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#00378 2015.10.8
『異境備忘録』の研究(63) -壮絶悲絶の大犠牲-
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「明治十一年五月二十五日、我が長男・清明と云ふ者四歳にて病死す。その夜、俄(にわ)かに我が子の何れの界に入りたるにやと大に気遣ひして、諸々の界に入りて尋ねけるに、何れの界にても見えざりければ、仏界に入りて尋ねるに、この界の入口の左の川原に松樹数多(あまた)生(おい)たり。そこに童子数十人、血の付きたる白き物を頭に戴きて遊び居たり。この童子の中に
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#00376 2015.9.26
『異境備忘録』の研究(61) -水位先生の引導文-
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宮地水位先生には約三千人の門人がいたことが伝えられており、徳島県小松島市の多田宗太郎氏もその一人でしたが、その入門のきっかけとなったのは、多田氏が肺壊疽という難病に罹り、医者から余命いくばくもないことを宣告され、巷の行者や祈祷師達に病気平癒の加持祈祷を依頼しても全く効果がなく、必死の想いで近くの中田皇大神宮に命乞いの祈念をしたところ、ある人を
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#00375 2015.9.19
『異境備忘録』の研究(60) -神仙道の心得-
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「神仙の道を成就せんと思はん者は、至誠を本(もと)とすべし。或(あるい)は嗜慾(しよく)にして人の物を羨み邪気を生ずる人は、神仙の書籍など好むと雖(いえど)も神仙の道成就し難し。 又、現界に於て空事(そらごと)など吐き、神仙の事ども物知り顔にて人を惑したれば、その人死にて後、魂の司命幽部の席に至れる時、現世の罪自ずから顕(あらわ)れて赤面をな
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#00374 2015.9.13
『異境備忘録』の研究(59) -運気の盛衰-
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「神仙より罰を受くるに至りては、二夜も必ず血の雨の降りて身にかゝる夢を見るなり。この時は第一に慢心を慎み、酒を一盞(いっさん、一杯)も飲むべからず。よく言語を少なくして我が身を清浄にし、怠惰の心起こらんとするを一命に替ても勤めて怠らず、神祇に謝罪を祈りて祭典を厚く行ふべし。 如此(かくのごとく)せざれば、酔に乗じて人に無礼をして容易ならざる失
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#00373 2015.9.7
『異境備忘録』の研究(58) -龍神-
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「諸国に数多(あまた)ある大穴へ入るには、婦人の常に持ちて使ひ馴れたる櫛に火を燈して行く時は、穴の内にものゝ住み居る時はその形を現するなり。又、その燈火の消滅せば這入らぬがよし。毒気に触るゝ事あり。その毒気は大蛇の気と地の毒気にて、大蛇の毒気は味噌を鼻の先に付けて入ればその息気忽(たちま)ち消滅す。又、地毒の気は紙を散らさばその落ちる事遅し。こ
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#00372 2015.9.1
『異境備忘録』の研究(57) -厠神を拝す-
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「病気の時に、先祖代々の霊の眼前に見(あらわ)れて泣く状(さま)の見ゆる時は、病気は平癒せずして必ず死す。我が体の平臥せる状の見ゆる時は、その身死したるなり。」『異境備忘録』
「親戚の人の病死せむとする時に、雪隠(せっちん)に入りて瞑目して、「ハニヂノ大神、生死ヲ告ゲ給ヘ」と唱ふる時、水色にて如此(かくのごとき)物眼前に幻に見ゆる時は、その
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#00371 2015.8.26
『異境備忘録』の研究(56) -正伝と偽伝-
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「神仙界にて詩歌等を作り詠ずる事あり。歌はその調(しらべ)高く紙に書するに仮名遣ひも宜しく音に明らかなり。然(さ)るを天狗界にては、歌その余の物に至るまでも書するには、篆字(てんじ)、草字、真仮名、平仮名、幽界文字をも交へて書する事あり。又、草字と平仮名とにて、今の世に人間の書くが如く書するも多くあれど、大に仮名遣ひの違ひたるが多し。 |
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#00370 2015.8.20
『異境備忘録』の研究(55) -南天神界-
