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#00541 2018.6.25 |
日本は神仙往来の要路(1) -本立ちて道生ず-
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(清風道人云、この『日本は神仙往来の要路』は、美作一宮・中山神社の神官を勤められ、『天地組織之原理』『神道宇宙観略説』等を著された国学者・美甘政和(みかもまさとも)先生による論考です。 #0210【神道宇宙観略説(1) -宇宙の大精神-】>> )
平田(篤胤)先哲の赤県(中国)太古のことを論じられたるに就て、聊(いささ)か御参考に供しおくことあり。 #0254【『幽界物語』の研究(24) -平田篤胤大人のこと-】>> それは、後世の支那学派の人は、世に大家と称せらるゝ儒家と雖(いえど)も、彼(か)の国の太古のことを詳しく論じたる人は聞かざる所にして、東洋人が道徳の泰斗(たいと)と仰ぐ孔子ですら尭(ぎょう)・舜(しゅん)以前のことはあまり論ぜざる所なれども、「本立ちて道生ず」と云ふ時は、必ず尭舜以前に遡らざるべからざるものなり。 故に平田先哲は、彼の国の古書を撰び『赤県太古伝』を撰述せられたるのみならず、これに属する書、数巻を著しおかれたり。
凡そ尭・舜以前、三皇五帝等の太古の事を論ずるに至れば、尭以前の帝王たる者は一人として彼の国に生まれたる人は無く、皆東方より渡り来(きた)る神仙のみにて、或は雲祇車に乗り、或は六堤羽に駕し、或は六龍に駕す等、皆空中を飛行したる神仙なりしが、先哲も云はれたる通り、雲祇車、六堤羽の類は皆我が古伝にある天磐船(あめのいわぶね)の類にて、神祇の空中往来の乗駕にて、我と彼とその名を異にするものと聞こゆるを、支那より東方の国とは日本即ち扶桑日出ずる所の国にして、彼の国の尭以前の神聖は皆我国より渡り給へる神等(かみたち)なりとは、先哲の早く彼の国の古伝書を調べて論じられたる中にも、孔子は尭以前を知らざるには非ざれども、尭以前を論ずれば、自国の真聖は一人も無く、皆東方の君子国の神真なるが故に、周の世に至りて三皇五帝の名を換へ、尭・舜を五帝の中に加へたる等、周公旦が意を固く守りて、自ら老子より伝へ受けたる帝営以上の真聖等のことはその門人にも言を憚(はばか)りしなりとは、先哲の詳しく論じおかれたる所なり。 #0397【『本朝神仙記伝』の研究(15) -駕龍仙人-】>> #0530【君子不死之国考(3) -皇孫命降臨の年代-】>> 孔子の、聖にして周の世に生まれ、周の祖先が東方の君子国即ち他国より渡り来りたりと云ふは、実に憚る所ありしならん。 #0533【君子不死之国考(6) -孔子が憧憬した君子之国-】>>
かくの如きものにて、支那にても尭以前の事を講ずれば皆吾神典と同じく、その史書は幽事神事多く、全く神仙境なりしは彼の国の古伝書の明文が保証する所なり。 #0356【『異境備忘録』の研究(41) -支那仙界-】>> 然れども、彼の国の国風として内尊外卑を旨とし、孔子を以て尚且つ、太古の正伝たる三皇五帝の伝を説いてその奇事の多きとその先の外国より出ずるを言ふを憚る、況(いわん)や後世の儒者をや。
既に儒学者には自ずからこの弊ありて、我が日本の儒者にしても神武天皇以前の事は必ずこれを度外に置き、その本を神武天皇に採る者多し。 これ、彼の孔子の尭・舜を本としたるものと同じく、その根元を失ひたるものなるを、後世の人心には却てその根元無きものを本拠とするを好み、その本原の幽事神奇に属する太古の事は後世期の人の思想外の事のみ多きが故にこれを疑ひ、これを度外視するも又故無きに非ず。 #0188【神倭伊波礼毘古命の誕生】>>
かくの如き理由なる故に、尭・舜以降と雖も文武の世に至る迄は、彼の国にも必ず神仙の境域に近き所の神奇霊妙も多くありしならんを、後世に至りて作為したる書籍等には悉(ことごと)くその霊妙の事を削りて、大史が『史記』を撰びて『五帝本記』を真正の古伝に異なる説を撰び採りたるが如く、頼山陽氏が『政記』を撰びて悉く上古の神奇霊妙を削りて上古の正風を失ひたる如く、和漢とも同一なるなり。更に近時の洋学者、又々新たにこの弊を加ふるに至れり。
これを以て、後世の作為に出る漢籍その他各国の書をのみ旨と学び、これを先入としたる眼を以て我が古伝と支那の太古を比較すれば、彼は早く人事に合し、我には人事に合せざる事多きが如く思はるべけれども、支那の三皇五帝の真正の古伝を読みて彼我(ひが)を比較すれば、又符節を合するが如き事多きなり。 只、彼は早く神奇に遠ざかり、我は長く神奇を保ちたる小差あるのみ。
然るを、近時の書生輩がその支那の上古史をも知らず、近時行はるゝ西洋史(ノア洪水後)の書のみ見て、これを先入としたる眼を以て卒然我が太古の伝説の如き神典の本文のみ見る時は、一見その奇事の多きに驚くも又最もなることなり。 然れども、我国のみ長く神域の余風を存したるは、国土(地球)の長子にして、太古の神等の天地御往復の要路たりし神国なるが故なることは、必ず自得せらるゝ所あるべし。
