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以前の記事 : 2016年11月
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#00447 2016.11.28
『本朝神仙記伝』の研究(65) -荏草孫右衛門-
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荏草孫右衛門(えぐさのまごえもん)は、甲西逸見筋(こうせいへみじ)・荏草村の山中に居る異人なり。霊元天皇の延宝の頃までは、村人、山に入れば何処(いずこ)よりともなく来(きた)りて、樵夫(きこり)と等しく、斧を持ちて伐木(ばつぼく)の助力を為せり。その名を孫右衛門と云ふ。
後、人に語りて云ひけらく、「我は元上州の生まれの者なり。壮年にして
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#00446 2016.11.22
『本朝神仙記伝』の研究(64) -京都仙翁-
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京都の仙翁はこれまた何人(なんびと)たるを知らず、同地大仏の辺(ほとり)に住める老人にてありきと云ふ。
始め柳川三省(やながわさんせい)、この老人と折々往来して心安く交はりしかど、異なる人とも思はざりしに、ある時老人、三省に向ひて、「某(それがし)も殊の外(ほか)老年に及びたれば、この世に久しく存在(ながらう)べしとも覚えず、然(しか)
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#00445 2016.11.16
『本朝神仙記伝』の研究(63) -山中山三郎-
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山中山三郎は字(あざな)を丑之助、土佐国土佐郡高知城下の東北に住まひせし人なりと云ふ。寛文、延宝の頃のことゝか、山三郎、常に静閑を好みて紛擾(ふんじょう)を喜ばず、暇ある時は昼夜の分かち無く一室の内に閉じ籠りて、ある時は静座を為し、ある時は安臥(あんが)を為し、何か修行を怠らざる者の如くなれども、敢てその由(よし)を語らざれば、その所為の何た
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#00444 2016.11.10
『本朝神仙記伝』の研究(62) -信濃女仙-
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信濃の女仙は、その姓名を詳らかにせず、同国飯田領の人なり。この女仙の仙境に入りたることは、江戸市ヶ谷・自證院に住める西応房(さいおうぼう)と云へる道心坊に依りて世に知られたり。
然(しか)るは、この道心坊は尾張国中島郡一宮の生まれにて、少年の頃より狩りを好み、飛騨国に行きて狩人と成り、信州は勿論、美濃、加賀、越前、越中等までも、山続きに
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#00443 2016.11.4
『本朝神仙記伝』の研究(61) -義斎-
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義斎(ぎさい)はその姓氏を知らず。医を生業(なりわい)とする老翁なり。後桜町(ごさくらまち)天皇の明和・安永の頃、摂津国豊島郡麻田(てしまごおりあさだ)と云へる所に住みたり。 元加賀国の産まれにして、久しく京都に在りて医術を学び、一所不住にして只管(ひたすら)遍歴したりしが、終に老年に及びて何某侯より棒禄を賜り、麻田に移りて住みけるとぞ。
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