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#00588 2019.4.12
生類の霊異(21) -狐(妖獣的実例・下)-
 
 
<白昼に農夫をばかす>
 愛知県中島郡板葺村の堀田幾四郎なる老人の実見談である。初夏の午後一時頃に、居室に横たはって午睡をしようとしてゐると、百間ばかり先の畑の中で、嘉平と云ふ農夫が、糞桶を荷ひ、柄杓(ひしゃく)を手にして、作物の上を左右に歩いて居る容子が甚だ変手古(へんてこ)なので、幾四郎は縁側へ出て四方を眺めた。

 すると、嘉平の居る場所から二町余り隔たった所に一疋の狐が居て、嘉平に対(むか)ひ左右に尾を振りながら近寄らうとして居るのが目に入ったが、嘉平は狐の動かす尾の向くのと同じ方向に、柄杓を左右に振り動かすのである。
 而して狐が五、六十間ほど近附いた時、嘉平は柄杓を棄てゝ素手になり、狐が進めば嘉平も進み、狐が退けば嘉平も退き、その進退たゞ狐の為すがまゝである。

 幾四郎はこれを見て大声を上げたら、狐は走り出したが、嘉平も又狐の方向に走り出す不思議さに、幾四郎は怺(こら)へかねて跣足(はだし)で畑へ飛出して嘉平を捉へ、強くその肩を殴りつけたら、始めて彼は正気に戻った。
 嘉平の告ぐるところには、最初彼は狐を見たので追ひまくってゐると、突然そこへ隣家の知人が来て「隣村へ行くから附いて行け」と言ふので、附いて行かうとして居るところを正気づかれたのだ云々。狐に愚弄されて居た長い時間は、彼には極く短い時間だったらしい。

<油揚一箱を奪ふ>
 石見国大田の隣村・刺鹿(さつか)村字諸友の豪家・福間方で仏事を営む前日、出入りの男を大田町へ出し、別誂(あつらえ)の大油揚を取りに遣ったところ、それっきり帰って来ぬので、翌日早朝別人を出して再び油揚を註文するなどの騒ぎをしたが、前の男は法事の翌日に茫然と気抜けのやうになって福間家へ戻って来た。着衣は勿論のこと油揚箱を包んだ大風呂敷も裂目だらけで、箱の中の油揚は一つも無いと云ふ惨めさであった。

 事情を糺(ただ)すと、この者は大田町で油揚を買うて箱に入れ、背負うて新市(しいち)上の旧道を歩いて帰る内に日が暮れたが、見知らぬ男が出て来て城山へ連れ込んだ。山へ這入ると茂林の中を夜昼なく連れ歩かれたが、その間何度となく背の油揚箱を下ろさせられた様に記憶するが、精しいことはわからぬとの事であった。

<小学生をばかす>
 六、七年前のこと、石見国邑智(おおち)郡君谷村大字惣森(そうもり)の小学校長の伊藤氏が、秋の日曜日に十五、六名の男生徒を連れて附近の山へ遊びに行って、帰りに点検すると、一名欠けてゐるので驚いて大捜索をする内に、山の大池の方から茫乎(ぼうこ)として出て来たので訊ねて見たが、非常に疲労しきってゐて言語を発することが出来ぬから、親の家へ送り届けて静臥させると、その夜は死人の如くに昏睡し、漸く翌日元気回復の後にその語るところに依ると、山で皆と一緒に遊んで居る内に、咽喉が乾いたので一人で池へ行って水を飲んだが、その時池の横に赤毛の犬が居た。水を飲むと急に睡(ねむ)くなって、そこの草の上で寝たが、誰かに起こされて見ると、その辺(ほとり)の栗の木に沢山実が結(な)って居たから、懐に溢杯(いっぱい)拾って帰らうとすると、犬が附いて来て、自分を押転がし、懐の栗が皆出ると犬が取ってしまった云々。
 この生徒の犬と見たのが狐であることは疑ひないとのことであった。この君谷村は悪狐の多い所で、村民が屡々やられると云ふ。