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「明治九年十一月十九日夜、川丹先生に伴はれて南星中太上殿に至る。太上殿は鉄頭岳の上にあり。九階の宮、十三殿あり。その中に雲林殿と云ふあり。この殿より西方に当たりて南極蘭殿と云ふあり。この殿と雲林殿との間十里位ほどなり。この殿へ(以下四十五字略)これは神仙の極密にして人間界の人に口外を許さゞるなり。」『幽界記』
この一章は実に容易ならない記
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#00368 2015.8.8
『異境備忘録』の研究(53) -神法道術の限界-
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「先年、阿波国勝浦郡金磯新田村・多田氏の招迎によりて当家に滞泊の砌(みぎり)、同村某の子息十八、九歳なるが狂気を発して、種々様々の術を施せども全快せずとて、余(よ)に、「この狂気の鎮まりて平癒すべき祈祷を致し呉れよ」と云ふに、辞退すれども聞き入るゝ様もなくて、遂に招きに応じて、或る日の夕方にかの所に至りけるに、その夜は小松島と云へる所の神宮分教
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#00367 2015.8.2
『異境備忘録』の研究(52) -墓所の幽界-
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「墓所はその死者の魄霊の常に住む所にして、魂の幽霊となりて出現する時は、必ずその墓にて魄霊と合ひて人影を作るなり。墓所を畑として人糞など不浄物の穢れを掛くる時は、魄霊の魂に合する事難し。如何(いか)に恨みありともその念を達する事能(あた)はず。その不浄物を除き去りては人影を調(ととのえ)る事安ければ、憤りを達するなり。 又、霊魂の魄霊に合して
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#00366 2015.7.27
『異境備忘録』の研究(51) -諸国の霊山-
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「明治八年二月六日、大橋の上より杉山清定君に伴はれて不二山(ふじさん)の石室(いわむろ)に至る。石室は乾(いぬい)の方に向てあり(中腹より上なり)。こゝに入らんとせしに馬八匹ありて入るべからず。故にそれより山の北を廻り東南に越ゆ。こゝにうつぼ台と云ふ所あり。砂石金はだの如し。幅一間(約1.8m)或(あるい)は三尺(約90cm)又二間もあり。こゝに石人一人
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#00365 2015.7.21
『異境備忘録』の研究(50) -岩蔵の幽顕往来-
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「我が同村に岩蔵とて漁業を以て家業とする男あり、嘉永五年、大江戸にありて叡山の二本杉を信仰するよりして、三十六歳にて大山僧正に伴はれ万国を巡り、度々伴はれ見馴れぬ所を見し嬉しさに同僚の者に委細を語りて、俄(にわ)かに狂乱を発して江戸より追ひ下され、同村に帰りて後には狂気も治まりて、常人の如くなりたるに、その後も度々異境に入りし由(よし)聞こえけ
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#00363 2015.7.9
『異境備忘録』の研究(48) -生兵法は大怪我のもと-
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「天之真道風時吹男神(あめのまさみちかぜときふくおのかみ)、天之真道風聞姫神(あめのまさみちかぜききひめのかみ)、天之真道音於記命(あめのまさみちおとおきのみこと)と云へるは禍神の数多(あまた)ある中の三神の名なり。 天之真道風時吹男神は見る神通と云ふを掌る。天之真道風聞姫神は聞く神通を掌る。天之真道音於記命は言はせる神通と云ふを掌る。これは
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#00362 2015.7.3
『異境備忘録』の研究(47) -神仙の御加護-
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「途中にて異人に遭ひたる時に行き違ひて後を見れば、忽(たちま)ちその形を見失ふなり。その行き違ふ時に異人に目を付け乍(なが)ら、漸々(ようよう)に見れば、その形も見ゆるなり。瞬(まばた)きをなし、或(あるい)は俄(にわ)かに見る時は、その形見えざるなり。或は天狗の美女となり山伏となりたる等は、鏡に写す時はその正体の見(あら)はるゝなり。」『異境
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#00361 2015.06.27
『異境備忘録』の研究(46) -魔界-
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「悪魔界へは一度も入りたる事なし。されどもこの界の魔王どもは見たる事あり。第一を造物大女王と云ふ。面貌白く眉長くして黒く、唇は黄色にて身長一丈(約3m)ばかり、髪は二尺(約60cm)位立ち上りて、後に折曲して三方に散別して腰に至る。天地開闢の際、積陰の悪気(あしけ)凝結してこの女王となりしと云ふ。第二を無底海太陰女王と云ふ。面色赤く唇青黒く、髪赤黒くし
