、母の名、詳らかならず、陸奥国北上三本木(さんぼんぎ)の人なり。始め弥助、男子二人あり、兄を喜之助と呼び、弟を千三郎と称す。 家貧にして二人を養育すること能(あた)はず、千三郎を伯楽の家に遣はしけるに、ある日帰り来りて、「己は伯楽を業(わざ)として世を渡らむこと好ましからね
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#00449 2016.12.10
『本朝神仙記伝』の研究(67) -霧島山六女仙-
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霧島山女仙は何人(なんびと)たることを詳らかにせず、またその来歴を知る由(よし)無し。善五郎、一名・政右衛門と云へる者を幽界に招き、数十年間使用したること有りしを以て、初めて世に知らるゝに至れり。
今その梗概(あらまし)を挙げむに、まず政右衛門のことより云ふべし。政右衛門は薩摩国日置郡(ひおきごおり)市来郷(いちきごう)伊作田村久保園門
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#00448 2016.12.4
『本朝神仙記伝』の研究(66) -金獄新左衛門-
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金獄(かながだけ)の新左衛門は、その元、何国の者と云ふこと詳らかにせず。いつの頃よりか、甲斐国逸見筋(へんみすじ)なる金獄の深山に在りて変異を現はす。全体鬼形に化して、常にこの山岳を廻り、時に或は風雨雷電を起こし、その猛烈実に恐るべきものなりと云へり。逸見筋の農家、彼が怒りを恐れて新左衛門と云ふ名を付けたりとも云へり。 #023
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