HOME > 扶桑皇典(28) -夢及び幻影-
 
 
#00498 2017.10.7
扶桑皇典(28) -夢及び幻影-
 
 
 夢は睡眠中に見る幻影幻響なれど、その事物は神魂(たましい)の視聴する所なれば、事物なるもあり、或は夢中に見る苦楽を覚めて後に感ずるもあるなり。総て夢は思想の描くに従ひてその象を示し、思想移転すればまたその象を現すと雖(いえど)も、その象に伴ふべき時と所とは区別せざるなり。 #0258【『幽界物語』の研究(28) -参澤先生の霊的体験-】>> #0259【『幽界物語』の研究(29) -夢について-】>>

 夢の実事なりしは、神武天皇の御時、熊野高倉下(たかくらじ)の夢に、武甕雷神(たけみかづちのかみ)の命(おおせ)を承りしに、果たして布都御魂(ふつのみたま)の神剣の庫裏(くり)に在りしが如く、また神武天皇の御夢に、天照大御神の八咫烏の事を宣(のたま)ひしに、果たして八咫烏の空を翔り来(きた)りしが如し。

 また、夢中の苦楽を覚めて後に感ずるは、危難に遭へる夢を見れば、覚めて後も総身に汗を生じ、幸福を得たる夢を見れば、覚めて後も愉快の気を残す事あれば、昼の苦楽を夜の夢にて慰奪すといふ説もあり。
 漢土・周の尹(いん)氏は富豪にして、昼は世人の尊敬を受くれども、夜は夢に、他の下僕と為りて苦楚(くそ)を受くといひ、尹氏の下僕は、昼は役夫(えきふ)と為りて呻吟(しんぎん)すれども、夜は夢に、人君と為りて栄華を極むなどもいへり(『万物夜話』)。

 夢は、神魂の一時身外に出でゝ、その事物に接するなれば、未開不見の地をも知る事あるなり。
 加賀国の青地四郎左衛門といふ人、若年の時、夢に朝鮮に往きたりと見て、不思議なる事に思ひて、覚めて後、その見たる山川村落などの景色を絵師に描かせて、枕屏風に貼りて常に眺めて在りしに、文禄年中に至りて、案外にも征韓の事起こりて、青地も朝鮮に赴きたりしに、その地の模様、夢に見しに違(たが)はざりしかば、大いに便利を得たりといふ(『白石紳書』)。

 また、他人の夢にも入るべく、二人同一の夢も見るべし。
 然るは、尾張国に勾経方(まがりつねかた)といふ人ありしが、この人、妻の嫉妬を思ひて、妻には知らせずして、或る女の許に通ひ居(おり)たりしに、或る夜、女の許に往きて眠りたるに、夢に妻の尋ね来て、二人臥したる被衣(かずき)を引き除(の)けて罵り騒ぎたりと見て覚めし程に、心も落ち着かねば、急ぎて家に還りたれば、妻は見るなり、「昨夜(ゆうべ)は然(さ)る女の許に往かれたるならん。隠し給ふとも、その時の事はよく知りて侍り。二人の被衣を引き除け侍りしは、よも忘れ給ふまじ、その時、そなたは何と言はれしにあらずや」など、夢中にてありし事どもを言ひ出でゝ、責めさみたりといふ(『今昔物語集』)。

 また、平重盛、治承三年三月の頃、夢に伊豆国の三島明神に参詣して、橋を渡りて門に入りたるに、右傍に法師の首を斬り懸けたりしかば、不思議に思ひて、宿老(しゅくろう)の僧を呼びて、「何人(なんびと)の首にて、いかなる事ぞ」と問ひたるに、僧の答ふるやう、「これは平家の太政入道(平清盛)の首なり。当国の流人(るにん)・源頼朝、千夜通夜して祈り申す旨ありしを、明神御受納ありて、備前国吉備津宮に命せて、入道を討たせて懸けたるなり」と語ると見て覚めたるが、心悸して身体には汗流れて在りし所に、六波羅に居たる妹尾太郎といふ者、深夜に来りて、重盛の見たる夢と同じ夢を見たりとて、驚きて夢物語りして、憂へ悶へたりといふ(『源平盛衰記』)。

