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自然の摂理から生まれた学問である日本古学を「清風道人(せいふうどうじん)」が現代と未来に伝えていきます。
日本古学から学ぶ「自然の摂理」と「日本古来の精神」が次の豊かで健やかな世界を創るヒントとなることを願って。
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#00503 2017.11.7
扶桑皇典(33) -亡霊・下-
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亡霊は神の如くにて、顕界の人と異なれば、亡霊に追はるゝ時は、隠るゝ事を得ず。 慶長年中、京に成田治左衛門といふ人ありて、夫婦の間も睦じかりしを、妻病みて死なんとする程に、夫の手を取りて、涙ながらに言ふやう、「形は煙と為らばなれ、魂魄(たましい)は永く御身の傍を離れん」といひて、終に空しく為りしに、死後、数日を経てより毎夜、治左衛門の枕頭に来
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#00502 2017.11.1
扶桑皇典(32) -亡霊・上-
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死後の神魂(たましい)は全く神の如くなれば、人智を以ては知られざる奇異なる動作もありて、一例をいへば、他の体を借りて自己の物とし、或は生ける人を数百里外に誘(いざな)ひ、或は瞬間に水陸を隔てたる夫の許に赴き、或は人にも祟り、人をも殺す事あり。
その、他の体を借りしは、越後の新潟に長尾何某(なにがし)といふ医者ありしが、この人、若年の頃、
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#00499 2017.10.14
扶桑皇典(29) -死-
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死とは、人身に舍(やど)れる神魂(たましい)の離れ去るをいふ。更にいへば、人身の、神魂を失ふをいふ。この死は、識者にも惑へるがあれば、凡俗は何の知る所も無くてあれど、何人(なんびと)も逃るゝ事を得ねば、その消息は極めたる大事にして、予(かね)て心得おくべき第一の要事なり。
越後国魚路(うおじ)の南方に猿峠といふ地ありて、そこに才三郎とい
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