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自然の摂理から生まれた学問である日本古学を「清風道人(せいふうどうじん)」が現代と未来に伝えていきます。
日本古学から学ぶ「自然の摂理」と「日本古来の精神」が次の豊かで健やかな世界を創るヒントとなることを願って。
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#00420 2016.6.18
『本朝神仙記伝』の研究(38) -由井源蔵-
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由井源蔵(ゆいげんぞう)は駿河国興津(おきつ)の人なり。その先(まえ)は鎌倉幕府に伺公(しこう)したる者なりしが、時世の変遷に随ひ、家衰へて興津に移り住みたりと云ふ。
源蔵若き時より神仙の道を好み、その友・藤山兵次、浦安又五郎、神原四郎の三人と相計りて、「古老の話を聞くに、富士足柄の山には昔より仙人在りて、志深く道を求むる者には、出逢ひ
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#00419 2016.6.12
『本朝神仙記伝』の研究(37) -大枝国兼-
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大枝国兼(おおえのくにかね)は伊勢神宮の神司(かむつかさ)なり。姓は大中臣(おおなかとみ)、順徳天皇の承久(じょうきゅう)の乱に、新院の勅(みことのり)に応じ、佐々木廣綱と共に(北条)義時を討ち、利有らずして国兼、佐渡国へ遁れ、また移りて旧領遠江国・濱名民部丞(はまなみんぶのじょう)が家に隠る。
国家の乱れの治まらむことを祈らむため、寛
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#00418 2016.6.6
『本朝神仙記伝』の研究(36) -鬼三太清悦-
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鬼三太清悦(きさんたせいえつ)は源義経の雑色(ぞうしき)なり。長生して奥州に至りしが、伊達正宗の時に至りて再び世に知らるゝことゝはなりぬ。 今その顛末を記さむに、陸奥国磐井郡(いわいこおり)衣川(ころもがわ)七里と云へる所に一人の老翁あり。鷹眼虎質(ようがんこしつ)にして、髪は剃りたれども緇衣(ころも)を着ず、性に任せて物に拘はらず、またそ
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#00417 2016.5.31
『本朝神仙記伝』の研究(35) -残夢-
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残夢(ざんむ)は自ら日白(にっぱく)と呼び、また秋風道人(しゅうふうどうじん)と称せり。僧にあらず、俗にあらず、素より何人(なんびと)たることを詳らかにせず。或は云ふ、常陸坊海尊(ひたちぼうかいそん)ならむと。風顛(ふうてん)の狂漢にして自ら一休を友とし善くして、その禅要を得たりと云へり。 また時々人と語るに、元暦(げんりゃく)・文治の頃の
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#00416 2016.5.25
『本朝神仙記伝』の研究(34) -津軽女仙-
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津軽女仙は筑前国遠賀郡(おんがこおり)庄ノ浦の産(うまれ)なり。その父母詳らかならず、またその姓名を知らず。数百年の後、同国芦屋の商人何某が津軽に行きて、図らずもこの女仙に遇ひしに依りて、初めて世に知らるゝことゝなりたり。
今その大要を挙げむに、筑前国遠賀郡の浦人どもの中にて、伊万里の瀬戸物を船に積みて諸国を廻り、商売を為す者あり。天明
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#00415 2016.5.19
『本朝神仙記伝』の研究(33) -平景清・平盛嗣-
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平景清(たいらのかげきよ)、平盛嗣(たいらのもりつぐ)は、共に平家の名将なり。然(しか)るに平家没落の後、この二人共に種々の異説を伝へて、その終る所定かならざりしが、こゝに正親町(おおぎまち)天皇の天正十二年、北畠信雄(のぶかつ)、羽柴秀吉と合戦に及びし時、佐々内蔵助成政(ささくらのすけなりまさ)は北畠信雄に与(くみ)し、同年十一月の下旬、大
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#00414 2016.5.13
『本朝神仙記伝』の研究(32) -平維盛-
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平維盛(たいらのこれもり)は内大臣・平重盛公の嫡男なり。平家没落の砌(みぎり)、紀伊国那智の滝に於て入水したりと世に伝へしかども、その実、入水にあらず。紀州の山中に隠れ、遂に仙境に入りたり。
そのことの世に顕はれたるは、後奈良天皇の弘治年中、和泉国堺に薬種を商ふ長次と云へる者あり、久しく病を患ひて、紀伊国の十津川郷の温泉に湯治に行けり。
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#00412 2016.4.30
『本朝神仙記伝』の研究(30) -藤太主・源太主-
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藤太主(とうたぬし)、源太主(げんたぬし)は、大和国吉野の郊(さと)に居る仙人なり。始め五穀を絶ち密咒を持し、鍛錬精修して仙道を得たりと云ふ。常に烏帽子(えぼし)を戴き布衣(ほい)を着たり。
醍醐天皇の延喜の頃、浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)とて、世に隠れ無き行法の人ありけるが、ある時大和国に至り、吉野川を渡らむとしけるに、折しも洪水漲(
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#00411 2016.4.24
『本朝神仙記伝』の研究(29) -嵯峨隠君子-
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嵯峨隠君子(さがのいんくんし)はその姓名を知らず。隠れて西山に棲む、因りて隠君子と称す。 貞観十二年三月二十三日のことゝか、菅公初めて策を献ぜられし時、菅原是善(これよし)卿、橘広相(たちばなのひろみ)と共にこれを開き閲(けみ)せり。偶々(たまたま)一事の通ぜらること有りしに依り、広相馬に鞭打ちて嵯峨に至り、隠君子に問ひて事を弁じたりと云ふ
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