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#00213 2012.1.23 |
神道宇宙観略説(4) -人は万物の霊長-
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この「神道宇宙観略説」は、中山神社宮司・美甘政和(みかもまさとも)先生が大正5年に脱稿された著述です。美甘先生は、明治~大正時代における神道界の重鎮・宮地厳夫先生とも親しく交流をもたれた国学者でした。(編集及び現代語訳:清風道人)
霊・気・質三元の内、気なるものは霊の次位にあって、天地間の生々の活動を司る勢力ですが、この気は霊に属し、また質にも属するもので、霊と質との中間に位置し、無形のようでありますが、これにも原子はあるはずです。今日の科学において、気中に電子や磁子があるといい、陽性と陰性があって互いに相吸引するとされており、その他エネルギーというものなども全て気の属性であります。ある説では気=霊であるとし、気に意識があるように論じているようでありますが、我が神伝に従って考えると、霊と気は全く別物で、気は霊の働きを助ける活動を行っており、気には智・情・意の働きは無いのであります。 #0212【神道宇宙観略説(3) -神代から人代へ-】>>
これは自己の身体について考えても、体中において血流が循環し、あるいは食物が体内で消化されて身体を養うのも、心意に関わらず知らず知らずの内に行われますが、これは心意を離れた気、即ち勢力によって行われるもので、それらは不随意神経というべきことを考えても、霊と気とは別物であることが分かります。また、身体に針ほどの小さなものを刺しても痛みを覚えて心意に感じますが、これも全く気という勢力が心意に告げるのですから、気は霊にも属し、また霊を離れても運動するもので、霊を離れた時は気には意思が無いことを思えば、霊と気は別物であることは明らかであります。 その他、電気や磁気などもその性質は異なりますが、全て気の属性であり、いずれも意思が有るものではありません。これによって、霊と気とは、あるいは合し、あるいは離れ、全く別の二物であることを知るべきであります。
天地開闢(かいびゃく)以前にさかのぼれば、気も霊光と同じく宇宙間に充満した気原子で、その気原子の精々なるものが実在天地成立の前に当たり、質原子の精々なるものと共に、別天(ことあめ)即ち幽中の幽府に集結して大元霊の坐(ま)す宇宙中心に大元星を造り給う元要素と成ったものと窺われるのですが、その成立した所以(ゆえん)は前述したとおり、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)と二柱の皇産霊神(みむすびのかみ)の造化の御霊徳によるものであります。 #0210【神道宇宙観略説(1) -宇宙の大精神-】>> #0211【神道宇宙観略説(2) -天体の成立-】>>
この大元星である別天を中心として、宇宙八方に各星の元種が蒔かれたのですが、気中の電気・磁気は、この各星と成るべき元種である精々の質と共に無形の気線と成って、各星はしだいに成立して、今日に至るまで中心である別天の大元星の活動に従って各星が運行するのは、全て気力によるものであります。 宇宙間にある星球の数は無量の大数ですが、その星球の運行を一糸乱れないように万世に貫いて大活動させるものは、全く中心大元霊の神算に出でて、これに従う気の大勢力であります。天体中の各星球で、別天大元星を中心として公転するものと、地球のように太陽を中心として公転するもの、月のように地球を中心として公転するものがあり、実在天地の宇宙間は、開闢以前の単純に比べて煩雑極まりないものであります。ところが、その煩雑極まりない宇宙間において、秩序整然として一糸乱れないのは大元霊の霊徳によるもので、その気力によってこれらの公転自転の大運行を成さしめ給うためと窺われるのです。 そして、その運行を司る気線が有形のものであれば、一か所に幾千万億の線糸が重なってまとわりつき、どうにもならないほど煩雑極まりないものですが、その煩雑な各星の運行を一線の乱れもなく自由自在に運行させるのは、その気線が無形線であるからです。つまり、有形実体の各星が運行するのは全く無形の気線によるもので、その秩序整然とした運行が得られるのは、大元霊と坐す天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)の霊徳によるものと窺われるのであります。
今日の人間も、己の一身の活動は気力によるものですが、その気力は人霊すなわち魂心の命ずるところに従って活動するに過ぎず、つまり身体なるものは無形の霊と気に従って活動するもので、物質である有形の身体のみでは思考も活動もなく、一つの土製人形のようなものです。これに活動があるのは、体中にある無形の気力によるもので、その活動が得られるのは全く無形の霊である心魂の命ずるところによるものであることは、己の一身上について考えてみれば自得されるはずであります。 #0028【霊・気・質の関係】>>
電気や磁気は無形の原子が集合した勢力で、今日の物質世界の人代においても、無線電信電話などが行われることとなり、人意によってこの大勢力を使役するに至ったのでありますが、何物が人の体中にあってこの大勢力を意のままに使役するかといえば、他でもなく人には造化の大元霊と坐(ま)す天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)の御霊光が宿って人霊に四魂の魂徳が備わり、智、情、意の働きがあるからであります。 #0009【生命が宿る瞬間】>> #0038【一霊四魂】>>
そもそも人は、尊卑の別があるといえども、神代の八百万神の神孫である国津神の遠孫であり、決して猿類が進化して人類と成ったのではありません。猿人論者の説を聞けば、宗教者のことを迷信者として眼下に見下すようでありますが、猿人論を迷信して自己を猿の子孫とし、自ら人格を失う輩(やから)に比べれば、宗教の信者は高尚な人格であるといわねばならないでしょう。 #0059【人類の祖先は本当に猿類か?】>> 方今天地間の大勢力である電気をも使役するに至ったことを見ても、人徳の高いことを知るべきです。人がこの天地間の気力を使役するためには、その気力より以上のものが人体中に無ければならないことは最も分かりやすい道理であり、人類が「万物の霊長」といわれる所以(ゆえん)であります。 #0012【人は万物の霊長】>> |
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#00210 2013.1.5
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#0059 2010.10.8
人類の祖先は本当に猿類か?
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これは太古の鎮火祭(ちんかさい)の祝詞(のりと)の一部ですが、「麻奈弟子」とは古言で「末
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