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#00231 2013.5.8
『幽界物語』の研究(1) -概略-
 
 
 『幽界物語』(または『島田幸安仙界物語』)は、紀州藩の藩士・参澤宗哲明(みさわむねのりあきら)先生の著作ですが、平田篤胤先生による『仙境異聞』と共に、江戸時代末期における幽界研究の二大資料といえるでしょう。 #0136【『仙境異聞』の研究(1) -概略-】>>
 参澤先生は天保十一(1840)年、平田先生の気吹舎(いぶきのや)塾の門人となりましたが、入門以前から玄学や仙伝などの神仙の道を研究されており、入門から四年後、平田先生が帰幽された後は、平田派国学の教授にあたると共に玄学の普及に努められました。

 『仙境異聞』が幽顕両界を往来した高山寅吉と平田先生の問答が中心となっているのと同様に、『幽界物語』は九州に存する「赤山」と呼ばれる幽境からの使者・島田幸安と参澤先生の問答が中心となっていますが、その中には参澤先生が幸安に書簡を託して幸安の師・清浄利仙君(せいじょうりせんくん)と称される神仙に様々な質問をされ、その返答を幸安が取り次いだものも多く記されており、特に参澤先生が清浄利仙君の正式な門弟となった後は、人の身後の霊魂の行方や変遷など幽界の秘機に属するような事実も多く見えます。 #0023【この世界だけがすべてではない】>>

 思えば現在この地球上に生存して、権利だの義務だの、儲けたの損したのと、悲喜こもごもの生活を送っている全人類は、数十年後、遅くても百数十年以内には一人の漏れなく全て別世界に移住しているはずで、しかもその好むと好まざるに関わらず、身辺無一物はおろか、これだけは自分のものだと確信しきっていた身体まで大地に返還して何も持たずに移住して行くこととなりますので、人間身後の移住先――幽界の実相について誰もが先天的本能的に気に掛かるのは当然のことであり、そういう意味でこの書は、顕界流転の旅人ともいうべき人類にとって、その移住旅行について周到綿密な計画を立て、最もより良い条件への方向を決定するための福音というべきでしょう。 #0010【「死」と呼ばれる現象】>>

 いわゆる“平田派”国学者たちが何のために心血を注いで幽界研究を行われてこられたかについては前述したとおりですが、以下は、参澤先生が『幽界物語』の上木に際して序文を依頼された、同じく気吹舎塾の門人であった奥山正胤(まさたね)先生による「はしがき」です。(現代語訳:清風道人) #0219【神道宇宙観略説(10) -物質万能から神霊万能へ-】>>

 この幽界物語は、紀伊国・若山(現在の和歌山市)の学びの兄・参澤明が、その同じ街の西要寺という寺で奉公している童子が不思議なことながら幽界(かくりよ)に往通するようになり、人々の病を治療する術を学び得て、どんな病も平癒しないことはないと評判になったことから、その童子の語ったことを記した物語である。
 その童僧は名を善竟(ぜんきょう)といったが、神仙より名を賜って幽名を清玉異人(せいぎょくいじん)、現界の俗称は島田幸安重信(しまだこうあんしげのぶ)と改めた。そして、その奇童を御使者となされた神仙との問答や、畏(かしこ)み尊ぶべき事実を親しく記した書が本書である。
 この類の話は、玉幸(たまちは)う神代より今の世に至るまで、皇御国(すめらみくに)はいうまでもなく、唐土(中国)にもその例は少なくないのだが、子供の昔語りとして、心に留めようとする人は甚(はなは)だ稀(まれ)である。それは、例えば千万の枝葉が繁ることによって、却って元の実木が見えなくなることのようである。
 そのような人々にとってはこの書は偽りに見えるかもしれないが、その文に飾りはなく、わざわざ偽り語って企む必要もなく、ありのままに奥山より深い心をこめて勤(いそ)しんで実事を記したものである。心直き人は速やかに尊び敬い、心遅き人は自ずから疑いを起こして承諾しないこともあるだろうが、それでは神の御国に生まれながら万国に類無く勝れて尊い謂(いわ)れを弁(わきま)えず、悟らず、生涯正しき道に入ることができずに朽ち果てることになる。
 それらの凡人を哀れんで、大神たちが深く思いやり給い、御使を幽界に往来させて幽顕の二道の玄理を天下(あめがした)の諸人に教え給うための計らいで、奇(あや)しきものとも妙(たえ)なるものともいうべきであり、さらにその人の心様(こころざま)も顕著となる。
 しかしながら、そのことが未だ終わらないまま今年水無月の末頃、島田幸安は現身(うつしみ)ながら幽界に入って隠れてしまい、ぬば玉の夢にも見えなくなってしまったが、明は元より古学に忠義に仕え勤める身であり、大神たちの守り給える言の葉の御恵みを後の世にも伝え置くべきであるとしたのである。
 さて、明は現界において掛巻(かけまく)も畏(かしこ)き神仙の教え子となり、恩頼(みたまのふゆ)を殊更(ことさら)に被ったならば、その御恵みの千重(ちえ)の一重(ひとえ)も報い奉るため、今の世に栄えを施すことにはならなくとも、幽顕の玄理を天地(あめつち)と共に長久(とわ)に後世に残せば世に栄えを施すことになるとして、はるばる一言書き添えて欲しいとのことで、この主の厚き志を恭(つつし)んで書き付けたものである。
  嘉永七年九月十一日