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#00360 2015.06.21
『異境備忘録』の研究(45) -西洋仙界-
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「西洋にも一つの幽界あり。北方より南方を向ひて入る。家は数千万凸凹として屋根は悉(ことごと)く平かなり。高さは十五丈(約45m)ばかりにして皆白色なり。家中には物を売買するの状(さま)見えて、種々の物品を陳列したり。その美なる事言語の尽くす所にあらず。 商家と思(おぼ)しき所を経て東に曲折して歩すれば大川あり。北より南に流れ、その水、色碧(みどり
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#00359 2015.06.14
『異境備忘録』の研究(44) -神集岳と仏仙界の関係-
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「神仙界と仏仙界とは大に差別あれども、神仙界へ通へるもありて、常には仲悪しき事のなきを、神仙界を脱して仏仙界に入り、仏界を脱して神仙界に入る者のある時、且つ現界の人死して十一月八日頃に神仙界に各々の霊魂上昇せんとする時、仏仙界の者前に廻りて、仏仙界を神仙界と偽り見せて誘ひ込みて、その霊魂に、「先祖代々の霊魂もこの界に止まり居る」とて、その死去せ
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#00357 2015.06.2
『異境備忘録』の研究(42) -神集岳と支那仙界の関係-
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「少名彦那大神の支那の神仙界へ奉迎せられ給ひし時、諸神の随行せられし中に川丹先生もその一人なれば、余(よ)も又川丹先生の随行となりて参りたる時、かの界にて諸真形図並びに符文数多(あまた)、神代の霊宝及び宝鏡十一面拝見し、その上に女仙の舞を四番拝したり。宝鏡十一面の中(うち)三面は天竺上代の物と云ふ。八面は元始天尊(げんしてんそん)の天神(あまつ
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#00356 2015.5.27
『異境備忘録』の研究(41) -支那仙界-
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「本(もと)は日本の産(うまれ)にて支那の仙界にある者は、役小角(えんのおづぬ)、橘広継(たちばなのひろつぐ)、常陸坊海尊(ひたちぼうかいそん)、聖徳太子、大津皇子(おおつのみこ)、菊丘文坡(きくおかぶんぱ)なり。然(しか)るに役小角と聖徳太子とは、その本は仏仙界にありしを支那仙界に遷りたりと云へり。」『異境備忘録』
『幽界物語』では、清
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#00355 2015.5.21
『異境備忘録』の研究(40) -山人の上遷-
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「地球上の中なる夜国に近き所に一つの天狗界あり。この界の名をフルジバルと云ふ。漢字に訳すれば自明界と云う事に当たるとぞ。如何(いか)なる故あるにや、この所は鶴鳥の最も多き所なり。この界にて祝歌を歌ふ音声を聴くに、西洋、支那、日本の語を交へて云ふ様に聴こえたり。」『異境備忘録』
「夜国」とあるのは地球内部の黄泉国のことで、現界と黄泉国の中間
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#00353 2015.5.9
『異境備忘録』の研究(38) -天狗界の養生法-
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「天狗にて肉体の者の養生と云ふは、徳利に八分目位水を入れて厳しく振る事数万にしてその水を出せば熱湯となる。それに田螺(たにし)の干物を入れ暫く置きて取り出し食ふなり。一度湯に入れてその肉を取り、干したる田螺は火を以て焼き、沸かしたる功なしとて水をそのまゝ湯にするなり。 又、熱湯を徳利に入れてその口を詰め、忽(たちま)ち淵に投じ、二時(ふたとき
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#00351 2015.4.27
『異境備忘録』の研究(36) -天狗の災い-
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「天狗の災を民家になさんとするには、大空より鳶(とび)の毛に血を付けて、竈所(かまど)の煙出しの穴へ落とし入れるなり。二日の内に火災起こるなり。かゝる類を高津鳥(たかつとり)の災と云へるなり。又、梟(ふくろう)の羽に蝦(えび)の殻を付けて落とす事あり。 かゝる災を除かんとするには、正月に用ゐたる橙(だいだい)を煙出しに釣り置く時は、諸鳥の毛、
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#00349 2015.4.15
『異境備忘録』の研究(34) -山人の霊徳-
