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以前の記事 : 2016年8月
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#00432 2016.8.30
『本朝神仙記伝』の研究(50) -天野三郎兵衛康景-
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天野三郎兵衛康景(あまのさぶろうひょうえやすかげ)は、徳川家康公に仕へて功労有りし人なり。嘗(かつ)て家康公、三河国に在りし時、制法を定め、高力与左衛門清長(こうりきよざえもんきよなが)・本多作左衛門重次(ほんださくざえもんしげつぐ)・天野三郎兵衛康景の三人を以て三奉行とせり。
その頃、世人の諺に「仏高力、鬼作左、とちへんなしの天野三郎
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#00431 2016.8.24
『本朝神仙記伝』の研究(49) -原隼人佐-
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原隼人佐(はらはやとのすけ)は諱(いみな)を昌勝と云ふ。父は原加賀守(かがのかみ)、母は秋山伯耆守(ほうきのかみ)の妹なり。代々甲斐国に住みて、武田家譜代の従臣たり。
始め父・加賀守、伯耆守が妹を娶(めと)りしかど、久しく子を孕(はら)むこと無かりしに、ある時たゞならず煩ひ出しければ、医師を頼みて様々に治療すれども効験無し。 ある人、
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#00430 2016.8.18
『本朝神仙記伝』の研究(48) -白山仙人・加藤友春-
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白山(はくさん)の仙人は房星(そいぼし)の神なり。朝倉義景の従臣・加藤友春、白山に入りてこれに謁し、初めて世に知らる。
正親町(おおぎまち)天皇の永禄の末年、朝倉家大いに衰微し、士民悉(ことごと)く怨望せり。こゝに於て織田信長の兵、屡(しばしば)国境を侵して領内安からず。義景、日々にこれを憂ふ。 同天皇の元亀二年六月、義景その臣・加藤
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#00429 2016.8.12
『本朝神仙記伝』の研究(47) -白幽子-
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白幽子(はくゆうし)は、姓は源、氏は石川、その通称を知らず、また父母及び産国を詳らかにせず。山城国石川の奥なる巌窟(いわや)に棲むこと数百年、故(もと)の丈山(じょうざん)氏の師範たりし人なりと云ふ。 文禄年間、この里の老人、屡(しばしば)これを訪ねけるに、その容貌六十余歳程に見えしかど、尋ねし老人の父母祖父母等の歳若かりし時のことをも、目
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#00428 2016.8.6
『本朝神仙記伝』の研究(46) -大口山女仙-
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大口山(おおぐちやま)の女仙は何人(なんびと)たるかを詳らかにせず、また如何なる来歴あるかを知るに由(よし)無し。唯同地の壮士を仙境に伴ひしこと有りしに依りて、初めて世に知らるゝ事となれり。 今その大要を挙げむに、正親町(おおぎまち)天皇の天正年間、同地は鹿児島藩主・島津家の領分にして、他藩との国境なり。これを以て当時の藩主、諸臣の中より人
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