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自然の摂理から生まれた学問である日本古学を「清風道人(せいふうどうじん)」が現代と未来に伝えていきます。
日本古学から学ぶ「自然の摂理」と「日本古来の精神」が次の豊かで健やかな世界を創るヒントとなることを願って。
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#00492 2017.9.1
扶桑皇典(22) -卜占-
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卜占(うらない)は、また宇良登比(うらとい)ともいふ。神の心を問ふ義にて、自己の心に思ひ定め難き事のある時に、神に問ひてその教へを請ふ事なり。 然れば、その事を擬(なぞら)ふには、大小軽重に関らず、予(かね)て定め置きたる事物に現るゝ兆(きざし)を見て、神慮なりとして、その吉凶を決する事なれば、本邦に限らず、世界万国にて行ふ事にて、その作法
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#00491 2017.8.26
扶桑皇典(21) -神憑-
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神憑(かみがかり)は、本邦にては古来、常に聞こゆる事なるが、これもまた神国の一異事にて、外国には多く聞こえず。本邦にては、神代にも既に聞こえて、天細女命(あめのうずめのみこと)は磐屋戸の御前にて神憑したりといへり。 #0080【神楽の起源】>> また、この神憑の、祝部(はふりべ)にあるは然る事なるを、然らぬ人にも憑り給ふ事あり
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#00489 2017.8.14
扶桑皇典(19) -神の恵・下-
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一条天皇の御時、赤染衛門(あかぞめえもん)といふ女房は、子の挙周(たかちか)といふが重く患ひけるを嘆きて、住吉明神に参籠して、「この母の身に代へて、子の命を助けさせ給へ」とて、祈願を凝らして御幣(みてぐら)を奉りける時、御幣の串に一首の歌を書き付けて、「代はらんと命は惜しからでさても別れん事ぞ悲しき」と詠みて奉りし程に、神も納受や為させ給ひに
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#00488 2017.8.8
扶桑皇典(18) -神の恵・上-
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神たちの、世を守り、人を恵み給ふは、言ふも更なる事なれど、隠岐国知夫(ちぶ)郡に坐す神は、商人などの船の、闇夜に海上に漂へるがある時は、必ず遠く火光(かこう)を現し、海上を照らして方角を示し給ふ事ありて、世にその神を「焼火(たくひ)権現」と称へ申せりといふ(『諸国里人談』)。 桓武天皇の延暦十八年の遣外国使の船も、帰路、海上に迷ひたりしを、
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#00486 2017.7.26
扶桑皇典(16) -産土神及び氏神・上-
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産土神とは、尾張の盧入姫(いおきのいりひめ)の誕生地の神社を宇夫須那(うぶすな)社といへるが如く(『尾張国風土記』)、その人の生まれたる地の神にて、即ち鎮守神を申せり。 然れば、産土神は、その地勢・方角に従ひて、その霊も異なる故に、産物にも異なる物あり、人物にも容貌・言語・心志・気性などの同じからぬもあり。
出雲国島根郡神埼の窟中(く
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#00485 2017.7.20
扶桑皇典(15) -諸神-
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諸神たちは、御壮容、万古不変におはしまして、御身には光明を湛へて坐すなるべし。神の御上を申さんは、畏(かしこ)しとも畏けれど、天照大御神の御光明は、天地の間を照らし給へりと申し、月読尊、素戔嗚尊の御光明も、天照大御神に次て坐せりと申し、味鉏高日子根神(あじすきたかひこねのかみ)の御光明は、二丘二谷の間に映じたりと申し、大国主神の和魂(にぎみた
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