<嫁入の一行をばかす>
 『炉辺叢書(ろへんそうしょ)』の「三州横山話」に出てゐる面白い話を移載する。
明治三十年の頃、三河国南設楽(みなみしたら)郡横山村で早川徳平方の留吉なる下男が、盆の十五日の夜に友達と三人で豊川稲荷へ参詣に出かけて、真夜中頃、途中の木野ヶ原と云ふへ来ると、傍の畑の中に、若い女と二人の男が風呂敷包を背負って、三人共に尻を端折(はしょ)って妙な格好をして歩いて居るので、不審に思って、そこに立留まって煙草を吸ひながら見て居ると、近くの畑の肥溜(こえだめ)の屋根に白い狐が居て、頻りに尾を振って居るので、初めて狐にばかされてゐるのだと感附き、三人で大きい声を出して怒鳴ったら、狐は丸くなって逃げて行ったが、彼の男女の三人はそれから正気に還った。

 段々と譚(わけ)を聞くと、この男女は近くの一鍬田(ひとくわだ)村の者で、若い女が嫁に行くので、父親と下男とが支度の着物を豊川の町へ買ひに行った帰りであったが、その畑の中が一面の川に見えて、どうしてもそこが渡り切れなかったので尻端折(しりばしょり)をしたのださうである。またその時、若い女の股の所に大きな痣(あざ)らしいものがあって、月の光で明瞭に見えてゐた云々。

<数十人をばかす>
 狐が人を誑(たぶら)かす場合は、大抵一、二人の少数者の場合に限られるやうに想はれるが、徳川時代に、本願寺法主一行数十人が一同に狐にばかされた珍事がある。
 文政十年、京都の東本願寺が、洛外の西山に土地を買うて法主の別荘を建てることになったが、その地に古い神祠があって、社殿の下に狐の穴があり、又その附近にも多くの狐の穴があるので、それ等を取退けると災禍があるなど云って、地ならし工事も出来かねたけれど、別荘が竣工すると天皇が行幸になると云ふ噂も発したので、それに勢ひづいて漸くのことに彼の神祠を取毀(とりこぼ)ち、附近の狐穴をも皆埋めて地均(じな)らしをし果せた。

 すると或る日、法主が二、三の役僧その他数十人の家来を連れて、別荘地見分(けんぶん)に行った。一行は駕籠(かご)が四挺で、舁夫(かごかき)ともに三十余人の人数であったが、帰路に日が暮れ、南へ往かねばならぬところを反対に北に向った。それを誰も気づく者がない。
 遂に夢路を辿るやうな気持で稲田の中を三時間も迷ひ歩いて徒歩者は泥まぶれとなり、はては夜更けに農家の生籬(いけがき)の中へ法主の駕籠を突込み、内から怒鳴られて漸く正気に復したが、そこは何所かと云ふと途方もない上嵯峨であった。そこから確かな人を附けてもらって夜明け近くに辛(やっ)と本願寺へ帰着をしたことがあって、当時の評判の事件であった。

<金貨を盗む狐>
 西洋文化の輸入の少ない時代の出来事で、それを語った人も老人であるからアテになりかねると言はゞ言へるが、語った人は旧鳥取藩士の儒者肌の易占家で、明治十年頃には同地の志士会とかの幹事まで務めた人格者の上田波造翁であるから、根拠のある事実と見ねばならぬ。話は下の如くである。

 明治維新の廃藩置県の少し前かたのこと、因伯二州の政治は、鳥取の池田候の手に行はれて居たが、或る時、同藩の金蔵(かねぐら)の金貨が千両ばかり不足して居るのが発見されたので、役人が内探をした結果、その蔵番の足軽三人を金泥棒の被疑者として目をつけることになった。
 すると蔵番の一人の某(不幸にして姓名を聞漏らした)方が、近来頻りに家具、日用品などの調達が多くなった形跡があるので、それを寺社奉行の白洲(しらす)へ召喚して糾問(きゅうもん)すると、その者は答へて言ふには、「自分は少しも偽りを申さぬから、その積りで御聴取りになりたい」とて、下の事実を申し立てた。