 然れば、世に神仏の示現といひ、夢想といふも、遊魂の神社仏閣に詣でゝの事なるを、夢中の事なるを以て、神仏の枕頭におはしたるにやと思へるなり。その示現・夢想といふは、次にいへる類なり。
 堀河天皇には、未だ皇子もおはせざりし程に、皇后の御母・坊門(ぼうもん)の尼上(あまうえ)は、賀茂社に籠りて皇子を祈り給ひし時、夢に、明神の、尼上の袖に居させ給ひて、「男子を産むべし」と告げさせ給ひしに、果たして皇子御誕生ありて、後に鳥羽天皇と聞こえたりといふ(『塵添壒囊抄(じんてんあいのうしょう)』)。
 また、正親町(おおぎまち)天皇の永禄九年、毛利元就、瘧病(おこりやまい)を患ひて重態なりし間(ほど)、元春・隆景など、昼夜枕頭を離れずして看病に怠りなかりしに、或る夜、隆景の夢に老翁見えて、「元就の病を治さんとならば、尼子(あまご)の一命を助くべし。然(さ)もなくては、近く死ぬべし。我は富田八幡なり」と宣(のたま)ひしかば、隆景、大いに驚きて元春に語れば、元春も同じ夢想を蒙れりとて、兄弟相伴ひて元就に語りて、尼子の助命をしたりといふ(『安西軍策』)。

 睡眠中に脱出する神魂は、全く神の如くなるを以て、未来の事をも知る事あり。
 渡辺幸庵、寛永八年三月四日、炬燵(こたつ)にあたりて不図(ふと)微睡(まどろ)みたるに、三十ばかりなる男出で来て、「自身の過去の因果を判断してくれよ」との事なりしかば、年齢を聞きて、紙に記したりと見て、夢は覚めたり。
 然るに、半時ばかりを経て、戸を開けて来る者あるを見れば、夢に見し男なれば、奇(あや)しと思ひて、「何の用事にて来るぞ」と問へば、「過去の因果を承りたくて」といふ。全く、夢に見たると同じかりきといへり(『渡辺幸庵対話』)。

 また、『雲根志(うんこんし)』の著者・木内石亭(せきてい)は、或る年の正月五日の夜の夢に、常に見たく思ひし龍の珠(たま)といふ物を、人の持ち来て見せしを見れば、馬の鮓答(さとう)なりしかば、その趣を告げたるに、その人、大いに怒りたりと見て夢は覚めたりしに、二月五日に至りて、夢に見し人と同じ人来りて、龍の珠といふ物を見せしを見れば、全く鮓答なりきといへり(『雲根志』)。
 また、或る年の正月五日の夜の夢に、葡萄石といふ、色も形も真物の如き石を見たりしに、翌年の正月五日、夢に見たる物と異ならぬ物を買ひ得たりといふ(『雲根志』)。
 また、文政二年の事なり、江戸の下谷に住める何某とかやいふ男、夢に団子の毒に当たりて死にたりと見て、驚き覚めて、不思議なる夢を見しものかなと思ひ居たる程に、妻なる女、団子を作りたりとて勧めたれば、夢見を思ひて食はずして措きたりしに、妻には疾(と)くより密夫ありて、密夫に勧められて団子に毒を入れてありし事、露顕したりといふ(『半日閑話』)。

 また、夢中にては、故人に逢ふ事もあれど、大抵は生前の心にて逢へば、その死者たるは忘るゝ事なるを、稀には死者たるを知りて、疑問など為しもあり。
(夢はその人の神魂の出離して見聞する事なれば、その神魂は生人の神魂にも死者の霊にも出会すべし。然るに、死者の霊に逢ひては、多くはその人の生前の事なるは、相互神魂の共に死を忘れたるが為なり。然れども、稀には死者たるを記憶して、怪訝せるもあり。)

 日吉の真源法橋(ほうきょう)は、その師・巌算阿闍梨を夢中に見て、「貴僧は既に亡(う)せし人なるに、何故にかくておはせるぞ」と問ひたれば、「その事なり、吾が身は存生の時に名利の心を催したる故に、既に悪道にも落つばかりしを、権現の御慈悲にて、当社の辺(ほとり)に召し置かれて、種々に扶持し給はれて在るなり。総て山門に跡を留め、社壇に歩を運ぶ輩(やから)は、卑賤禽獣に至るまでも残し給ふ事なし、況(いわん)や社司・寺官は皆、奥の山・八王子谷の辺に召し置かれて、昼夜に加護して利益を懈(おこた)り給はず。いざたまへ、事の様(さま)を見せ申さん」とて、奥の谷の後ろざまに伴ひ往きしに、神人・僧侶も数多(あまた)見えて、居所も、修因の善悪に従ひて、朱楼紫殿もあり、松房竹窓もありて、権現の慈悲、いふばかり無かりしに、覚めて後も、涙せきあへざりきといふ(『日吉山王利生記』)。

