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#00880 2024.1.29 |
天地組織之原理(121) -天菩比神の御神慮-
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「こゝに思金神(おもいかねのかみ)また八百万神たち議(はか)りて、天菩比神(あめのほひのかみ)これ遣(つか)はすべしと白(まお)しき。故(かれ)、天菩比神を遣はしつれば、やがて大国主神に媚(こ)び附(つ)きて、三年(みとせ)に至るまで復奏(かえりごとまお)さゞりき。」
こゝに挙げたる明文は『古事記』前段の次の伝にて、「こゝに思金神また八百万神たち議りて、天菩比神これ遣はすべしと白しき」とあるは聞こえたる通り、八意思兼神(やごころおもいかねのかみ)則ち長として八百万神の神議にて、天菩比神を遣はし給ふ然るべしとの事を高皇産霊大神・天照大御神に奏上し給ふなり。 この天菩比神と云ふは天照大御神と須佐之男命の御誓(うけ)ひの時、天忍穂耳命の次に奇成し給ふ神にして天照大御神第二の御子なれば、八百万神の神議もまずこの神を遣はし給ひて然るべしと神議し給ふにて、天菩比神の御徳望をも窺ひ奉らるゝなり。 #0833【天地組織之原理(74) -宇気比の神術-】>>
次に「故、天菩比神を遣はしつれば、やがて大国主神に媚び附きて、三年に至るまで復奏さゞりき」とあるは、八百万神の神議を以て思金神より奏上し給へる随(まにま)に天菩比神を天降し給ひしに、この神深き神量(かむはかり)ありて大国主大神の神慮を和(なご)め奉り、天津御祖(あまつみおや)の大神の神慮に随はしめ奉らんと三年に及ぶまでも大国主大神の御心を取り給ふ為に媚び附き給ふと云へるなり。 この「媚び附く」と云ふは何事も大国主大神の御心に随ひその神慮を和め奉りて、天津御祖の大神等の定め給へるが如くこの国を奉り給ふべく量り給はんが為と聞こえたり。
『古事記』にはこの伝甚だ簡略の伝にて深慮のある所深く窺ひ難きを、出雲国造家は天菩比神の神孫にして神代より神統相継ぎ今日に至る名家なれば、神代のことをも数々伝へ来りたる中にも世に聞こえたる『神賀詞(かむよごと)』と云ふは、この時天菩比神天降り給ひしことを特に正しく伝はたるものなれば、この次々を講じたる後その要文を挙げて参考に供し置くべし。
さてこゝに初学の為に聊(いささ)か注意を加へ置くべきことあり。それは如何となれば、総て吾神代の伝なるものは万国の古伝書とは大にその趣を異にして他に比較すべきもの無く、彼(か)の『創世記』等に所謂(いわゆる)六日鎔造等の説とは似るべきも非ざるものなるが故に、大洪水前のことをかくの如く委しく今日に存すべきものに非ず。 #0473【扶桑皇典(3) -天地開闢・上-】>> #0794【天地組織之原理(35) -ノアの方舟・大洪水伝説-】>>
畢竟(ひっきょう)『古事記』は安麿朝臣が阿礼の口誦(こうしょう)したるものを書記したるに過ぎずして、只一千有余年前の作為の如く思はるゝは、我邦の古伝書を一見する人の常なれば、暫く彼の書に比較する念を離れ、唯一の心を以てこの伝を講究し、然る後外邦の古伝に比較する時は自ずから造化気運の変遷をも窺ひ得て、外邦伝ふる所と吾古伝との前後も判然たるものなればその心して講究あるべし。
然らざれば太陽地球御往復の太古神等の奇蹟多きが故に、後世人間の思想外にある伝にて到底疑点の散じ難きものなり。これはこれまでも毎々注意を加へ置きたることなれども、動(やや)もすれば後世の思想に返りて人世のことに比較するの念を生じ、益々疑点を加ふるものなるが故に時々このことを注意までに申し置くことなれば、虚心平気私心を離れて人世の顕物比較の思ひを去りて講究あるべし。 |
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▼関連記事一覧 |
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#00833 2023.4.22
天地組織之原理(74) -宇気比の神術-
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『日本書紀』曰く、「こゝに日神(ひのかみ)、素戔嗚尊、共に相対(あいむか)ひ立ちて誓(うけ)ひたまはく、もし汝(いまし)の心、明(あか)く浄(きよら)かにて凌ぎ奪ふの意(こころ)有らずば、汝の所生む児(みこ)必ず当に男(ますらお)ならむ。」
こゝに挙げたる『日本書紀』の明文はよく聞こえたる通り、天照大御神と須佐之男命、相対ひ立ち給ひて大御
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#00794 2022.8.31
天地組織之原理(35) -ノアの方舟・大洪水伝説-
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先に神代第一期の講述に於て講じたる如く伊邪那岐・伊邪那美命両神、天神(あまつかみ)より修理固成の神勅を受け天降り給ひ、漂蕩として未だ骨格も定まらざる地球に天沼矛を指し下して坤軸(こんじく)を定め大地骨を成さしめ、八国六島の元種を生み給ひしによりて初めて地球に骨格の定まりしことは粗(ほぼ)自得せらるゝ所ならん。
然るに『古事記』本伝に、八
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#00473 2017.5.7
扶桑皇典(3) -天地開闢・上-
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天地の開闢を説かんとするに、世の学者は理論を以て推定せんとして、「太陽は一大火集なり、火雲の凝集せるなり。大地は岩球、岩層の二大部分を以て説くべし。月と星とは、その質、地球と同じくして、共に太陽の光輝を受けて耀くなり」と論ずれども、これは物ありて後の論にして、一物無き代の論にはあらず。
然れば、開闢の時の如き、未だ一物も無き時の事は、そ
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