|
自然の摂理から生まれた学問である日本古学を「清風道人(せいふうどうじん)」が現代と未来に伝えていきます。
日本古学から学ぶ「自然の摂理」と「日本古来の精神」が次の豊かで健やかな世界を創るヒントとなることを願って。
会員登録をいただくと、タイトルに●の付いている会員様専用の記事閲覧と、
「清風道人(せいふうどうじん)」への質問欄『Q&A(会員様のみ)』のご利用と過去の質問および回答を閲覧いただけます。
更新情報メールの配信をご利用頂けます。
会員登録はこちらから>> カードでのお申し込み 銀行振込でのお申し込み |
 |
#00479 2017.6.13
扶桑皇典(9) -天孫の降臨・下-
●
|
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は、笠狭(かささ)の御碕(みさき)におはせる間(ほど)に、大山祇神(おおやまづみのかみ)の御女(みむすめ)・木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)と申す姫神を御后として、火須勢理命(ほすせりのみこと)・火遠理命(ほおりのみこと)と申す二柱の御子を生ませ給ひしに、火須勢理命は海幸彦として、自ら海の物を獲給ふ幸おはし
|
|
カテゴリ:扶桑皇典 |
続きを読む>>
|
|
|
|
|
 |
#00478 2017.6.7
扶桑皇典(8) -天孫の降臨・中-
●
|
高皇産霊神・天照大御神は、大国主神の、この御国を天孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に奉り給ひしからに、瓊瓊杵尊を葦原中国(あしはらのなかつくに)に降し坐さんと為させ給ひて、天照大御神は、三種(みくさ)の神器(かむたから)を瓊瓊杵尊に賜ひ、殊に神鏡を賜ふ時には、宝祚(ほうそ)の無窮を宣(のたま)はせ、高皇産霊神は供奉(ぐぶ)の諸神の棟梁たる天児屋
|
|
カテゴリ:扶桑皇典 |
続きを読む>>
|
|
|
|
|
 |
|
 |
#00476 2017.5.25
扶桑皇典(6) -諸神の御国造-
●
|
顕宗天皇の御代三年といふに、日神・月神は、阿閉臣事代(あえのおみことしろ)といふ人に憑(か)からせ給ひて、「吾が御祖(みおや)高皇産霊神は、天地鎔造の御功あり」と宣(のたま)ひて、神地を献(たてまつ)らせ給ひし事あり。
然れば、後に諸神たちの、尚、国土を造り給ひしを思ふに、大己貴神たちをはじめて、諸神たちは、外国もあれど、主(むね)とこ
|
|
カテゴリ:扶桑皇典 |
続きを読む>>
|
|
|
|
|
 |
|
 |
#00474 2017.5.13
扶桑皇典(4) -天地開闢・中-
●
|
伊邪那岐・伊邪那美二柱の大神は、国土、神人、万物を生み給ひての後、伊邪那岐大神は、伊邪那美大神の、火神・迦具土神を生み給ひしに依りて、御身労(わずら)はせ給ひて、黄泉国に出でましゝを嘆かせ給ひて、御跡を追ひて黄泉国に出でまして、図らずもその国の穢れに触れさせ給ひしかば、驚きて逃げ出で給ひて、伊邪那美大神の追ひ来ませるをも顧み給はずて、千引(ち
|
|
カテゴリ:扶桑皇典 |
続きを読む>>
|
|
|
|
|
 |
#00473 2017.5.7
扶桑皇典(3) -天地開闢・上-
|
天地の開闢を説かんとするに、世の学者は理論を以て推定せんとして、「太陽は一大火集なり、火雲の凝集せるなり。大地は岩球、岩層の二大部分を以て説くべし。月と星とは、その質、地球と同じくして、共に太陽の光輝を受けて耀くなり」と論ずれども、これは物ありて後の論にして、一物無き代の論にはあらず。
然れば、開闢の時の如き、未だ一物も無き時の事は、そ
|
|
カテゴリ:扶桑皇典 |
続きを読む>>
|
|
|
|
|
 |
#00472 2017.5.1
扶桑皇典(2) -人世-
●
|
人世は、人事・神事(幽事)相依り相随ひて、糾(あざな)へる縄の如く、吉凶禍福、纏綿(てんめん)して、輪の端無きが如くなれど、人こそ知らね、人世に発生する種々の事は、皆、神の幽契に依る事なれば、人事を論ぜんには、須(すべか)らく、まずこの神事より知らざる可らず。然(しか)れども、神事を知らんとするには、天地の間には人界の外に神界(幽界)ありて、
|
|
カテゴリ:扶桑皇典 |
続きを読む>>
|
|
|
|
|
 |
#00471 2017.4.25
扶桑皇典(1) -人智の狭隘-
|
(清風道人云、この『扶桑皇典』は、明治三年に平田鉄胤先哲の許に入門して古学を学び、更に漢学や洋学も修めた後、帝国大学や東京師範学校の教授等を歴任された文学博士・物集高見(もずめたかみ)先生が著された、幽界の実在を立証する格好の文献といえます。世には博士や大学教授といった肩書や地位に縛られて、内心秘かに幽界や霊物の存在を認めつゝも、これを口にし得
|
|
カテゴリ:扶桑皇典 |
続きを読む>>
|
|
|
|
|
 |
#00470 2017.4.19
無病長生法(14) -調和心意-
●
|
第五には、心意を調和すべし。凡そ心の本性は、天地とその妙を同うし、神仏とその霊を同うして、固(もと)より不老不死のものなるを、外物に攪乱(かくらん)せらるゝと同時に、本性の霊妙を失ひ果てゝ、名利の穴に頭を突き込み、富貴の淵に身を溺らして、心意を苦しめ精神を疲らすは、譬へば一夜泊りの旅亭の座敷が己が意に満たざるを気にして、此処(ここ)に床を置き
|
|
カテゴリ:無病長生法 |
続きを読む>>
|
|
|
|
|
 |