|
自然の摂理から生まれた学問である日本古学を「清風道人(せいふうどうじん)」が現代と未来に伝えていきます。
日本古学から学ぶ「自然の摂理」と「日本古来の精神」が次の豊かで健やかな世界を創るヒントとなることを願って。
会員登録をいただくと、タイトルに●の付いている会員様専用の記事閲覧と、
「清風道人(せいふうどうじん)」への質問欄『Q&A(会員様のみ)』のご利用と過去の質問および回答を閲覧いただけます。
更新情報メールの配信をご利用頂けます。
会員登録はこちらから>> カードでのお申し込み 銀行振込でのお申し込み |
|
#00510 2017.12.21
扶桑皇典(40) -禁厭-
●
|
禁厭(まじない)は一種の神法にして、人その法を行へば、法の上に神霊降下して効験を現すなり。然れば、その範囲も広大にして、こゝに一言にて尽くし難しと雖(いえど)も、その一班を約言すれば、神代に天神の、天上の水を濯(そそ)ぎて大八洲国の水を真清水に為し給ひしも禁厭なり。天孫の降臨に際し、稲穂を以て霧を拂はせ給ひしも禁厭なり。 #
|
|
カテゴリ:扶桑皇典 |
続きを読む>>
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
#00507 2017.12.2
扶桑皇典(37) -妖獣-
●
|
猫もまた妖を為す物にて、その人語を為し、踊りを躍るなどいふ事は、普く人の知れる事なれど、死人を動かすは珍しければ、こゝにその一話をいふべし。
下総(しもうさ)国小金といふ地の辺りに栗澤村といふありて、その村に、独り者の老婆の亡(う)せしかば、近隣の人集まりて、野辺送りの事など語り合ひて在りしに、夏の暑中の事なれば、諸人、戸外に出でゝ涼み
|
|
カテゴリ:扶桑皇典 |
続きを読む>>
|
|
|
|
|
|
|
|
#00505 2017.11.20
扶桑皇典(35) -妖物-
●
|
幽界には、また魔といふ物あり。魔は鬼物にて、人を恐怖せしめ、或はその業を妨ぐるなどの事をする物なり。この物は皆外国より来る物か、かの稲生平太郎を三十日間も悩ましたる山本(さんもと)五郎左衛門といふ魔王は、その詞(ことば)に、「我が日本に来りしは源平合戦の頃なり。我が類の魔王にては、日本にては今一人、神野(じんの)悪五郎といふ者あり」といへり。
|
|
カテゴリ:扶桑皇典 |
続きを読む>>
|
|
|
|
|
|
#00504 2017.11.13
扶桑皇典(34) -霊人-
|
幽界には高貴なる神も坐せど、また卑賤なる神もあり。正神・善神も坐せど、また邪神・悪神も居(お)れば、正神・善神の正事・善事に幸(さきは)ひ給ふ傍らには、邪神・悪神は邪事・悪事を勧めて、邪道に誘(いざな)ふ事もあるべし。 然れど、正神・善神は申すも更なり、邪神・悪神も、その心の和める時には、然る事も無くてあるべし。然れば、神には禍津日神(まが
|
|
カテゴリ:扶桑皇典 |
続きを読む>>
|
|
|
|
|
|
#00503 2017.11.7
扶桑皇典(33) -亡霊・下-
●
|
亡霊は神の如くにて、顕界の人と異なれば、亡霊に追はるゝ時は、隠るゝ事を得ず。 慶長年中、京に成田治左衛門といふ人ありて、夫婦の間も睦じかりしを、妻病みて死なんとする程に、夫の手を取りて、涙ながらに言ふやう、「形は煙と為らばなれ、魂魄(たましい)は永く御身の傍を離れん」といひて、終に空しく為りしに、死後、数日を経てより毎夜、治左衛門の枕頭に来
|
|
カテゴリ:扶桑皇典 |
続きを読む>>
|
|
|
|
|
|
#00502 2017.11.1
扶桑皇典(32) -亡霊・上-
●
|
死後の神魂(たましい)は全く神の如くなれば、人智を以ては知られざる奇異なる動作もありて、一例をいへば、他の体を借りて自己の物とし、或は生ける人を数百里外に誘(いざな)ひ、或は瞬間に水陸を隔てたる夫の許に赴き、或は人にも祟り、人をも殺す事あり。
その、他の体を借りしは、越後の新潟に長尾何某(なにがし)といふ医者ありしが、この人、若年の頃、
|
|
カテゴリ:扶桑皇典 |
続きを読む>>
|
|
|
|
|
|
|
|