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自然の摂理から生まれた学問である日本古学を「清風道人(せいふうどうじん)」が現代と未来に伝えていきます。
日本古学から学ぶ「自然の摂理」と「日本古来の精神」が次の豊かで健やかな世界を創るヒントとなることを願って。
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#00721 2021.6.19
真誥(5) -神縁-
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その後又度々通ひ御講義にも罷(まか)り出で、又山にて聞きしに、寿は術気にあり、寒気にあり、痩(そう)にあり。六気を食する者は神明にして、寿し食せざる者は死せずして神なりと云ひ、漢書にありと云ふことを聞く。 又『孔子家語(こうしけご)』に、五穀を食する者は死す、六気を餐(の)む者は死せずとあるは天命を知る故か。平田先生の書には天は神明の根ざす
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#00722 2021.6.25
真誥(6) -皇国の仙道-
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寿薬調合その薬味等考ふるに、遠く探るに及ばず皆近き処に在り。その訳は唐土より度々皇国の寿薬を求めに渡来することあり。秦代に徐福と云ふ者、帝命にて童男童女を召し連れ八丈ヶ島に渡り、こゝにて両児を残し置き薬味を求むる内、未だ整はずして病死す。この墓所は紀州熊野新宮少し南に当り、松林田の中に凡そ壱丈程の高さ、巾四尺の自然石あり。 |
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#00723 2021.7.1
真誥(7) -仙薬-
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唐土より当御国を見て、太平の人に仁ありと云ふこと漢の書にあり。これは太平の御代と云ひし事と思ひしにさにあらず。その註を師に聞くに、東に日の出るを太平と云ふ由(よし)、則ち太平は当御国なり。仁は則ち神なり。依りて天朝の御在宮も東に御定めのことやと恐れながら相伺ふ。たとひ万国を御廻り給ふとも必ず又東へ御帰宮は、日の大御神の東より御廻り給ひて又東に
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#00724 2021.7.7
真誥(8) -北天の都-
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浪花なる水野南北の書に、食究まらざる者はたとひ長命の人相あるとも短命の相に替るとあり。又短命の相たりとも三度の食を究め、朝三椀なれば昼夕も三椀ずつ、朝二椀なれば昼夕も二椀ずつ、これを慎めば長命の相に変る。それのみならず食究まれば貧相も福相に替る。酒も一合余の日酒を用ゆる人は乱食に均し。猪口(ちょこ)二、三杯は薬とも雖(いえど)も、寿人は一杯も
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#00725 2021.7.13
真誥(9) -恩師との別れ-
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然るに予が師はこの都に至る暫くの別れと聞くに付、当七月右見立として山籠、吾より外(ほか)に十三名の見立つるあり。又御迎へども数多(あまた)これあり。その数測り難し。この次第を明らかに著したしと雖(いえど)も、師の遺言もこれあるに付、書に泄らすことを恐る。敬神の人々は面謁を遂げその微なるを物語るべし。
予が師は照道大寿真(しょうどうだいじ
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#00727 2021.7.25
奇蹟の書(2) -心霊科学-
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吾人(ごじん)人類の個体の中心生命は心識(心霊)であって、体躯はその外殻である。心識は実に大宇宙の生機の和凝(にごもり)で、至美至精の妙構を蔵し、万生の霊長たるの素質が賦与されてゐる。凡そ現象界に於て最も確実の存在は自己であるが、人は肉体の失活=死と共に永遠無窮に絶滅するものであらふか。
一般の科学人は人間に限らず、あらゆる生物の体躯が
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#00728 2021.7.31
奇蹟の書(3) -無霊観と有神観-
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植物にも知覚があり、また軽微なれども意識の痕跡が見られ、また睡眠もあることは、既に前世紀の末から一流の植物学者に認められてゐる。また鉱物も生長増量し、人間の工作にかゝってからも弾力、疲労等の痕跡が明らかに見られること、恰(あたか)も人間や他の生物なみであることも既に証明されてゐる。
更にまた十数年前から、人類、動植物、土石一切の自然物に
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#00729 2021.8.6
奇蹟の書(4) -心霊体と肉体の結合-
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抑々(そもそも)心霊なるものは頭脳の一局部に偏在するものではなく、肉体の全部に遍満充実し、肉体と同様の形状を保持する一種の精気体で、その感受性は肉体に於けるが如く、要所々々で度を異にする。これはその組織の霊細胞の配列と密度との関係であって、原形質の優劣に依らぬらしい。その証拠は、修練によって局部の感受性を左右することが可能であることにある。
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