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#00425 2016.7.18
『本朝神仙記伝』の研究(43) -長清道士-
 
 
 長清(ちょうせい)道士はその本名を詳らかにせず。相州北条家の家臣なりと云ふ。
 道士の父もまた名有る勇士なりしが、関中擾乱(じょうらん)の時、賊兵・何某の為に殺されしに、道士力足らずして速やかにその仇を復すること能(あた)はずを憤り、遂に上野国なる金洞山に隠れ、人跡絶へたる巌窟(いわや)を住処(すみか)となし、黄精を服し木の実を食ひ、日々刻苦艱難(かんなん)を極め、大石を斫(き)り大木を打ち等して気力を練るを常とし、兵法撃剣の法を習熟すること数年にして、その極意を得るに至りしかども、世にこれを知る者無かりしとなむ。

 かくて業成りたる後、剣を挟みて仇を四方に捜しけるが、天網(てんもう)争(いか)でか罪人を洩らさむ、忽(たちま)ちその居所を探り得しかば、即ちそこに至りて、友に天を戴かざるの義を説き、彼をして立会はしめ、剣を抜ひてこれと戦ひ、一撃の下(もと)に復讐を遂げしかば、衆人これを聞きて、その義勇を感称せざるは無かりしとぞ。

 然(しか)れども道士は退きて剣を投げ棄て、憮然として嘆じて云ひけるやう、「武を以て禁を犯す者、成徳のことゝ云ふべからず。今また何をか求めん、我は吾が欲する所を為すべきのみ」とて、遂に再び金洞山に隠れ、仙道を修め、浩気(こうき)を養ひ、足には鉄の屐(あしだ)を履(ふ)み、手には鉄の杖を取りて、常に山岳の間を徘徊し、重ねて世に出でず。風に御し雲に乗りて行くこと、宛(さなが)ら平地を歩むが如くなりしかば、人これを見て驚嘆せざるは無かりしとぞ。

 かくてある時、一匹の子牛何処よりか出来りて巌窟の辺(ほとり)を去らず。道士よくその心を知り、牛もまたよく道士の意を知りて、馴れ使ふること恰(あたか)も奴僕(ぬぼく)の如し。
 これを以て、この牛もし里に来ることあらば、町人これを見て「仙人の牛来れり」と云ひて、角に付けたる筒中の書を開き見て、即ちその求むる所の物を牛の背に載せ、または角に掛け等すれば、牛即ち足に任せて山に帰る。その路(みち)甚(いと)険しくして牛馬の通ふ所にあらざれども、行くこと平地の如くなりと云ふ。

 これに依りて、衆人普く道士を敬慕せざる者無く、訪ね行きて教へを請へば、唯「諸悪莫作(まくさ)、衆前奉行(ぶぎょう)」と云ひて、目を閉じて開かず。病者行きて治療を請ふ時は、懇(ねんご)ろに善道を説き示して、薬を与へ給ふ者あり、咒文を授くる者あるに、皆治病せずと云ふこと無し。心悪しき者至れば、「我知る所にあらず」とて退けらるゝに、果たして治療せざりしとなむ。大病人等にて山に登り難き者は、人を遣はして懇願せしむるに、道士自ら山を下り来り、病者を診て禁厭(まじない)を為す。

 ある時、麓の里に病者ありて請ひけるに、その家に来り、禁厭を授け終りて忽ち云へるには、「只今、山にも来りて禁厭を乞ふ者あり」とて、不図(ふと)立ち出で庭中の柿の木に登るにぞ。
 家人ども、「柿の御好みとならば、我等取りて参らせむに」と云ひつゝ、追ひ継ぎて木に登りけるに、道士は柿を取るにはあらで、即ちその梢(こずえ)より虚空を踏むこと平地の如くして、忽ちに山の方を指して飛び去りけり。 #0332【『異境備忘録』の研究(17) -水位先生の幽顕往来-】>>
 人々大いに驚き、後を追ひ山に行きて窺ふに、道士は早くも帰りて、咒文も半ば済ませて居りしとかや。これより人皆道士の飛行自在なるを知らざる者無きに至りぬ。

