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以前の記事 : 2020年5月
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#00657 2020.5.31
宮地神仙道要義(7) -天狗界の実相・下-
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よき師を得て正しき神法道術を授かり、苦行密修して相応の得力を得たとしても、それだけで太鼓判を押して印可証明といふわけに参らぬのが幽冥の道で、慢心や偽装の念影のよき実例として、水位先生の厳父・常磐先生の門人に山尾寅吉と云へる人があり、幽冥の道を好み神明に通ずることをも得て土佐峒嶋(どうじま)神社の神官となってゐたが、その帰幽に際しては宮地先生父
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#00656 2020.5.25
宮地神仙道要義(6) -天狗界の実相・上-
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曩(さき)に、最高神仙界への脈絡を背景とする宮地神仙道の霊統上の記述に関連して、水位先生が、山人界の巨頭・杉山清定(せいじょう)先生、大山常照先生等と特に深き御接触を以て天狗界の消息に精通せられ、古来の求道者がともすれば陥り易き「親不足子不足」を明確に標識されたことは、斯道(しどう)のため千古の功績と謂ふべきであり、宮地神仙道の清新なる特徴で
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#00654 2020.5.13
宮地神仙道要義(4) -宮地神仙道の沿革及び霊統・下-
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「川丹(せんたん)先生は一名・玄丹(げんたん)大霊寿真人(たいれいじゅしんじん)と云ふ。本(もと)の産(うまれ)は朝鮮国と云ふ。神仙界にて尊き位に坐すなり。年齢は明治元年まで二千十六年になりぬと云ふ。容貌は三十四、五歳に見えたり。」(『異境備忘録』)
「川丹先生は、その根元は神界にて水位と同官同位なりしが、水位、冥官の掟を誤り神界を退けられ
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#00653 2020.5.7
宮地神仙道要義(3) -宮地神仙道の沿革及び霊統・中-
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「手箱山へは父の我が魂を神法を以て脱し、使に遣(やり)し事度々にして、遂に大山祇命の御執り持ちによりて少名彦那神に見(まみ)え奉る事を得て、遂に伴ひ給ひけるぞ諸々の幽界に入出する始めにぞありける。(中略) さて、父・常磐大人の神明に奉仕せし間の勤めの艱難(かんなん)苦行せられし事は、神官中普(あまね)く無きが如く我ながらも覚ゆるなり。これは我
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#00652 2020.5.1
宮地神仙道要義(2) -宮地神仙道の沿革及び霊統・上-
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「我が父・常磐(ときわ)大人(うし)、三十六歳までは武術を好みて、剣術・砲術・弓術には別けてその道に達し、何れの所にても先生と仰ぎ敬はれしに、父が砲術の師たりし田所氏、或る日父を招きて云ひけらく、「足下(そっか)、神主の家に生まれながら神明に仕ふる勤めを捨て、年来武術を好みその奥義を得んとして、砲術はその極に至ると雖(いえど)も、我が職務に暗き
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