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自然の摂理から生まれた学問である日本古学を「清風道人(せいふうどうじん)」が現代と未来に伝えていきます。
日本古学から学ぶ「自然の摂理」と「日本古来の精神」が次の豊かで健やかな世界を創るヒントとなることを願って。
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#00410 2016.4.18
『本朝神仙記伝』の研究(28) -菅公-
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菅公は太政大臣・菅原道真公なり。公は御小名を阿呼(あこ)と称し奉る。参議従三位・菅原是善(これよし)卿の御子にして、御母は大伴氏なり。仁明天皇の承和十二年六月二十五日、御誕生在らせらる。 幼少の御時より御家の学問は云ふに及ばず、文字書くことを好ませ給ひ、広く和漢の書を読み給ひ、一を聞いて十を悟り給ふ御才おはしまして、歌を詠み詩文章を作り給ふ
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#00408 2016.4.6
『本朝神仙記伝』の研究(26) -在原業平朝臣-
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在原業平(ありわらのなりひら)朝臣(あそみ)は、平城天皇の御孫・弾正尹阿保(だんじょうのいんあほ)親王の五男にして、母は桓武天皇の皇女(ひめみこ)・伊登内(いとない)親王なり。 業平はその容貌極めて優美、その志操最も高尚なる人にして、その官も中将にまで昇りしにより、世には在五(ざいご)中将とも称せられたるが、後世に至りて頗(すこぶ)る淫佚(
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#00407 2016.3.31
『本朝神仙記伝』の研究(25) -貞純親王-
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貞純(さだすみ)親王は清和天皇第六の皇子(みこ)なり。母は神祇伯王・棟貞(むねさだ)の女(むすめ)なり。貞観十五年四月二十一日に生まる。やがて親王と成らせ給ふ。寛平五年十一月二十三日、右大臣・源能有(みなもとのよしあり)公を文武の師となし、その伝を受けらる。
中務卿(なかつかさきょう)、兵部卿(ひょうぶきょう)、四品(ほん)、上総・常陸
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#00406 2016.3.25
『本朝神仙記伝』の研究(24) -白箸翁-
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白箸翁(しらはしのおきな)は何人(なんびと)と云ふことを知らず、またその姓名も得ず。 清和天皇の貞観の末、一人の老夫あり、常に市中に遊びて、白箸を売るを以て生業(なりわい)とす。時の人、号(なづけ)て白箸翁と云ふ。人皆不潔なるを厭(いと)ひて、その箸を買はず。翁もまた自らこれを知りて憂ひとせず。
寒暑共に皁色(くろいろ)の服を着て変は
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#00405 2016.3.19
『本朝神仙記伝』の研究(23) -小野篁-
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小野篁(おののたかむら)は敏達天皇八代の後裔、小野岑守(みねもり)の子なり。身の丈六尺三寸あり。家、元より清貧なれども、母に仕へて至孝なり。 始め学業を事とせず、嵯峨天皇これを聞食(きこしめ)して、「既にその人の子たる者、何ぞ弓馬(きゅうば)の士とならむや」と難ぜさせ給ひし由(よし)を聞き、篁、大いに恥じ悔ひ、これより学に志したりとかや。
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#00404 2016.3.13
『本朝神仙記伝』の研究(22) -武庫山女仙-
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武庫山女仙(むこやまのにょせん)は、その父母及び姓氏を詳らかにせず。淳和天皇の第二の妃(みめ)・如意尼(にょいのあま)に仕へし女官にて、武庫山に入りて仙を得たりと云ふ。 而(しか)してこの女仙の世に知られたるは、正親町天皇の天正年中、京都七条の辺りに小野民部少輔(おのみんぶしょうゆう)とて、元は然(しか)るべき人の末なりしが、世に零落(おち
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#00403 2016.3.7
『本朝神仙記伝』の研究(21) -願覚仙人-
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願覚は何人(なんびと)たることを詳らかにせず。大和国葛上郡(かつらぎかみのこおり)に高宮止寺(たかみとでら)と云ふ寺あり、この寺に円勢(えんせい)法師と云へる百済国の僧、我が国に渡り来りて住みけり。智識の勝れたる僧にてありたるとぞ。時に何処の者とも知らず、願覚と云へる僧、また来りてこの房に住みぬ。
然(しか)るにこの願覚、晨(つと)に出
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#00402 2016.3.1
『本朝神仙記伝』の研究(20) -菊女仙-
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菊女仙は何処(いずこ)の人と云ふことを知らず。またその姓氏を詳らかにせず。夏秋の間、里人、女仙を白山(はくさん)の水晶渓(すいしょうだに)の滝の下に見る。常に菊を採りて、その花と葉を食とし、火の入りたるものを絶てり。その容貌顔色、宛(さながら)処女(おとめ)の如し。人、「菊女(きくめ)」と称し、また「阿菊(おきく)」と呼べり。後、その神霊なる
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#00401 2016.2.24
『本朝神仙記伝』の研究(19) -養老仙人-
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養老仙人はその姓名を詳らかにせず。美濃国多藝郡(たげのこおり)の樵夫(しょうふ)にして、母に仕へて至孝なり。 元正天皇の霊亀三年、この樵夫の孝咸(こうかん)に因りて同郡多度山より醴泉(れいせん)出(いだ)せり。故に改元ありて、霊亀の年号を改めて養老とせらる。これを以てこの樵夫の孝名、普(あまね)く世に知られたり。然(しか)れども、この樵夫が
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