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#00650 2020.4.19
悠久不死の玄道(4) -上士は一決して一切了る-
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「日月の界には入り難し。されど近くより見たりし事あり。川丹先生に伴はれて日界に近付くに、暖冷の所を幾重ともなく過ぎ行くほどに、火気身を焼くが如き所あり。こゝを過ぎる事暫しにして日界を下に見るなり。それより下るに四、五月頃の気ある所あり。又、そこを過ぎれば日界は黄色に見えて、三ヶ所噴火山と見ゆる所あり。その傍(そば)に黒色なる三ヶ所あり。その四方
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#00649 2020.4.13
悠久不死の玄道(3) -霊魂の行方-
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仏家で人の死後四十九日間を中陰と呼び、五十日目を満中陰とて忌明けとしてゐるのは、流石に葬式商の専門店だけあって霊的事実に符節を合してゐる。されば如何にボンクラ氏の往生と雖(いえど)も、せめて死後五十日間は遺族としてもよく服喪の趣旨を体し軽率なる言動無きよう万事慎密を期さねばならない。死者の居室などもその間なるべくは生前のまゝとして、机上には清
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#00648 2020.4.7
悠久不死の玄道(2) -生死の神秘-
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こゝにその生死の神秘に就て、本誌第十一号に掲載した『異境備忘録補遺』の中からその一部分を抄出してみたいと思ふ。
人生に於ける生と死は何と云っても生涯の一大事で、出生は生涯の起点となり、死は所謂(いわゆる)生涯の終焉とされてゐる。私達明治の人間は、民法学の勉強では「私権ノ享有ハ出生ニ始ル」と暗記させられたものだが、私権どころか一個の生命体
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