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#00413 2016.5.7 |
『本朝神仙記伝』の研究(31) -松木春彦-
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松木春彦(まつきのはるひこ)は、姓は渡会(わたらい)、松木はその氏、俗に白太夫(しらだゆう)と称す。伊勢国渡会郡山田の人にして、代々豊受大神宮の神官たり。 #0075【伊勢外宮に鎮まります豊宇気大神】>> 父は同宮の大内人(おおうちんど)渡会高主(わたらいのたかぬし)なり。高主、尾上の地に住む。故に尾上の大内人と云ふ。
始め高主、子無きを歎き、丹誠を凝らして嗣子(しし)を得んことを神祇に祈る。その妻、懐妊して双子を産みたり。高主大いに歓びてこれを養ひけるに、翌年も双子を得、またその翌年も双子を得て、三年にして六子を得たり。春彦はその末に双生せる一人にして、同胞の兄を秋並(あきなみ)と云ふ。生まれし年は定かならねど、月は十一月十八日にてありけるとぞ。 春彦成長の後、その兄・冬雄の跡を継ぎ、久しく豊受大神宮の権禰宜(ごんねぎ)たりしが、若き頃より頭髪皆白かりければ、人々「白太夫」とぞ呼びける。
春彦屡(しばしば)京都に上りて、菅公の若くおはしましける頃より深く御知遇を蒙りければ、菅公左遷に遭はせ給ひし時も、京都よりは朝廷を憚(はばか)りて、誰も訪(とぶら)ひ参らす人無かりしかど、春彦のみは七十に余れる齢(よわい)ながら、遥々(はるばる)筑紫まで送り参らせ、甚(いと)まめやかに仕へ奉りけるとぞ。後に天満宮の御末社に白太夫社と称へて、必ず春彦を祭るはかゝる謂(いわ)れのあるに因れり。
かくて延喜三年二月、菅公筑紫にて薨去(こうきょ)させ給ひし後、その常に佩(は)かせ給へる御剣並びに御鏡を持ちて、菅公の御長子・菅原高視朝臣の坐す土佐国に行きて、その御剣・御鏡を授け参らせしを、高視朝臣それを御霊代(みたましろ)として斎(いつ)き奉られしが、今の土佐国土佐郡潮江村に鎮まり坐す天満宮にて、その御神体は御剣におはし、銘に「朱鳥二年八月日神息」と見えたるは、即ち春彦の捧げ来れるものなりとぞ云ひ伝へける。
春彦はその後伊勢に帰れるにや、延喜十八年に至りて禰宜に任ぜられ、神主となりしかば、これより尾上長官とぞ称せられける。その在職の間、勤労功績少なからず、今の豊受大神宮の神事作法は概ね春彦の立つる所に由ると云へり。 かくてその後職を晨晴(あきはる)に譲り、天慶九年正月七日に世を去りけるとぞ。然れども、その墳墓の所在詳らかならず。伊勢山田の船江町に金剛寺と云へる寺あり、この寺内に御袖石(おそでいし)と称する石あり。伝へて春彦菅公左遷の時、播州袖ヶ浦にて菅公より賜りし石にて、年々にその形を変じ、今は大石となれるが、この石のある所の即ち墳墓ならんかと云へり。
春彦の霊祠は岩淵町字松木に在りて、松木神社と称す。元豊受宮の末社たりしが、明治六年、神宮の管轄を離れて地方庁の所轄となり、無格社の列に入りたるとぞ。またその霊祠の造り替へは、二十年に一度行はるゝ。豊受宮の式年御遷宮の時、その台材の払ひ下げを乞ひ、子孫に於てこれを営むを例(ためし)とせり。 その創立の年月等は詳らかならず。渡会智彦長官の時、社殿を改造し、区域を広めて目今(もっこん)の状(さま)を為すに至り。例祭は六月二十日、十一月二十日の両度にして、六月二十日は禰宜任命の日、また十一月二十日は辞職の日にして、祭るに卒日(そつじつ)を以てせざるは、蓋(けだ)しそれ故有るべしと云へり。
春彦幽冥に通じ、神異を顕はしたること少なからず。中にも仁和年間のことゝか、天神の真詰(みつげ)を蒙りて山宮祭と云ふことを始め、これを行ひて子孫の繁栄を祈る。その後、例(ためし)として毎年十一月に禰宜これを修せり。 神秘の行事ありとて斎戒沐浴して、二十五歳未満の者と七十歳を超えたる者とは参列せず。但し参列せざる者と雖(いえど)も、私邸に於て必ず斎戒を為すとぞ。建武年中までは前山の辺(ほとり)に於てこれを行ひしが、その後豊受宮の宮域内、釜が谷の霊地を撰びて祭場をこれに遷し、明治四年神宮御改正までは修業し来れりとなり。 但しその祭場には、楉棚(しもとだな)を両方に造り、一は南に向け、二は北に向けて造り、南に向かひたる方は一の禰宜祭主となり、北に向かひたる方は二の禰宜祭主となり、神饌を供へ、幣(みてぐら)及び幡(はた)等を立て、祝詞を奏してこれを祭る。 その作法最も厳重にして至誠を尽くし、事終りて退く時にも、必ず後を見ること無くして帰るを法とす。仮令(たとえ)物を遺失し来ることありても立ち戻り行くことを許さず、それは神明の来降しておはしますが故なりと云ふ。かくて家に帰りても、またかの祭場に参列せざりし二十五歳未満の者、並びに七十歳を超えたる者も、共に打ち集ひて祝宴を開きしとぞ。
然るにある年、禰宜・檜垣某、紙入れを遺失し来れるに依り、従僕を取りに遣はしたるに、老翁・仙女・仙童の如き者打ち集ひて酒宴を行ひてありけるが、「汝、この状(さま)を人に告ぐることなかれ。もし過ちて口外せば、命を失ふべし」とのことなりしかば、この従僕決めて人に語らでありしに、老後に及びて江戸に住みけるが、ある夕人々と怪談を為すに当たり、興に乗じて計らずも山宮祭場神異の状を物語りしに、忽ち煩悶(はんもん)して「我は思はず神の戒めを破りてこの神異を語りたり。如何(いか)がはせむ」と叫びつゝ、遂に血を吐きて絶命しかば、人々相伝へて恐れ慄(おのの)きけるとぞ。