 島田幸安の幽顕往来は嘉永五(1852)年の三月より始まりましたが、その時の状況について次のように語っています。

幸安 「嘉永五年三月十日、西要寺の一間に寝ていましたところ、明け方、夢の中で指貫(さしぬき)をはき給える白髪の老翁が現れ来るのを見て目覚めて起き出したのですが、果たしてその老人が現れて共に雲に乗り、花山と申す山へ連れて行ってくれると申されました。私のことを、「結縁(けちえん)ある者なり、両手の紋理に微(しるし)あり、汝のためになり、また諸人のために相成る善きことを教えんから、重ねてそこへ連れ参るべし」と云われましたので、「あなたはいかなるお方でしょうか」とお尋ねしたところ、「吾は薬師菩薩という神なり」と申されて、老翁は行方が分からなくなりました。この神は、後々には青真小童君(せいしんしょうどうくん)少名彦那神(すくなひこなのかみ)と称え給えられましたが、これは訳のあることです。
 翌十一日、眠りから覚める明け方頃になって、また昨日逢ったような神人が忽然と現れ、共に虚空に乗じて九州の地へ行って赤山に登り、清浄利仙君(せいじょうりせんくん)と申す神仙に拝謁しました。」

 幸安を幽境へ誘(いざな)った老翁(実は少名彦那神)が「薬師菩薩」と名乗られたのは、この時幸安は僧であり、少名彦那神という名称を知らなかったためと考えられますが、「花山」と称される山については幸安が次のように語っています。

幸安 「花山は、人間が見る時は小さな山ですが、幽界に入れば一仙境です。この山は、往古より紀伊国で山人として登用される始めの境で、紀伊国で仙境へ行く者はまずここに至る定めがあります。今でも毎年一度ずつは、山人たちが花山へ来るといいます。」 #0155【『仙境異聞』の研究(20) -幽界の謎-】>>

 「紀伊国で山人として登用される始めの境」とあるように、「花山」と称される幽境は、仙童寅吉が出入りした岩間山と同様に、神仙界と人間界の中間的幽界である山人界に属する一仙境であることが分かります。 #0137【『仙境異聞』の研究(2) -山人・天狗・仙人とは?-】>>
 その寅吉は、幼少の頃より奇異を現していたことが『仙境異聞』に見えますが、参澤先生が幸安の実家で、母に幸安が生まれた時に奇妙なことが無かったかと尋ねたところ、母・さきが次のように語っています。

さき 「奇なるほどのことはありませんでした。幸安が生まれた天保六年十一月二十六日の前夜、夢にこの瓦町ご城下に稀なる大雪が降り積もって、とても綺麗に見え、その雪を手に取ったところ目が覚めました。兄弟が多い中でも幸安だけは性質が正直で、幼少よりよく親に仕え、群れて遊ぶのを好まず、ただ手習いや読書などを望みましたが、貧乏のためそのような稽古も致し難く、娘共皆奉公に出したほどですので、幸安も仕方なく寺奉公に出したのですが、誠に不測の訳あって、今は幸安の医療のお陰で日々を凌いで暮らしており、家内共喜んでおります。」

 幸安は寅吉と違って奇異を示すようなことはなく、親孝行で心優しいごく普通の真面目な少年だったことが分かりますが、実は元は仙境に住していた「仙」で、徳行を積むためにある使命をもって人間として生まれてきたことが後に明らかになります。さらに、幸安の幽顕往来の多くは肉身のままで行われ、仙境の品を現界へ持ち帰ることもあったようで、そのことについて参澤先生が次のように記されています。

参澤先生 :幸安の家の一室から良い香気があったため、何の気かと尋ねたところ、幸安の母が申すには、仙境より参った品はいつもしばらく良い匂いがあるとのことである。私はこれまで同家に薬種があるためと思っていたが、初めて悟った。その後もいつもその通りで、衣に移ったこともある。

 さて次回より、テーマごとに編集し、その他の信頼し得る幽界記録などを合わせて考察しながら、この世にも奇妙な物語についての考究を行って参りたいと思いますが、筆者(清風道人)も島田幸安や参澤先生と同様にわざわざ偽り語って何かを企む必要はなく、先師たちによってもたらされた幽界の実相を世に広め、また後世に残すことを目的としていることに清潔なるご安慮を願いたいと思います。
 なお、寅吉と幸安の口述に若干食い違う点もありますが、それは両仙界の役割が若干異なるためと、それぞれの仙境を主宰される杉山僧正と清浄利仙君の指導方針の違いによるもので、どちらが正でどちらが誤という類のものではなく、また幽政においても変化が存することを考慮すべきでしょう。
(「『仙境異聞』の研究」で既に述べた内容については重複を避けるため、詳しい解説を加えておりませんので、リンク先の記事を閲覧下さいます様お願い申し上げます。また、明治の謫仙・宮地水位先生が「国々の名山高山の幽界は、毎々(つねづね)見て別に記し置ける書ありしに、その中には人間に洩らせぬ秘事も多くありて、その書を人に見する毎に熱病を七日ばかり発する事はいつもたがはず。故に去る明治十六年一月一日に焼き捨てたり」と記されているように、この「日本古学アカデミー」が一般公開物であるという性格上、様々な霊的制約を受けざるを得ず、資料があるから体験があるからといって自由な表現を許されないことが予想されますが、天機を窺いながら恐る恐る筆を進めて参りたいと存じます。)
 
 
 
清風道人
カテゴリ:『幽界物語』の研究
 

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