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以前の記事 : 2016年2月
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#00401 2016.2.24
『本朝神仙記伝』の研究(19) -養老仙人-
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養老仙人はその姓名を詳らかにせず。美濃国多藝郡(たげのこおり)の樵夫(しょうふ)にして、母に仕へて至孝なり。 元正天皇の霊亀三年、この樵夫の孝咸(こうかん)に因りて同郡多度山より醴泉(れいせん)出(いだ)せり。故に改元ありて、霊亀の年号を改めて養老とせらる。これを以てこの樵夫の孝名、普(あまね)く世に知られたり。然(しか)れども、この樵夫が
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#00400 2016.2.18
『本朝神仙記伝』の研究(18) -久米仙人-
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久米仙人は大和国上郡の人なり。始め深山に入りて神仙の道を求め、常に松葉を食とし、薛荔(かおりぐさ)を服しけるとぞ。 また、大伴(おおとも)仙人、安曇(あづみ)仙人等と、同国吉野郡なる龍門寺に籠りて、形を練り真(まこと)を修めけるに、他の二仙は早く道を得て飛行自在の身となり上昇しけるが、久米仙人は何かの障(さわ)りありけるにや、少し後れて、共
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#00399 2016.2.12
『本朝神仙記伝』の研究(17) -柿本人麿-
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柿本人麿は、姓は朝臣(あそみ)、その父母及び生国を詳らかにせず。石見国より大和国に上りたる事蹟あるより石見国の人なりと云ひ、また大和国の皇別(こうべつ)に柿本朝臣の姓あるより大和国の人なりと云ふ者あれども、確証無ければ孰(いず)れとも定むべからず。
人麿、天稟(てんぴん)よく歌を詠ず。持統天皇の時、石見国より大和国に上り、即ち敷島の道を
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#00398 2016.2.6
『本朝神仙記伝』の研究(16) -鈴鹿翁-
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鈴鹿翁(すずかのおきな)は何人(なんびと)たるを詳らかにせず。天武天皇を助け奉りしに因りて世に知らるゝことゝなりぬ。 抑々(そもそも)この翁の現はれしは、天智天皇、御位を御弟・大海人皇子(おおあまのみこ)即ち天武天皇に譲らせ給ひし時、天智天皇の皇子・大友皇子、大いにこれを憤り、大軍を起こして大海人皇子の坐します清見原宮に押し寄せ、厳しくこれ
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