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「天狗界にて雨を祈るは山人と云ひて、人間より入りたる天狗主掌の何坊、何僧正等云ふ類の祈る時は、高名なる淵の側に座して、「水柱」と唱へて手を一つ拍(う)ち、「龍柱」と唱へて一つ拍ち、次に印を結び、「高靇(たかおかみ)、闇靇(くらおかみ)、水靇、火靇ノ神、天水分(あめのみまくり)、国水分(くにのみくまり)、○○○、○○○、男龍、女龍、河伯、海伯、鳴
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#00348 2015.4.9
『異境備忘録』の研究(33) -天狗界の住人-
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「天狗主領の某僧正とて、山々を分け持ちたる山人の中に、某僧正の現世にありし時の名を云ふ事はさして云はれぬ事なるが、弓削(ゆげ)ノ内ン人(うちんど)、巨勢朝俊(こせのあさとし)、藤原朝臣高持、筑波小次郎源隆国(みなもとのたかくに)、久米判官友行、高田入道義明等云へる人の僧正号を唱へたり。また、孝元天皇三年に入りたる根室建彦、光仁天皇の宝亀八(777)
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#00347 2015.4.03
『異境備忘録』の研究(32) -山人界-
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「四国の南溟(なんめい、南方の大海)に妹背二別島(いもせふたわけじま)と云ふあり。この島は余程大なる島にて四面浪(なみ)荒く、船の容易に至り難き所なり。船にて行く時は、雲の如くにこの島を見るまでは行かるゝなり。去る明治元年一月九日なりき。杉山僧正(そうしょう)の我とは親しくする故に、「妹背二別島にて今夜山人等の会議あり。足下(そっか、貴殿)一人
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#00346 2015.3.28
『異境備忘録』の研究(31) -手箱仙境-
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「明治九年九月二十八日、海神・龍飛太上仙君に伴はれて○○○(手箱山麓大滝の西)に至る。この所八方に大山を列す。その中に舞曲台と云ふ四角の大石あり。その上は天仙の女の舞ふ所なり。この日、その天女の舞を見るに、台石の八方に神仙等列座して八丈笛・琴・鼓等を以て音楽す。天女二人その石上に風令と云ふ物を以て座す。 まず東方より「山高うして白雲掩(おお)
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#00345 2015.3.22
『異境備忘録』の研究(30) -海宮神界-
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高知市浦戸に位置して太平洋に臨む桂浜は月見の名所として知られていますが、この桂浜の入口に当たる上竜頭岬には一基の石の鳥居が立っており、「龍王宮」と刻まれた古い石額が懸かっています。それより弓形に延びた黒潮の寄せる海岸沿いを歩くと下竜頭岬に到着し、波浪しぶく石段を登ると、太平洋の怒涛砕ける断崖絶壁の上に北面して龍王宮の御本殿が鎮座しており、その
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#00344 2015.3.16
『異境備忘録』の研究(29) -海神-
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「出羽国秋田・男鹿島(おがしま)に神石窟と云ふあり。大なる穴あり。この穴に入る事十二間(約21.6m)ばかりにして平地あり。奥の深き事知り難し。左と思ふ方にも穴あり。この穴は暖気なり。 川丹先生の云ふ、「この穴は海神(わたつみのかみ)の住み給ふ所なり。その神体を汝等拝し奉らば恐るべし。人形(じんけい)とは大に異に見ゆるなり」と宣(のたま)へり。この
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#00343 2015.3.10
『異境備忘録』の研究(28) -神仙界の養生法-
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「明治八年二月二十日、玄丹先生に伴はれて日向の高千穂峰に登る。この時、三十四符を受く(天満宮の楼門より行く)。この山、八合より上、大熱大風し上るべからず。雄黄(いおう)臭ふ。匍蔔(はらばい)して上る。谿水(けいすい)雷の如し。御天上に登る。こゝに鉾あり。所謂(いわゆる)逆鉾(さかほこ)なり。この傍、赤色神忽(たちま)ち顕れ忽ち隠る。この辺りにて
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#00342 2015.3.4
『異境備忘録』の研究(27) -神仙界の宴-
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「神仙界に入りたる人に食物を送らんと思へば、その人の名を呼びて何所にても供へる時は、神仙界に居る人の眼前へその物忽(たちま)ち現ずるなり。それを食ふ真似をして腹張るなり。これは供物の正気(せいき)を食ふとも云ふ。 又、現世にて供へたる品は、調養司(ちょうようし)と云ふより、その供へたる品の替りとて寸分も違はぬ品を渡されて、真物を食ふ事あり。又