 然れば治病を得、命を救はれたる者ども、その厚恩を謝せむと種々の物を贈れるに、道士は只黄精と木の実のみを食して他の物を食はず。また自ら粗服を着して美服を用ひず、人より贈る所の衣食は皆不用なりとて、悉(ことごと)く貧民や小児等に与へけるとぞ。
 かくの如くなりければ、衆人のこれを敬すること鬼神の如く、これに仕ふること主君の如くにして、唯人のみに止まらず、狼熊の類ひと雖(いえど)も皆よく馴れ近付きたりとぞ。

 ある夜、烈風暴雨俄かに至り、丘岳鳴動し、山鬼號哭(ごうこく)すること百雷の頭を圧するが如し。道士色を正しうしてこれを叱るに、忽然として止みぬ。折節(おりふし)その所に行き合はせ居たる人ありて、その状景を怪しみ、これを問ふに、道士の曰く、「我が眷属に法を犯すものあり。今これを責むるなり」と。その道術かくの如く奇なり。

 道士、容貌奇異胆力測られず、平生の面色桃花の如くにて、五十歳ばかりの齢(よわい)に見えけるとなむ。慕ふ者の群来るを厭(いと)ふにてもやありけむ、霊元天皇の延宝元年、享年百四十八歳にて巌窟に籠り、扉を掩(おお)ひて入定(にゅうじょう)せり。牛もまた従ひて死す。道士の石像・木像、並びに鉄屐、牛の頭より出でし白玉またその遺骨数片、今猶存すと云ふ。

 厳夫云、本伝は、矢野翁が『金洞山縁記』より採りて『皇国神仙記』に挙げられたるを、更に採りてこゝに載せたり。同『縁記』には、安永戊戌(ぼじゅつ)夏、上毛国なる高克明(たかかつあきら)が撰びたる漢文の碑文もありと云ふ。
 矢野翁曰く、「この『金洞山縁記』は画工・鈴木我古と云ふ人の集記せるものにて、平田延胤主より借り得て写させつるなり。その師・寫山(しゃざん)が『上州中獄(なかだけ)は日本第一なり』と云へるに因りて、嘉永辛亥の季春に訪ね行きて、その奇勝を探り得つることをも記し、また道士の作なりとて、堅石数丈を斫り割き、また穴を穿ち等したり。蓋し道士が力を練りし時のことなるべし。この山、只水に乏し、道士の工夫とて、土砂を岩下水の滴る所に積み集めて、水を土砂中に含ませて朝夕に供したりと云へる所、今も仙人水とて遺れり。中獄また金洞とも云へり。また平澤元愷の『漫遊文章』に『遊金洞山記』ありて、『妙義祠云々、長清を以て開山の祖と為す。金洞上方にその墓あり。今を距(さ)る百二十年矣(い)、妙義に在り云々』とあり、この山また金鷄山とも白雲獄とも云ふ」。

 然るに長清道士は、その父の仇を復(かえ)さむとて人事を放棄し、この山中に入りて刻苦艱難を甘むじ、遂に兵法撃剣の蘊奥(うんおう)を極めて、ものゝ見事に復讐を遂げたるを思ふに、その孝心の切なること云ふを待たずして明らかなり。
 かくて道士、もし本懐を達したる後、世に立たむと欲せば、衆人その義勇に感ぜざる者無かりしと云へば、如何なる出世も為し得べかりけむを、武を以て禁を犯したる者、成徳のことを云ふべからずとて、剣を投げ棄て再び金洞山に隠れ、更に仙道を修めて神仙得道の身と成り、風に御し雲に乗りて虚空を行くこと、宛ら平地を歩む如くなりしと云へるは、即ち修練功積りて玄胎を得、所謂(いわゆる)純陽の身と成れるに因るものなるべし。(中略) #0226【尸解の玄理(5) -本真の練蛻-】>>