尚、支那の太古の事を挙げて論ずるは到底略解の成し得べき限りに非ざれば、必ず平田先哲の『赤県太古伝』を旨とし、これに属する『三五本国考』、『大扶桑国考』を始め、五岳、三神山の諸論に就てその然る所以(ゆえん)を研究し、益々斯道(しどう)をしてその光輝を四海に発せんことを勤めらるべし。
既に前にも申したる如く、孔子は尭・舜を祖述し文武を憲章してよく人道を明らかにし、道を外国に広告するに至りたり。 然るに、我は造化の原則に従ひ、高皇産霊大神・天照大御神の神勅を祖述し、八百万神の御実行遊ばされたる神蹟を憲章し、顕幽両大権の帰する所を明らかにする大道なるを、何ぞ天地間この道の行はれざる所かあらん。勤めよや諸君、勤めよや諸氏。 |
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カテゴリ:日本は神仙往来の要路 |
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▼関連記事一覧 |
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#00397 2016.1.31
『本朝神仙記伝』の研究(15) -駕龍仙人-
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駕龍(がりょう)仙人は何人(なんびと)たることを知らず。斉明天皇の元年五月庚午の一日、龍に駕(のり)て虚空(おおぞら)を飛行せり。故に称して駕龍仙人と云へり。
この仙人、その貌(かたち)唐人に似て、青き油帛(あぶらきぬ)の笠を着、大和国葛城山の峰より飛び出(いで)て、生駒山の方に馳せ行き、暫時(ざんじ)の間、同山に隠れて見えざりしが、同
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カテゴリ:『本朝神仙記伝』の研究 |
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#00356 2015.5.27
『異境備忘録』の研究(41) -支那仙界-
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「本(もと)は日本の産(うまれ)にて支那の仙界にある者は、役小角(えんのおづぬ)、橘広継(たちばなのひろつぐ)、常陸坊海尊(ひたちぼうかいそん)、聖徳太子、大津皇子(おおつのみこ)、菊丘文坡(きくおかぶんぱ)なり。然(しか)るに役小角と聖徳太子とは、その本は仏仙界にありしを支那仙界に遷りたりと云へり。」『異境備忘録』
『幽界物語』では、清
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カテゴリ:『異境備忘録』の研究 |
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#00210 2013.1.5
神道宇宙観略説(1) -宇宙の大精神-
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この「神道宇宙観略説」は、中山神社宮司・美甘政和(みかもまさとも)先生が大正5年に脱稿された著述です。美甘先生は、明治~大正時代における神道界の重鎮・宮地厳夫先生とも親しく交流をもたれた国学者でした。(編集及び現代語訳:清風道人)
方今、世で行われているところの宇宙観の各説は、いずれも今日の天体を観察したもので、形而下物質上の可知的宇宙
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カテゴリ:神道宇宙観略説 |
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#00188 2012.8.27
神倭伊波礼毘古命の誕生
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「この天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこひこなぎきたけうがやふきあえずのみこと)、その姨(みおば)玉依毘売命(たまよりびめのみこと)に娶(みあい)まして生みませる御子の名(みな)は、五瀬命(いつせのみこと)、次に稲氷命(いなひのみこと)、次に御毛沼命(みけぬのみこと)、次に若御毛沼命(わかみけぬのみこと)、またの名(みな)は豊御毛沼命
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カテゴリ:日本の神伝 |
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