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以前の記事 : 2016年5月
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#00417 2016.5.31
『本朝神仙記伝』の研究(35) -残夢-
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残夢(ざんむ)は自ら日白(にっぱく)と呼び、また秋風道人(しゅうふうどうじん)と称せり。僧にあらず、俗にあらず、素より何人(なんびと)たることを詳らかにせず。或は云ふ、常陸坊海尊(ひたちぼうかいそん)ならむと。風顛(ふうてん)の狂漢にして自ら一休を友とし善くして、その禅要を得たりと云へり。 また時々人と語るに、元暦(げんりゃく)・文治の頃の
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#00416 2016.5.25
『本朝神仙記伝』の研究(34) -津軽女仙-
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津軽女仙は筑前国遠賀郡(おんがこおり)庄ノ浦の産(うまれ)なり。その父母詳らかならず、またその姓名を知らず。数百年の後、同国芦屋の商人何某が津軽に行きて、図らずもこの女仙に遇ひしに依りて、初めて世に知らるゝことゝなりたり。
今その大要を挙げむに、筑前国遠賀郡の浦人どもの中にて、伊万里の瀬戸物を船に積みて諸国を廻り、商売を為す者あり。天明
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#00415 2016.5.19
『本朝神仙記伝』の研究(33) -平景清・平盛嗣-
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平景清(たいらのかげきよ)、平盛嗣(たいらのもりつぐ)は、共に平家の名将なり。然(しか)るに平家没落の後、この二人共に種々の異説を伝へて、その終る所定かならざりしが、こゝに正親町(おおぎまち)天皇の天正十二年、北畠信雄(のぶかつ)、羽柴秀吉と合戦に及びし時、佐々内蔵助成政(ささくらのすけなりまさ)は北畠信雄に与(くみ)し、同年十一月の下旬、大
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#00414 2016.5.13
『本朝神仙記伝』の研究(32) -平維盛-
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平維盛(たいらのこれもり)は内大臣・平重盛公の嫡男なり。平家没落の砌(みぎり)、紀伊国那智の滝に於て入水したりと世に伝へしかども、その実、入水にあらず。紀州の山中に隠れ、遂に仙境に入りたり。
そのことの世に顕はれたるは、後奈良天皇の弘治年中、和泉国堺に薬種を商ふ長次と云へる者あり、久しく病を患ひて、紀伊国の十津川郷の温泉に湯治に行けり。
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