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#00651 2020.4.25 |
宮地神仙道要義(1) -序に代へて-
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(清風道人云、この「宮地神仙道要義」は「『異境備忘録』の研究」と重複する箇所もありますが、改めて宮地神仙道道統第四代・清水宗徳先生(道号・南岳)の貴き御教えを被(かがふ)りたいと存じます。 #0382【水位先生の門流(4) -道統第四代・南岳先生-】>> )
宮地神仙道とは霊寿真・宮地水位先生によりて闡明(せんめい)されたる神仙道を暫く仮称していふのである。暫定的な仮称などゝいふのは頗(すこぶ)る煮切らないやうであるが、どうも適当な称詞が見当らない。 神仙道宮地派とか宮地教といふやうな局限的な内容のものではなく、さりとて単に神仙道とか仙道とか称しても余りに茫漠として当らない。畢竟(ひっきょう)するに、宮地水位先生によりて闡明されたる神仙道と云へば一番適当であるが、それでは名称として難があり、結局宮地神仙道とか宮地仙道と称するの外ないといふ事になる。
しかしさういふ名称の下に一派をなすといふやうな局限的な意味は毛頭もないのであって、それは本書全篇を通読せられると一見して頷かれるところで、本道の霊的脈絡の深遠広袤(こうぼう)たる、先師説演の天衣無縫なる、到底一教一派といふ如き人為の枠内に盛られるべきでなく、正に宇内神仙道中興の天意によりて水位先生は出現せられしものと結論せざるを得ないであらう。
宮地水位先生は嘉永五年十一月八日、土佐国潮江村に生を享けられたのであるが、その御前身は宇内幽府の第一大都たる神集岳神仙界の仙官に坐したのである。然るに誤ちて冥官の掟を破られし為、この界を退けられ給ひ、所謂(いわゆる)謫仙(たくせん)として現界に出生されし御方であった。 #0316【『異境備忘録』の研究(1) -概略-】>> #0319【『異境備忘録』の研究(4) -幽界の大都-】>> されば幼少十歳の頃より再び神仙界に出入の赦(ゆるし)を受けられ、大山祇神の御執持によりて少彦那神に伴はれ、神集岳に出入せらるゝに至ったのである。 #0317【『異境備忘録』の研究(2) -手箱山開山-】>> 令厳(れいげん)はこれ亦(また)明治初期に於ける神仙界交通の第一人者たりし常磐(ときわ)先生で、父子二代に亘っての幽冥交通の御蹤迹(しょうせき)は、とりもなほさず宮地神仙道の鞏固(きょうこ)なる地盤を物語る一証左といふべきである。 #0318【『異境備忘録』の研究(3) -父子二代の神通-】>>
水位先生は幼名・政衛(まさえ)、諱(あざな)は政昭、十九歳にして清海(せいかい)と改められ、二十一歳にして堅盤(かきわ)と改名された。水位と号されたのは二十二歳の頃で、少彦那神より名付けられ給ひし号である。(また三十歳の頃、中和と号せられたこともある。晩年は再来(よりき)と改名された。) 宮地家は日本武尊十五代の後裔・宮道信勝(みやおのぶかつ)大人に出で、天正年間、土佐潮江天満宮に奉仕されて以来、水位先生に至るまで三百五十年間代々に亘り、同社の祀官たりし家柄であった。
先生は明治三十七年三月三日、五十三歳を以て尸を解かれ、再び神仙界に帰られたのであるが、現界御在世中は文字通り御足跡宇内に遍(あまね)く、親しく肉身(うつしみ)を以て北辰星紫微上宮(しびじょうきゅう)を始め、神集岳・万霊神岳を中心とする七十二神界、七十八霊境、地上随所の諸仙境霊界・山人天狗界に至るまで詳(つぶさ)に跋渉(ばっしょう)され、異境に於ける一碩学(せきがく)としての位置を占められて居り、特に皇典及び道蔵に関する分野に於ては、その天賦の霊的英資を以て前人未到の境地を開拓されたのである。 殊に本道の精華たるべき求道の微旨に至りては、親しく高貴の大神仙や師仙から直接指教を受けられたもので、これ宮地神仙道が在来の訛伝虚誕妄説混交せる所謂神仙道界に清新なる一紀元を画し、卓然として衣を払ふ所以(ゆえん)である。
かくて天来の玄理秘義、神仙界直流の実際知識をもたらされた御著述は、その御健筆振り平田篤胤先生にも髣髴たるものがあり、殆ど長持二棹(ふたさお)にも及ぶ程であったが、御帰天後数ヶ所に分割保存され、その一部分は宮地文庫として高知図書館に保管されてゐたが、惜しい哉(かな)戦火によって全部炎上されて仕舞った。 #0254【『幽界物語』の研究(24) -平田篤胤大人のこと-】>> (水位先生肉筆になる神集岳神界秘図の原本を始め尊貴なる諸真形秘図も、この時数多(あまた)炎上して天上の玄臺(げんだい)に還られたのである。 #0325【『異境備忘録』の研究(10) -諸真形図-】>> ) これより前、潮江天満宮社務所に秘蔵されてゐたものも原因不明の火災によりて炎上し、分家たる北村家所蔵に係るものも今次の戦災によって残編全部祝融(しゅくゆう)の神の召さるゝところとなった。
かくて比類なき貴重文献が漸次(ぜんじ)として炎上され、或は時日の経過と共に散逸亡失に帰せんとするに於ては、斯道(しどう)の為まことに悲しむべきであるとして、遂に因縁の地・四国の霊学書肆(しょし)・東方書院の発願により、水位先生御遺稿全集上木の義挙が進められ、水位先生後嗣たる宮地美数(よしかず)翁によりて現存御遺稿の蒐集(しゅうしゅう)整理が行はれつゝあり、やがて斯道研究上の貴重文献が逐次として公開されんとしてゐることは、大道闡明のため極めて慶賀すべきであると共に、水位先生御在天の御意志の程も窺はれ、一層吾ら門末後学の精進が要請される次第である。
