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自然の摂理から生まれた学問である日本古学を「清風道人(せいふうどうじん)」が現代と未来に伝えていきます。
日本古学から学ぶ「自然の摂理」と「日本古来の精神」が次の豊かで健やかな世界を創るヒントとなることを願って。
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#0016 2010.2.22
人間の本性は善か悪か?(2)
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また、魂のはたらきを性(やまとことばではココロネ)といい、魄のはたらきを情ともいいますが、これだけ聞くと、情というものは悪しきものであると思われるかもしれませんが、決してそういうわけではありません。 性にしたがう情であれば、つまり魄が魂にしたがっているわけですから、これは人間にとって最も善い状態といえるでしょう。しかし性にしたがわない情は、
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#0015 2010.2.17
人間の本性は善か悪か?(1)
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人間の本性が善であるか悪であるかについては、主に儒教などで語られてきましたが、日本古学では次のように説かれています。
実は人間の霊魂の活用には、魂(こん)と魄(はく)の二種類の区別があります。魂魄(こんぱく)というのは漢字の音読みですが、これをやまとことばでは、魂を「みたま」あるいは「をだましひ」、魄を「みかげ」あるいは「めだましひ」と
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#0013 2010.2.4
「生まれ変わり」の事実(1)
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人の霊魂には、はじめて神霊の一微分子を付与されて生まれてくるものもあれば、往古より歴代のあいだに、すでに人間として生まれた霊魂が、寿命を終えて一旦幽界へ帰り、さらに再生してまた人間界へ生まれてくるものが存在することが伝えられています。 #0009【生命が宿る瞬間】>>
平田篤胤先生の『勝五郎再生記聞』には、文政五年(1822年)、
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#0010 2010.1.20
「死」と呼ばれる現象
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日本古学によれば、人は死亡と同時に天国へ昇ったり地獄へ直行したりするものではありません。また、よほどの悪行をはたらいて悪因縁をつくった者とか、恨みや憎しみの念で凝り固まった者、あるいは自殺をはかった者でなければ、死の直前の苦痛というものはほとんど感じないのが普通です。ただ、生前に霊魂の存在とか死後のことなどにまったく無関心だった人は、自分が死
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