 滝沢馬琴の夢中の記事に、寛政十一年三月十七日の夢に、亡友・何某の来(きた)るに伴はれて冥府を見物したりしに、不図、先年亡せし外姑(がいこ)・会田氏に出会ひせしを以て、一別以来の物語などせし程に、衆多の小児来て外姑に物を乞ひたれば、外姑は木札やうの物を与へたるに、小児はその物を持ちて何方(いずかた)ともなく走り行きしに、暫くしてまた来りて、この度は外姑に菓子の様なる物を与へて走り去りしを見て、馬琴は訝(いぶか)りてその故を問ひしに、外姑の言ふには、「娑婆(しゃば)にて、父母妻子などの、亡者の為に物を施す事あれば、その物、必ず冥府に帰して、亡者の物と為るを、冥府には冥府の掟ありて、割符を与へて、物に換へしむるなり」と答へたりといふ(『烹雑(にまぜ)の記』)。

 因(ちなみ)に、『出定後語(しゅつじょうごご)』に、趙氏の『賓退録(ひんたいろく)』を引きて、東坡(とうば)、或る夜、夢に、山中を往きて猛虎に遇へりしに、道士来りて猛虎を叱りて去らしめたり。然るに翌朝、一人の道士来りて、「昨夜、夢に驚きし事なかりしか」と問ひし事ありといふは、幻術なりと評したり。然れば、これは真実の夢にはあらずして、幻術を以て夢の如く見せしなり。
 幻は、瞑目中、思想の描く影にして、過去を追想すれば過去の象を現し、異郷を推想すれば異郷の象を現すなり。然れば、幻は現時の夢の如くにて、唯その面影を見るのみなれば、夢と相(あい)往来し、或は病中などには鬼物をも見る事あるなり。

 周防国山口の城主・大内義隆の家人・浜田与兵衛といふは、義隆に随ひて上京して居たりしに、年を経てまた義隆に随ひて帰り下りしかば、まず城中に入りて、夜更けて家に帰らんとして城門を出でたるに、城外野辺にて男女十人ばかり、月見の宴を催し居るを見て、「主人の、今こそ還られたるに、何者どもか」と木陰に隠れて見れば、家に残したる妻も酒宴の席に居れば、怪しみながら尚窺ひ居たるに、喧嘩出来て、妻の、盃を投げたるより、座中一同騒ぎたるに、燈台の火も消えて、今まで居たる男女は影も見えずなりたれば、浜田は大いに驚きて、「さては、妻は既に亡(う)せて、今見たりしはその霊なりしか」となど思ひ続けて、急ぎて家に帰れば、妻は起き出でゝ、「君を待ち侍りし程の仮寝に、怪しき夢を見侍りき」と語るを聞けば、城外の月見の宴にて盃を投げしなど、浜田の見たる所の如くなりきといふ(『御伽婢子(おとぎぼうこ)』)。
 これは、浜田は久しく別れ居て、妻の上を思ひしより幻影を見、妻はまた浜田を待ちて、然る夢を結びしなるべし。

 また、ある人、夏日炎暑の時、終日奉行所に居て執務して、日暮れに家に帰りたるに、妻をはじめて諸人の顔、皆異様に見えて、鬼の如きも牛馬の如きもありしかば、抜き討ちにせんかとも思ひしかど、躊躇(ためら)ひて、一室に籠りて心を休めて出でゝ見たるに、常の如くにて異なる事も無かりしかば、「さては、疲労の甚だしかりしよりの事なりしか」と、後には人にも語りたりといへり(『聴松記』)。
 
 
 
清風道人
カテゴリ:扶桑皇典
 

←前へ

|

次へ→

 

最初の記事からのリスト
 
 ▼関連記事一覧
#00259 2013.10.23
『幽界物語』の研究(29) -夢について-
『幽界物語』( #0231【『幽界物語』の研究(1) -概略-】>> )より(現代語訳:清風道人)

参澤先生より書簡で問 「この度、清玉異人(幸安)を使いとして神幽の実教を人間(じんかん)に伝え、不信の輩(やから)を諭し給うということですが、このような大事は必ず王侯の身に託するべき道理ではないかと存じますが、いかがでしょうか。また、
カテゴリ:『幽界物語』の研究 続きを読む>>
 
#00258 2013.10.17
『幽界物語』の研究(28) -参澤先生の霊的体験-
『幽界物語』( #0231【『幽界物語』の研究(1) -概略-】>> )より(現代語訳:清風道人)