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#00341 2015.2.26
『異境備忘録』の研究(26) -神仙感応経-
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「羽前国の人にて竹内某とて、玄角大真人の伴になりて神仙界へ安政二(1855)年の頃より出入りする人あり。その人の根元は常に『太上感応篇(だじょうかんのうへん)』を誦読(しょうどく)して、行ひ正直にして父母に孝敬し、神仙を慕ひ願ひ、朝夕空に向ひて『大祓詞(おおはらえのことば)』と『太上感応篇』とを誦して、幽冥に坐(ま)す神仙等とて拝礼する事怠らず、遂に
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#00340 2015.2.20
『異境備忘録』の研究(25) -神仙と成った人々-
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「神集岳の官属の中にて、余(よ)が川丹先生に問ひて知りたる霊魂のみの神等は、記式官三百神の中にては、百済川成(くだらのかわなり)、舎人(とねり)親王、菅野真道(すがののまみち)、太朝臣安麿(おおのあそんやすまろ)、水戸西山、源順(みなもとのしたごう)、斎部広成(いんべのひろなり)、小野篁(おののたかむら)、大江匡房(おおえのまさふさ)、谷川士清
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#00339 2015.2.14
『異境備忘録』の研究(24) -勲功を立てる-
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「先年、土佐国種崎町と云ふ所へ、年頃二十歳ばかりの男、老母一人を連れ来りて商家に滞泊して、価を取らず薬を病者に与へて忽(たちま)ち功験を発し、或(あるい)は禁厭(まじない)を行ひて病者を癒しけるに、その事市中に名高くなりて、堅磐が耳にも入りてければ、日々我が家に出入りする男子・万屋楠馬(よろずやくすま)と云ふを使として、「水位寿真、現名・宮地堅
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#00338 2015.2.8
『異境備忘録』の研究(23) -神仙界の刑法所-
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「神仙界の刑法所は三ヶ所あり。一所は北に向ひ、菅原道真公、武内宿禰公の二霊この所を常に掌り給ふ。菅公は左冥司大之中津大兄官に坐(ま)して、武内宿禰公は右刑司中津大兄官なり。 一所は南に向ひて右の一所と川を隔て向き合ひたり。この所は大国主神及び少名彦那神の代命・事代主神掌り給へり。 一所は大なる杉林の中にあり。この所は大罪によりては霊魂をも
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#00336 2015.1.27
『異境備忘録』の研究(21) -幽界の羽団扇-
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「杉山僧正、大山僧正、火衣僧正等の飛行する時は、小鷹大鷹飛行の三印を結びて後、団扇を以て先を差し飛行するなり。」『異境備忘録』
「大山僧正、杉山僧正の大空より志したる山に下るには、雲霧にてその山も見えぬ時は空より九字を切り、次に指にて○、十、□を書き、「風神」と三唱して、十文字の中と思ふ所を口にて吹き、次に羽団扇(はうちわ)を左右に振りて両
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#00334 2015.1.14
『異境備忘録』の研究(19) -宇宙間飛行-
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「古鷲に乗りて杉山、大山二僧正の先に立ちて行く時、風なくして息の出来難き空に至る時は、鷲の翼の両脇より風吹き来るなり。これには術ある事にて、それはある年三月三日の朝、杉山僧正の古鏡を八面榊の枝に掛けて伊邪那岐尊、伊邪那美尊を祭りてありける時に、酒豆腐の饗応(きょうおう)にあひたる時、「明日は月界に伴ひ行くなり。その行く時の法は秘してありしが、人
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#00333 2015.1.8
『異境備忘録』の研究(18) -遊覧飛行-
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「明治八年九月七日、清浄利仙君に伴はれて天竺に至る時、空中より、崑崙山(こんろんざん)、恒山(こうざん)、嵩山(すうざん)等下に見て行くに大川は皆東流。」『幽界記』
崑崙山脈は中央アジア地域にある約3000kmに及ぶ大山脈で、恒山は現在の中国山西省、嵩山は河南省にありますので、上記の「大川」とは黄河を指しているものと思われます。
「川丹先生に伴
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#00332 2015.1.02