 自分方は、食物の残りを流し尻に棄てゝその頃毎日のやうに暁方に来る褐色の大きい犬に食はすのであったが、或る夜、縁側に小判が三十両、何者がしたともわからず置いてあった。翌朝発見して色々と考へて見て、彼の犬と思って居たのは狐であって、それが食物の謝礼として持って来てくれたのであらうと気がついたから、その金で買物をした云々とて、買込んだ物品と使った金高とを明細に申し立てた。元来その人間は正直な人物であったので、言ふところに偽りはないと役人が思ったけれど、一応牢屋へ入れられた。
 而して、金蔵の金を取ったのはその狐であらう、不埒な畜生だと云ふので、その頃、祈祷に霊験を現す人として有名であった鳥取在の国安村なる蔵谷八幡社の社司に命じて、彼の狐を呼び出す秘法を修せしめられた。

 社司は藩庁の命に応じ、或る日、神前にてその法を修して居ると、その家の下女に物の霊が憑って仰向に倒れて眼をつり上げた。その報(しら)せを得た社司は、下女の傍へ寄って、「汝は何物か」と訊ねると、下女は起き上って、「自分は狐であるが、金蔵の金を盗み出したのは如何にも自分で、蔵番には三十両だけしか与(や)らぬ、皆やると却って彼の不為(ふため)になると思って、あとの金は御殿の庭の池の縁(ふち)の黒い石の下に埋めてある」と言ってから落ちた。
 そこで社司から、その通りを申告したので、金蔵の役人が藩主邸内の池の岸を探して見ると、果して残りの金が出たから、彼の蔵番は放免されたが、狐は不埒な奴だとて、再び彼の神職に命じ、因幡から国払ひをさせる秘法を行はせられた。

 すると数十日経って、或る日、彼の神職の下女が又も物の怪(け)が憑いて言ふことには、「自分は国払ひに遭ったあの狐であるが、今では仲間省(は)ぶきになり美作(みまさか)の某瀧(その名を聞漏らした)の附近に住んで居り、毎日僅かばかりのオンブク米(瀧の堂に献ずる供進(ぐしん)米)で寿命をつないで居るのが、余りにつらくて情けないので、前非を悔いるから何卒因幡へ帰らせてもらうやうに藩庁へ伝へて下さい云々」と哀願した。
 神職はこの事を申告すると、藩の執政が狐を釈(ゆる)すと云ふ命令を下したから、寺社奉行が赦免状を小者にもたせて、作州の彼の瀧の所へやった。すると、一疋の痩こけて今にも倒れさうな狐が迎ひに出たので、赦免状を朗読すると嬉しげに頭を垂れて使者の傍へ来て足を舐めた。それから狐は使者と前後して因幡へ戻り、国英(くにふさ)村の辺りでその姿を見せなくなった。

 然るにその後、彼の寺社奉行の某は、一つの秘術を行ふやうになった。それはどんな土蔵の錠前でも鍵無しで開閉が自由になることであったが、その秘法は彼の狐から教はったのだと云ふことが誰の口からともなく一般に言拡まった。
 或る日、藩士の某方にて蔵の中へ過って鍵を残して錠を下ろしたので、戸が開かないで困った揚句、彼の寺社奉行に依頼をすると、当人は承諾してやって来た。その席に本文の談者の上田翁も立会った一人であった。寺社奉行は、蔵の錠前を開く時に、附近の人払ひをしたので、如何なる技術を弄したかは知る由(よし)は無かったけれど、一瞬間の所作で直ぐ座に戻り、「もう開きました」と告げたから、家主以下各人が土蔵の戸に就て見ると、戸は一寸ばかり開いてあったさうだ。
 
 
 
清風道人
カテゴリ:生類の霊異
 

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