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自然の摂理から生まれた学問である日本古学を「清風道人(せいふうどうじん)」が現代と未来に伝えていきます。
日本古学から学ぶ「自然の摂理」と「日本古来の精神」が次の豊かで健やかな世界を創るヒントとなることを願って。
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#00433 2016.9.5
『本朝神仙記伝』の研究(51) -一路居士・道観・善輔-
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一路居士(いちろこじ)はその姓氏を詳らかにせず。和泉国堺に住める隠士にして、僧・一休と同時の人なり。ある日一休、一路に問ひて、「万法皆道あり。如何にぞこれ一路とは云ふぞ」と云ひければ、一路これに答へて、「万事皆休すべし。如何にぞこれ一休とは云ふぞ」と云ひけるとぞ。
一路、嘗(かつ)て隠(いん)を或る山に卜(ぼく)し、世を終るまで詩歌に遊
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#00432 2016.8.30
『本朝神仙記伝』の研究(50) -天野三郎兵衛康景-
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天野三郎兵衛康景(あまのさぶろうひょうえやすかげ)は、徳川家康公に仕へて功労有りし人なり。嘗(かつ)て家康公、三河国に在りし時、制法を定め、高力与左衛門清長(こうりきよざえもんきよなが)・本多作左衛門重次(ほんださくざえもんしげつぐ)・天野三郎兵衛康景の三人を以て三奉行とせり。
その頃、世人の諺に「仏高力、鬼作左、とちへんなしの天野三郎
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#00431 2016.8.24
『本朝神仙記伝』の研究(49) -原隼人佐-
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原隼人佐(はらはやとのすけ)は諱(いみな)を昌勝と云ふ。父は原加賀守(かがのかみ)、母は秋山伯耆守(ほうきのかみ)の妹なり。代々甲斐国に住みて、武田家譜代の従臣たり。
始め父・加賀守、伯耆守が妹を娶(めと)りしかど、久しく子を孕(はら)むこと無かりしに、ある時たゞならず煩ひ出しければ、医師を頼みて様々に治療すれども効験無し。 ある人、
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#00430 2016.8.18
『本朝神仙記伝』の研究(48) -白山仙人・加藤友春-
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白山(はくさん)の仙人は房星(そいぼし)の神なり。朝倉義景の従臣・加藤友春、白山に入りてこれに謁し、初めて世に知らる。
正親町(おおぎまち)天皇の永禄の末年、朝倉家大いに衰微し、士民悉(ことごと)く怨望せり。こゝに於て織田信長の兵、屡(しばしば)国境を侵して領内安からず。義景、日々にこれを憂ふ。 同天皇の元亀二年六月、義景その臣・加藤
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#00429 2016.8.12
『本朝神仙記伝』の研究(47) -白幽子-
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白幽子(はくゆうし)は、姓は源、氏は石川、その通称を知らず、また父母及び産国を詳らかにせず。山城国石川の奥なる巌窟(いわや)に棲むこと数百年、故(もと)の丈山(じょうざん)氏の師範たりし人なりと云ふ。 文禄年間、この里の老人、屡(しばしば)これを訪ねけるに、その容貌六十余歳程に見えしかど、尋ねし老人の父母祖父母等の歳若かりし時のことをも、目
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#00428 2016.8.6
『本朝神仙記伝』の研究(46) -大口山女仙-
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大口山(おおぐちやま)の女仙は何人(なんびと)たるかを詳らかにせず、また如何なる来歴あるかを知るに由(よし)無し。唯同地の壮士を仙境に伴ひしこと有りしに依りて、初めて世に知らるゝ事となれり。 今その大要を挙げむに、正親町(おおぎまち)天皇の天正年間、同地は鹿児島藩主・島津家の領分にして、他藩との国境なり。これを以て当時の藩主、諸臣の中より人
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#00427 2016.7.31
『本朝神仙記伝』の研究(45) -岩田刀自-
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岩田刀自(いわたとじ)はその父母を知らず、また生国を詳らかにせず。安房国(あわのくに)の里見義広に見(まみ)えて奇異を現はし、初めて世に知らる。 当時義広、武勇を以て国を治め、威(いきおい)漸(ようや)く盛ならむとす。その頃、同国朝夷郡(あさひなのこおり)より、一人の老翁を連れて城中に来れり。その歳を問へば、「我が歳数百年に及ぶと雖(いえど
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#00426 2016.7.24
『本朝神仙記伝』の研究(44) -長谷川式部大夫-
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長谷川式部大夫(はせがわしきぶのたいふ)は、周防国の領主・大内義隆に仕へて旧功ありし者なり。大内家傾かむとするを見て、式部屡(しばしば)諫言(かんげん)したれども用ひられず、却て科(とが)に遭はんとしければ、力及ばずして密かに本国を立ち去り、所縁(ゆかり)あるに因みて、肥後国飽田郡に妻子を引き具して移りぬ。 式部元来簡素隠逸を好みて、再び世
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#00425 2016.7.18
『本朝神仙記伝』の研究(43) -長清道士-
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長清(ちょうせい)道士はその本名を詳らかにせず。相州北条家の家臣なりと云ふ。 道士の父もまた名有る勇士なりしが、関中擾乱(じょうらん)の時、賊兵・何某の為に殺されしに、道士力足らずして速やかにその仇を復すること能(あた)はずを憤り、遂に上野国なる金洞山に隠れ、人跡絶へたる巌窟(いわや)を住処(すみか)となし、黄精を服し木の実を食ひ、日々刻苦
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#00424 2016.7.12
『本朝神仙記伝』の研究(42) -十津川異人-
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十津川(とつがわ)の異人はその姓名を知らず。かの地の樵夫(きこり)等、木を伐らむとて山深く分け入りつゝ日を送る程に、ある日羅刹(らせつ)の如きもの遥かに来りけり。樵夫等これを見て、怪しみ恐れざるは無し。その中に心ざま雄々しき壮(おのこ)三人、斧を取りつゝ前に立ちて、寄らば撃たむと睨み居たり。
その時異人手を挙げて声を発し、「怪しむべから
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