『異境備忘録』の研究(17) -水位先生の幽顕往来-
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「神仙に伴はれて行く時は、その志し行く所の界に至りて漸(ようや)くその界に来れる事を知りて、この地を離るゝとその界に至れるとの中間は知れざるものなり。これは神府の御掟にて、脱魂して伴はれ行く時は、その中途は知らざるものなり。 又、肉体にても天狗等に伴はれて初めて飛行する時も、その中途は多くは知らざるものにて、目を閉じさせて後、大なる鷲の年経た
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#00330 2014.12.21
『異境備忘録』の研究(15) -罪を憎んで人を憎まず-
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「明治八年四月一日夜、谷氏の邸を出つる時、吸江の橋上に御迎あり。神集岳の清定君の宮中に至る。大永宮の西にあり、西方より入る。穴より入るなり。その入口には番所の如き屋あり、その内に入れば山の内を通る穴にして、終(つい)に通り抜けると神集岳の大川見ゆるなり。玄丹先生曰く、「これより独行すべし」と。それより独行す。 行きて木のほぐほぐと生えたる所に
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#00329 2014.12.15
『異境備忘録』の研究(14) -肉転仙の幽助-
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「明治九年三月五日、川丹(せんたん)先生、清定君(せいじょうくん)の御使に来る。この時、余(よ)問ふに、「友人に仙道を請慕する者あり、神界へ伴ひ給ふ事は如何(いか)に候や」、答に、「神の許容又御召しの外(ほか)、この川丹等濫りに伴ひ参る事叶はず。今日神界を窺ふとも、明日又その界を見んと思へども許容なき時は見る事能(あた)はず。清浄利仙君、杉山清
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#00327 2014.12.3
『異境備忘録』の研究(12) -神仙界の御掟-
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「明治元年の頃、川丹先生に伴はれて空中を飛行するの砌(みぎ)り、雲霧の中を凌(しの)ぎ行きけるが、東南の方より螺貝(ほらがい)の音高く響き来るあり。川丹先生の云ふ、「饒速日命(にぎはやひのみこと)、五十猛命(いそたけるのみこと)の御通りなり」とて、拝しける間に螺貝の音近くなりしが、雲霧忽(たちま)ち晴れたるに金光のキラキラとして乾(いぬい、北西
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#00326 2014.11.27
『異境備忘録』の研究(11) -「運命」の正体-
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「小童君が神界にて司命の簿籙(ぼろく)を毎年十月九日より改定し給ふ時は、御頭に金色なる簫(笙)に似たる物を二つ合せたるが如き冠を召し、その中より孔雀の尾、三尾を出し給へり。左の御手に、長さ三尺ばかりの丸木に白玉三十二貫きたる緒の総(ふさ)の付きたるを持ち給ひて、霊鏡台に向ひて座し給へり。」『異境備忘録』
地上人類はもとよりのことですが、顕
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#00325 2014.11.21
『異境備忘録』の研究(10) -諸真形図-
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「明治十年一月二十九日黎明、小童君に伴はれて神集岳大永宮に至る。午十二時頃、要用万事済みて帰る時、川丹先生の室に入らせ給ふ。この時、諸々の真形図(しんぎょうず)を拝見す。その図各々左の如し。 風元山真形図。游岳真形図。天関界図。冠長山真形図。河岳八元図。元都玉京山紫蘭真形図。浮根人長山真形図。玉宝五元真形図。混沌七化真形図。集霊山真形図。八会
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#00324 2014.11.15
『異境備忘録』の研究(9) -長生不死の道-
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「明治八年二月十五日、召ありて筆山(ひつざん)より至る。玄丹先生に伴はれて行く。抑々(そもそも)この山は加久土命(かぐつちのみこと)、石長姫命(いわながひめのみこと)を祭る。又、加久土御室山と云ふ。火気甚(はなは)だくして草木生ぜず(阿波国五剣山の乾(いぬい、北西)の方にあり、一国の高山なり)。 この時山上に至れば、石上に小童君坐(ま)しませ
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#00323 2014.11.9
『異境備忘録』の研究(8) -青真小童君-
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「少名彦那大神は変化無比の神にして、伊邪那岐尊の代理として大司命左定官にして、常には髪は垂れて腰に至り、十二歳ばかりの御容貌にて、背に太刀を佩(は)き団扇を持ち、青色の衣を着給ひ、御腰の左右に幅六寸ばかり、長さ五尺ほどの平緒の黒白を六筋ずつ、左右に着け給ふ。」『異境備忘録』