本書は取敢ず著者の手許に存する先師の御遺著により、謹みて宮地神仙道の大意を編述し、「宮地神仙道要義」の題簽下(だいせんか)に唐突刊に付した次第であるが、龍の霊たるや片鱗(へんりん)残甲と雖(いえど)も亦霊なり、幸にこの小著が吉士結縁の一助ともならば著者の念願これに如(し)くはない。 (本文末尾に(『異境備忘録』)(『好道意言』)等括弧せるは水位先生御原著の題名で、出典を明らかにせるものである。本書は先師御遺稿中の要文を系統的に抄出し、これを主体として著者編述上の参考意見を付随的に述べたものである。) |
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カテゴリ:宮地神仙道要義 |
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#00382 2015.11.2
水位先生の門流(4) -道統第四代・南岳先生-
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かくして宮地威夫先生が方全先生より継承された道統並びに学系は、神仙道本部を主宰された清水宗徳先生(道号・南岳)に引き継がれましたが、伝法類の整理や伝書類の作成に多忙を極められ、また本部の運営にも大変苦労されたようで、見かねた威夫先生が「道業上の苦しみは道士皆で分け合えば良いと思う、道士皆の道福となって還ってくることだから。苦しみを分け合うこと
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#00325 2014.11.21
『異境備忘録』の研究(10) -諸真形図-
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「明治十年一月二十九日黎明、小童君に伴はれて神集岳大永宮に至る。午十二時頃、要用万事済みて帰る時、川丹先生の室に入らせ給ふ。この時、諸々の真形図(しんぎょうず)を拝見す。その図各々左の如し。 風元山真形図。游岳真形図。天関界図。冠長山真形図。河岳八元図。元都玉京山紫蘭真形図。浮根人長山真形図。玉宝五元真形図。混沌七化真形図。集霊山真形図。八会
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#00319 2014.10.15
『異境備忘録』の研究(4) -幽界の大都-
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「幽界の大都は第一・紫微宮(しびきゅう)、第二・日界、第三・神集岳(しんしゅうがく)、第四・万霊神岳(ばんれいしんがく)なり。されども常に幽政を行ふ法式を定むる所は神集岳なり。」『異境備忘録』
「幽界は八通りに別れたれども、又その八通りより数百の界に別れたり。然(しか)れども宇内の幽府は第一に神集岳、第二に万霊神岳なり。」『異境備忘録』
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#00318 2014.10.8
『異境備忘録』の研究(3) -父子二代の神通-
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「父の神法を種々神々より授かりて、飛行の法をひそかに近き山に入りて修行し、海上歩行の法も行はんとしてその用意をしけるに、あまりに奇妙なる事を授かりし嬉しさに、神明に口止めせられし奇術を思はず信仰の諸士に語り、その御咎(とが)めによりて明治三年中風病を発して、神明より授かりし秘事は多く忘れたるに、折にふれては又人々に神明の授け給ひて秘しける事ども
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#00317 2014.10.2
『異境備忘録』の研究(2) -手箱山開山-
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宮地水位先生が神仙界やその他の諸幽界に出入りされたのは十歳の頃からで、厳父・常磐(ときわ)先生の御使として脱魂法により手箱仙境に来往される内に、大山祇神(おおやまづみのかみ)の御寵愛を受けられ、その御取り持ちによって少名彦那神に謁見されたことが端緒となっており、そのあたりの事情について『異境備忘録』より抄出したいと思います。 |
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#00316 2014.9.26
『異境備忘録』の研究(1) -概略-
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『異境備忘録』は土佐国・潮江天満宮の神官であった宮地水位先生によって著わされた幽真界の実相に関する記録ですが、文字通り備忘録で、先生が神仙界や諸多の幽境に出入りされた際の見聞の一端をメモ程度に記しておかれたものであり、記述が体系的でなく、首尾一貫性を欠き、内容も玉石混交であるのはそのためです。 しかしながら、その記述の多くには幽顕交通された
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