|
以前の記事 : 2017年7月
|
|
#00486 2017.7.26
扶桑皇典(16) -産土神及び氏神・上-
|
産土神とは、尾張の盧入姫(いおきのいりひめ)の誕生地の神社を宇夫須那(うぶすな)社といへるが如く(『尾張国風土記』)、その人の生まれたる地の神にて、即ち鎮守神を申せり。 然れば、産土神は、その地勢・方角に従ひて、その霊も異なる故に、産物にも異なる物あり、人物にも容貌・言語・心志・気性などの同じからぬもあり。
出雲国島根郡神埼の窟中(く
|
|
カテゴリ:扶桑皇典 |
続きを読む>>
|
|
|
|
|
|
#00485 2017.7.20
扶桑皇典(15) -諸神-
●
|
諸神たちは、御壮容、万古不変におはしまして、御身には光明を湛へて坐すなるべし。神の御上を申さんは、畏(かしこ)しとも畏けれど、天照大御神の御光明は、天地の間を照らし給へりと申し、月読尊、素戔嗚尊の御光明も、天照大御神に次て坐せりと申し、味鉏高日子根神(あじすきたかひこねのかみ)の御光明は、二丘二谷の間に映じたりと申し、大国主神の和魂(にぎみた
|
|
カテゴリ:扶桑皇典 |
続きを読む>>
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
#00482 2017.7.1
扶桑皇典(12) -幽政の神廷・中-
●
|
さて、神は人に対しては、かく種々の事も為(せ)らるれども、人は神に対しては、祈願と卜占(ぼくせん)とのみなれば、全く神の御事は知る事能(あた)はず。然れども、人も皇産霊神の霊徳に依り、産土神の神慮に依りて生まれ来(きた)る者なれば、上下尊卑の品こそあらめ、人もまた神なり。唯、その顕界に属せる肉身に舍(やど)れる為に、幽界を見る事能はざるなり。
|
|
カテゴリ:扶桑皇典 |
続きを読む>>
|
|
|
|
|
|