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自然の摂理から生まれた学問である日本古学を「清風道人(せいふうどうじん)」が現代と未来に伝えていきます。
日本古学から学ぶ「自然の摂理」と「日本古来の精神」が次の豊かで健やかな世界を創るヒントとなることを願って。
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#00731 2021.8.18
奇蹟の書(6) -人体光線-
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心霊体が光輝ある電磁性の放射物を有することの発見者は、イタリアの科学者ライヘンバッハであった。それは今から約六十年前のことで、彼の研究は当時一部の人に驚異的な好奇の熱心さで実験を重ねられてゐた催眠術の応用に基いた発見であった。 ライヘンバッハが心霊体から色のついた光線が放射されると言ったのは、自身が視たものではなくその実験人たる被催眠者の心
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#00732 2021.8.24
奇蹟の書(7) -化精-
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心霊原素の本源に就て世の霊魂学者は頭を悩ましたが、大部分はエーテル的であると見做(みな)したことは前項に説いた如くである。吾人(ごじん)も嘗てはその種の考へを持ってゐたが、勿論エーテルは二様の結合形式を持って居て、その第一次のものが心霊要素を為し、第二次のものが物質原素を作るのだらうと想定をしてゐたところ、これも人間の想像たるに過ぎないことが
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#00733 2021.8.30
奇蹟の書(8) -遠感・透視・遊魂-
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俗歌に「死んでも生命(いのち)があるやうに」といふのがあるが、これは恋仲の両人が情死をしたいといふ心になっての願望を茶化して唄ったもので、作者は無論のこと死後の生命を信じてゐるのではないのだ。 然るに近年勃興した心霊科学で、人は死後にも生命があることが確実になったのは、いはゆる世紀の驚異である。しかし一般の唯物学徒は先入主に捉へられて、頑と
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#00734 2021.9.5
奇蹟の書(9) -心霊現象の実例-
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<新派俳優の怪動> 知人の三田君が大正の初年に北海道へ渡ってゐるとき、新派劇の小松緑といふ男優と懇親になったが、その役者が大病に罹って巡業が出来なくなり、某地の素人下宿屋に居残って寝てゐた。 或る日、三田君は緑を訪問すると、明日も知れないほどの重態に陥ってゐるので憐れに思ひ、その夜は滞在して看護をやってゐた。すると翌朝、緑は三田に対(むか
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#00735 2021.9.11
奇蹟の書(10) -霊夢-
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未来の運命を正夢にて見る事実も世間に少なくないが、これも見方によれば一種の遠感である。この種の遠感の理法なるものは、実に人間の知識や官能では真実な説明が容易に得られないものだ。但し夢の知覚上の表現法は、人の覚醒時に於ける予知(予言)のそれと区別の無いものである。即ち夢として知覚に入らせるのと、覚醒中の意識に上らせるのとの相違があるのみだ。
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#00736 2021.9.17
奇蹟の書(11) -生霊-
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生霊(いきりょう)なるものは、心霊学者の云ふところの二重体なるものと全然同じものであるやうに考へられるけれども、全くの別物である。(二重体は後章に述べる。) 生霊は心霊体が肉体から遊離をしたものであって、副体(一名は幽体とも称せられる、これも後章で述べる)の幾分を伴ふて出現するものと見做(みな)される。 #0496【扶桑皇典(26)
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#00737 2021.9.23
奇蹟の書(12) -生霊の実例-
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<例一・執念の女の生霊> 約七十年前の古いことであるけれども、面白い事実がある。松江の外中原に中村氏なる旧藩士があって、玄関の室を臨時に下男・千平の寝室に当てゝ居たが、千平は毎夜寝てから高声に魘(うな)され、いつも主人に呼び覚まされるのが常例のやうになって居た。 或る夜、更けて雨の降る真暗い中を、主人の若い弟が無燈にて他から帰って来て、門
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#00738 2021.9.29
奇蹟の書(13) -二重体(一名複体)-
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同一人間の肉体が、時として二個の存在として他人の眼に見へることがあるが、これは病理学や生理学では毫(ごう)も解釈が付かない。心理学者は見る人の幻覚だと云ってはみるものゝ、彼等自身に於ても実は甚だ覚束(おぼつか)ないことに感ぜられてゐる。
同一人間が二個並び立った場合には、勿論その一個は真物で、他の一個は仮体(影ん坊の類)であるけれど、容
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#00739 2021.10.5
奇蹟の書(14) -二重体の実例-
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<例一・日本に於ける古い記録> 我国にて二重体の最も古い記録は、彼(か)の『今昔物語』がこれを収めてゐる。その記述のさまは以下の如くである。 平安朝の頃、女御(にょうご)の許に仕へる小中将の君といふ若い女があった。容姿も心ばへも美しくあったので、美濃守(みののかみ)藤原隆経がこれを情婦として愛するやうになった。或る日、小中将が薄色の衣と紅
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#00740 2021.10.11
奇蹟の書(15) -交霊術と霊媒-
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死後の心霊を検証し、または死者の意思やその生活状態を知るために行はれる交霊術なるものがある。またこれには霊媒なる特殊な能力を持った人間が必要な道具になって居る(「交霊」は二十余年前までは「降霊」の字を以て書き表された。字義はこの方が正しいけれど、現代一般の用ふるところに従って本書には「交」の字を用ゐた。また「霊媒」といふ字も近時の無理な訳語で
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