『幽界物語』中で島田幸安が少名彦那神に拝謁した時のことを「お姿の
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#00322 2014.11.2
『異境備忘録』の研究(7) -宇内の大評定-
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「川丹先生に問ふ、「人の死して後、魂は何処に参り候や」、答、「魂に通りありて日界に至るもあり、罪により月界に至るあり、又、地球上の冥府に属するもあり。然(しか)れども千里の外に遊歴せし魂も、招呼する時は忽然と玉の飛ぶよりも早く来るなり。又、月界に属する魂は地球と両界の境に空気の漂ふ所あり、ここにて他の魂を待ち合せ、七、八つに至りて集合して一つに
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#00321 2014.10.27
『異境備忘録』の研究(6) -神集岳の形状-
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「明治八年二月二日、清浄利仙君の使者・玄丹先生に伴はれて神集岳(しんしゅうがく)に至る。大永宮(だいえいきゅう)並びに理上宮(又云、小璃宮(しょうりきゅう))に至り、仙令方に拝謁致し、帰る道にて小童君を拝す。これは空行の時なり。」『幽界記』
宮地水位先生が宇内の第一の大都・神集岳に入られた記録で最も古いものは『幽界記』に記されたこの条です
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#00320 2014.10.21
『異境備忘録』の研究(5) -玄丹大霊寿真人-
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「川丹(せんたん)先生は一名・玄丹(げんたん)大霊寿真人(たいれいじゅしんじん)と云ふ。本(もと)の産(うまれ)は朝鮮国と云ふ。神仙界にて尊き位に坐(ま)すなり。年齢は明治元年まで二千十六年になりぬと云ふ。容貌は三十四、五歳に見えたり。支那国の仙界中督吏官・許真君(きょしんくん)によく似たり。故に見まがふ事あり。」『異境備忘録』
高山寅吉
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#00319 2014.10.15
『異境備忘録』の研究(4) -幽界の大都-
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「幽界の大都は第一・紫微宮(しびきゅう)、第二・日界、第三・神集岳(しんしゅうがく)、第四・万霊神岳(ばんれいしんがく)なり。されども常に幽政を行ふ法式を定むる所は神集岳なり。」『異境備忘録』
「幽界は八通りに別れたれども、又その八通りより数百の界に別れたり。然(しか)れども宇内の幽府は第一に神集岳、第二に万霊神岳なり。」『異境備忘録』
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#00318 2014.10.8
『異境備忘録』の研究(3) -父子二代の神通-
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「父の神法を種々神々より授かりて、飛行の法をひそかに近き山に入りて修行し、海上歩行の法も行はんとしてその用意をしけるに、あまりに奇妙なる事を授かりし嬉しさに、神明に口止めせられし奇術を思はず信仰の諸士に語り、その御咎(とが)めによりて明治三年中風病を発して、神明より授かりし秘事は多く忘れたるに、折にふれては又人々に神明の授け給ひて秘しける事ども
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#00317 2014.10.2
『異境備忘録』の研究(2) -手箱山開山-
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宮地水位先生が神仙界やその他の諸幽界に出入りされたのは十歳の頃からで、厳父・常磐(ときわ)先生の御使として脱魂法により手箱仙境に来往される内に、大山祇神(おおやまづみのかみ)の御寵愛を受けられ、その御取り持ちによって少名彦那神に謁見されたことが端緒となっており、そのあたりの事情について『異境備忘録』より抄出したいと思います。 |
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#00316 2014.9.26
『異境備忘録』の研究(1) -概略-
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『異境備忘録』は土佐国・潮江天満宮の神官であった宮地水位先生によって著わされた幽真界の実相に関する記録ですが、文字通り備忘録で、先生が神仙界や諸多の幽境に出入りされた際の見聞の一端をメモ程度に記しておかれたものであり、記述が体系的でなく、首尾一貫性を欠き、内容も玉石混交であるのはそのためです。 しかしながら、その記述の多くには幽顕交通された
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