かくの如くにして、春彦が天神の真詰に依りて始めたる祭には、後世に至るまでもかゝる神異のことあるのみならず、その寿命は定かならねど凡そ百二十余歳を保ち、天慶九年正月に卒したる如くに伝へたるも、その墳墓の地詳らかならず。 また祭日の如きも卒日を以てせずして、任命の日と辞職の日とを以てしたるが如き、畢竟(ひっきょう)春彦は仙去したる者にて、その終りの詳らかならざるが故なるべし。 #0168【神仙の存在について(6) -仙去の玄法-】>>
厳夫云、本伝は、渡会春彦の苗裔(はつこ)たる松木時彦氏が、『松木家譜』を始め家の伝説その他諸書にせるもの、及び口碑に伝ふる所等をも筆記し寄せられたるを本(もと)とし、尚諸書をも参考してこゝに載せたり。(中略) かくて『天満宮御伝記』に見えたる、小野道風朝臣等も幽冥にては菅公に従ひ奉りてありと聞こゆる如く、春彦も仙去の後は菅公に仕へ奉りて居るなるべし。故に世間にても自然にその事実が顕はれて、天満宮の神域には必ず末社に白太夫社ありて春彦の祭らるゝものなるべし。 #0410【『本朝神仙記伝』の研究(28) -菅公-】>>
(清風道人云、松木春彦大人は宮地水位先生の『異境備忘録』中で、家屋に垂れた天線を見てその家運の盛衰を知ることが出来た霊異の人物として、武内宿禰公、源義経公、平良門公、弘法大師空海、安倍晴明大人と共に、その御名が見えます。 #0374【『異境備忘録』の研究(59) -運気の盛衰-】>> また、諸々の幽界に交通されてその実相を明らかにされ、宇宙深秘の霊宝類を現界にもたらすことに成功された宮地水位先生が、菅公が常に佩かせ給える御剣を御神体とする潮江天満宮に生を享けられたのも、奇霊(くしび)なる神縁の為せる御業(みわざ)というべきでしょう。 #0316【『異境備忘録』の研究(1) -概略-】>> #0338【『異境備忘録』の研究(23) -神仙界の刑法所-】>> ) |
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カテゴリ:『本朝神仙記伝』の研究 |
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▼関連記事一覧 |
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#00410 2016.4.18
『本朝神仙記伝』の研究(28) -菅公-
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菅公は太政大臣・菅原道真公なり。公は御小名を阿呼(あこ)と称し奉る。参議従三位・菅原是善(これよし)卿の御子にして、御母は大伴氏なり。仁明天皇の承和十二年六月二十五日、御誕生在らせらる。 幼少の御時より御家の学問は云ふに及ばず、文字書くことを好ませ給ひ、広く和漢の書を読み給ひ、一を聞いて十を悟り給ふ御才おはしまして、歌を詠み詩文章を作り給ふ
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#00374 2015.9.13
『異境備忘録』の研究(59) -運気の盛衰-
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「神仙より罰を受くるに至りては、二夜も必ず血の雨の降りて身にかゝる夢を見るなり。この時は第一に慢心を慎み、酒を一盞(いっさん、一杯)も飲むべからず。よく言語を少なくして我が身を清浄にし、怠惰の心起こらんとするを一命に替ても勤めて怠らず、神祇に謝罪を祈りて祭典を厚く行ふべし。 如此(かくのごとく)せざれば、酔に乗じて人に無礼をして容易ならざる失
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#00338 2015.2.8
『異境備忘録』の研究(23) -神仙界の刑法所-
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「神仙界の刑法所は三ヶ所あり。一所は北に向ひ、菅原道真公、武内宿禰公の二霊この所を常に掌り給ふ。菅公は左冥司大之中津大兄官に坐(ま)して、武内宿禰公は右刑司中津大兄官なり。 一所は南に向ひて右の一所と川を隔て向き合ひたり。この所は大国主神及び少名彦那神の代命・事代主神掌り給へり。 一所は大なる杉林の中にあり。この所は大罪によりては霊魂をも
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#00316 2014.9.26
『異境備忘録』の研究(1) -概略-
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『異境備忘録』は土佐国・潮江天満宮の神官であった宮地水位先生によって著わされた幽真界の実相に関する記録ですが、文字通り備忘録で、先生が神仙界や諸多の幽境に出入りされた際の見聞の一端をメモ程度に記しておかれたものであり、記述が体系的でなく、首尾一貫性を欠き、内容も玉石混交であるのはそのためです。 しかしながら、その記述の多くには幽顕交通された
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