参澤先生より書簡で問 「弘化二(1845)年正月二十四日の夜、夢の中で前年十一月十九日に死んだ駒木根(こまきね)又一久富(またいちひさとみ)の家宅に参りました。かねて心に掛けていた幽冥のことを問い試みようと思い、家の裏口から竹垣の上を
カテゴリ:『幽界物語』の研究 続きを読む>>
 


 
 
 
 (google
     新規会員登録
 
カードでのお申し込み
銀行振込でのお申し込み
 
◎特定商取引に基づく表記
◎プライバシーポリシー
SSLページは通信が暗号化され
プライバシーが守られています。

携帯サイトはこちらから
 お知らせ
 
◎会員様へのご案内メールについて
  

◎携帯サイトURLはこちら
  

◎Q&Aについて
  

◎今後の掲載予定
  

  Q&A(会員様のみ)
 
質問をする(会員様のみ)
今までの質問へのお答え
◎同性婚について
◎大祓詞について
◎滝行について
◎産土神について
◎日本古学を深く学ぶために
◎宮中で女性がお仕えするわけ他
◎天孫降臨の地
◎「道を得る」を登山に例えると
◎「縁」は「産霊の徳」によって編まれる
◎宮地神仙道について
◎日本の国体を護持される高僧
◎社会人としてのマナーを守りましょう
◎「悟り」を日本古学的に考えると
◎それぞれの「道」
◎神仙の道を修するということ
◎真偽の見分け方
◎「仙童」寅吉が念仏仏教を嫌った訳
◎道を得る法
◎少名彦那神が常世国へ渡られた理由
◎ヤマタノオロチと熊野
◎先祖供養について
◎イエス・キリストのこと
◎己の器の大きさを知る
◎魂で感じる
◎ダークエネルギーとダークマター
◎宇宙の意思
◎幽界と顕世は表裏一体
◎神仙得道の法
◎輪廻転生
◎仏縁
◎神火清明 神水清明
◎鏡について(2)
◎鏡について
◎洗米の処理
◎霊症から身を守る方法
◎罪穢れの解除
◎霊性向上とは?
◎大物主神(2)
◎大物主神
◎妖怪とは?
◎天皇を祀る
◎神=エネルギー?
◎はらいきよめ
◎人はなぜ生まれ変わるのか?
◎たましひの響き
◎動物について
◎生命が宿る瞬間
◎オーラ
◎「気」について
◎女性と黄泉国
◎アトランティス文明について
◎太陽と月と地球の関係
◎「心と体のリセット」について
 
 閲覧回数トップ10
幸福な人生をおくるために
『古事記序文』解説(1)
『幽界物語』の研究(1) -概略-
『異境備忘録』の研究(1) -概略-
扶桑皇典(1) -人智の狭隘-
『古事記序文』解説(4)
『本朝神仙記伝』の研究(1) -饒速日命-
扶桑皇典(3) -天地開闢・上-
尸解の玄理(1) -神化の道-
『異境備忘録』の研究(9) -長生不死の道-

 
  カテゴリ
玄学の基本
日本の神伝
世界太古伝実話
『仙境異聞』の研究
神仙の存在について
神道講話
清明伝
神道宇宙観略説
尸解の玄理
『幽界物語』の研究
怪異実話
『異境備忘録』の研究
『本朝神仙記伝』の研究
無病長生法
扶桑皇典
 
 以前の記事
2017/10
2017/9
2017/8
2017/7
2017/6
2017/5
2017/4
2017/3
2017/2
2017/1
2016/12
2016/11
2016/10
2016/9
2016/8
2016/7
2016/6
2016/5
2016/4
2016/3
2016/2
2016/1
2015/12
2015/11
2015/10
2015/9
2015/8
2015/7
2015/06
2015/5
2015/4
2015/3
2015/2
2015/1
2014/12
2014/11
2014/10
2014/9
2014/8
2014/7
2014/6
2014/5
2014/4
2014/3
2014/2
2014/1
2013/12
2013/11
2013/10
2013/9
2013/8
2013/7
2013/6
2013/5
2013/4
2013/3
2013/2
2013/1
2012/12
2012/11
2012/10
2012/9
2012/8
2012/7
2012/6
2012/5
2012/4
2012/3
2012/2
2012/1
2011/12
2011/11
2011/10
2011/9
2011/8
2011/7
2011/6
2011/5
2011/4
2011/3
2011/2
2011/1
2010/12
2010/11
2010/10
2010/9
2010/8
2010/7
2010/6
2010/5
2010/4
2010/3
2010/2
2010/1
2009/12
 
 
 
サイトご利用にあたって プライバシーポリシー 会員規約 お問い合せ
Copyright(C) NIHONKOGAKUACADEMY