 道士はその身の飛行自在なるのみならず、咒文を唱へて人の病を治め、牛を使ひて奴僕の如くならしめ、一喝の叱声忽ち山鬼の號哭を止めたるの類ひ、意に任せて為し得ざること無きは、これ全くその得道を証明するものと云ふべし。
 中に就きても、仙人の牛を馴らしめこれに乗り、またはこれを使ひたることは、仙道の開祖とも云ふべき老子も、周を去りて西域に向ひし時、青牛に駕して凾谷関(かんこくかん)を過ぎたりと伝へ、また洪志と云へる仙人もその伝に、高才博学にして道を廬山に学び、異人に遇ひて神法を授かり、よく六甲を明らかにして鬼神を使役し、変化測られずに至れる人なるが、これも常に青牛に乗りて往来せしを以て、その山谷を名付けて青牛谷と云へりとあり。些か長清道士に似たる所無きにあらず、故に参考に挙げたり。
 畢竟(ひっきょう)、道士がかくの如き極めて高尚なる道を得たるは、即ちその至孝の感応に因るものなるべし。故に道を求めむと欲する者は、必ずまず忠孝を以て本(もと)とせざるべからず。 #0315【怪異実話(31) -神の出雲参集の伴をした人のこと-】>>

 因みに記す、我が道友・水位霊寿真の『異境備忘録』に、由ありて妙義山の幽界に至れるに、同所に居る十七天狗と云へるに遭へることありし後、明師・杉山僧正に問ひたるに、「かの十七天狗の中なる青龍天眼坊と云へるがかの山の主にて、余は皆その眷属なり」と答へられきとあり。
 思ふにこの青龍天眼坊と云へるが、即ち長清道士のかの界にての名にはあらざるか。それは、杉山明師の答へに「かの山の主にて」とあるを、よく意を用ひて考ふべし。 #0335【『異境備忘録』の研究(20) -天狗界の飛行法-】>>

(清風道人云、「矢野翁」とは矢野玄道(はるみち)先生のことで、先生は皇典講究所初代学部長を務められる等、明治初期の文教行政に深く関わりつつも、現界での地位名誉を一切求めず、また妻を娶ることなく生涯独身を通され、一心不乱に古学及び神仙道の研鑽に励まれたことが伝えられていますが、先生もまた宮地水位先生及び宮地厳夫先生と同様に、当時何らかの事情によって神集岳から人間界へ派遣された謫仙の御一人であったものと拝察されます。 #0224【尸解の玄理(3) -実在する尸解仙-】>> #0337【『異境備忘録』の研究(22) -紫房宮の七神仙-】>>
 その矢野先生の手記に、「凡て現在の辛苦艱難は真(まこと)の心を開眼さす為の人道にして、その快楽と見るも仮の快楽、艱難と見るも仮の艱難としも知らざるべし。それは、この現世は人の本世には非ず。蓋し仮の世にして、皇祖天神の人をこの世に生ましめ給ふは、その心を試み徳行の真位を定め給ふとて寓居せしめ給へるにて、試み畢(おわ)りて幽世に帰り入れば、尊きは自ずから尊く、卑しきは自ずから卑しく、いぶせみ居りし宿願も、その生涯の徳行の大小に依りて初めて成就遂げて、心足らひに得せしめ給ふと聞こゆ。現世は譬へば行く旅にて、幽世は真の故郷の如し。されば世に貴み恋ふ位・禄、共に後世に益あること更になし。只、己に得たる日々の善徳と誠のみ真実と云ふべかりける。凡て人の本世は現世ならで幽世に在りて、本業もまたこの世に在らで彼世に在ればなり」とあり、羽雪大霊寿真仙・平田篤胤先生とも共通する仙風が感じられます。 #0134【大国主神に神習ふ】>> #0254【『幽界物語』の研究(24) -平田篤胤大人のこと-】>> #0340【『異境備忘録』の研究(24) -神仙と成った人々-】>> )
 
 
 
清風道人
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