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#00553 2018.9.11 |
混沌五岳真形図説(1) -概略-
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(清風道人云、この「混沌五岳真形図説」は、前述の「『幽界物語』の研究」や「『異境備忘録』の研究」、「東王父・西王母伝」等の記事中に屡々(しばしば)登場した「五岳真形図」について、宮地神仙道の道統を継承して神仙道本部を主宰された清水宗徳先生(道号・南岳)が、昭和三十年三月三十一日付の広報誌上にて「水位先生御記解題」と副題されて公開された論考であります。 #0274【『幽界物語』の研究(44) -幽顕の理-】>> #0325【『異境備忘録』の研究(10) -諸真形図-】>> #0356【『異境備忘録』の研究(41) -支那仙界-】>> #0382【水位先生の門流(4) -道統第四代・南岳先生-】>> #0551【東王父・西王母伝(8) -群仙の王母-】>> )
先師(宮地水位先生)の御五十年祭を仕へ奉りしは昨日の如くに思はれますが、早くも春秋一旋転して御五十一年祭を迎送致しました。この御年祭に因み奉りて先師の御幽許を請ひ奉り、頃年(けいねん)いつも心の隅に滞っていた或る天機の開闢について、負荷の一端を果たし得るやの兆(きざし)を拝しましたので、普(あまね)くその道福を分かつ意味に於て、水位先生によりて神集岳大永宮玄台より招来された霊宝・混沌五岳真形図開巻の序文について、その秘説の一端を申し述べ、天親地愛なる我が道士諸彦と共にその深厚の道縁を祝寿致したいと存じます。 #0319【『異境備忘録』の研究(4) -幽界の大都-】>> #0338【『異境備忘録』の研究(25) -神仙界の刑法所-】>>
「道書の重きは三皇内文・五岳真形図に過ぐるは無し」とは道家の等しく言ふところでありますが、また「運命の偶に非ざればその篇目をすら知ること無し」と言はるゝ如く、古来この地上に生を享けて道に志した仙縁の士は大層な数に上りましたが、正しくこの真形図に結縁(けちえん)して混沌五岳の精気と五行神の神気を魂魄(こんぱく)に体して真胎を長養した道士の数は極めて少数でありまして、それはそれだけの霊的因縁あってのことで、本来は「霊真の信(しるし)」と申して、仙籍に加へられて真位に列した者に対して、その霊信として授与されるわけのものでありますが、先師も申されております如く、現世に生れて神仙道を好慕する者の中には、前世に於て「判令」といふ仙官を得ていた者で、何らかの都合で人間界に出で来た者があり、正しき道統に結縁して重秘な道書に巡り合ふといふ様な事実も、決して偶然のことではないのであります。 #0222【尸解の玄理(1) -神化の道-】>> #0375【『異境備忘録』の研究(60) -神仙道の心得-】>>
一般論から申しましても、この種の重秘なる道書の篇目に通じ、且つその意義を正しく理解してその霊意に繋がるといふことは、取りも直さずその機縁に近付く霊験あるものでありますから、甚だ負気なき次第ではありますが、謹みてその序の解題を以て御五十一年祭を紀念致したいと存じます。
尚、本文の考証面には我が神仙道六師仙中の学仙たる羽雪大霊寿真仙、現名・平田篤胤先生の『天柱五岳余論』及び『赤県太古伝』を引用させて頂いたものが多く、更に精密な考証を要すると思はれる部分も、紙数の都合から止むなく省略を致しまして、本論は概論といった形に止めました。取り敢ずその二書を合せ講究せらるれば、一層詳密を期し得ることゝ存じます。 #0254【『幽界物語』の研究(24) -平田篤胤大人のこと-】>> 素より先生が未だ思ひ至らず、もしくは決しかねておられる説で、本文に於て結論を出しておいたものが随所に御座いますが、それらは今更申し上げる迄もなく、水位先生の恩恵による特別の霊的資料に基づくものであります。 |
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カテゴリ:混沌五岳真形図説 |
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#00375 2015.9.19
『異境備忘録』の研究(60) -神仙道の心得-
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「神仙の道を成就せんと思はん者は、至誠を本(もと)とすべし。或(あるい)は嗜慾(しよく)にして人の物を羨み邪気を生ずる人は、神仙の書籍など好むと雖(いえど)も神仙の道成就し難し。 又、現界に於て空事(そらごと)など吐き、神仙の事ども物知り顔にて人を惑したれば、その人死にて後、魂の司命幽部の席に至れる時、現世の罪自ずから顕(あらわ)れて赤面をな
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#00356 2015.5.27
『異境備忘録』の研究(41) -支那仙界-
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「本(もと)は日本の産(うまれ)にて支那の仙界にある者は、役小角(えんのおづぬ)、橘広継(たちばなのひろつぐ)、常陸坊海尊(ひたちぼうかいそん)、聖徳太子、大津皇子(おおつのみこ)、菊丘文坡(きくおかぶんぱ)なり。然(しか)るに役小角と聖徳太子とは、その本は仏仙界にありしを支那仙界に遷りたりと云へり。」『異境備忘録』
『幽界物語』では、清
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#00338 2015.2.8
『異境備忘録』の研究(23) -神仙界の刑法所-
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「神仙界の刑法所は三ヶ所あり。一所は北に向ひ、菅原道真公、武内宿禰公の二霊この所を常に掌り給ふ。菅公は左冥司大之中津大兄官に坐(ま)して、武内宿禰公は右刑司中津大兄官なり。 一所は南に向ひて右の一所と川を隔て向き合ひたり。この所は大国主神及び少名彦那神の代命・事代主神掌り給へり。 一所は大なる杉林の中にあり。この所は大罪によりては霊魂をも
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#00325 2014.11.21
『異境備忘録』の研究(10) -諸真形図-
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「明治十年一月二十九日黎明、小童君に伴はれて神集岳大永宮に至る。午十二時頃、要用万事済みて帰る時、川丹先生の室に入らせ給ふ。この時、諸々の真形図(しんぎょうず)を拝見す。その図各々左の如し。 風元山真形図。游岳真形図。天関界図。冠長山真形図。河岳八元図。元都玉京山紫蘭真形図。浮根人長山真形図。玉宝五元真形図。混沌七化真形図。集霊山真形図。八会
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#00319 2014.10.15
『異境備忘録』の研究(4) -幽界の大都-
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「幽界の大都は第一・紫微宮(しびきゅう)、第二・日界、第三・神集岳(しんしゅうがく)、第四・万霊神岳(ばんれいしんがく)なり。されども常に幽政を行ふ法式を定むる所は神集岳なり。」『異境備忘録』
「幽界は八通りに別れたれども、又その八通りより数百の界に別れたり。然(しか)れども宇内の幽府は第一に神集岳、第二に万霊神岳なり。」『異境備忘録』
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