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#00548 2018.8.11 |
東王父・西王母伝(5) -西岳亀山-
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(清風道人云、更に太真西王母・須勢理姫神の御消息について、宮地神仙道の道統を継承して神仙道本部を主宰された清水宗徳先生が、昭和二十九年八月三十一日付の広報誌で公開された御論考を掲載致します。 #0382【水位先生の門流(4) -道統第四代・南岳先生-】>> )
「亀臺九霊金母者西華至妙之気化而金母生而生而飛翔虚極陰元位配西方母養群品所居宮闕在舂山崑崙之圃閬風之苑。(亀臺(きだい)九霊金母ハ、西華至妙ノ気、化シテ金母ヲ生ズ。生ジテ虚極ヲ飛翔ス。陰元ニシテ位ハ西方ニ配ス。母(も)、群品ヲ養フ。居ル所ノ宮闕(きゅうけつ)ハ、舂山(しょうざん)崑崙ノ圃(ほ)、閬風(ろうふう)ノ苑ニ在リ。)」
『幽界記』に記せるところによれば、師仙(宮地)水位先生は明治十年一月二十九日の未明、青真小童君少名彦那大神に伴はれて神集岳(しんしゅうがく)なる大永宮に至り、大永宮の要宮にして小童君の御常殿たる小理宮に於て、要用万端相済みての帰途、小童君に従ひて大永宮の庁域内なる川丹(せんたん)先生の宮室に入り、諸々の深秘なる真図多数を拝見せられたのでありますが、「右ノ真図、皆余(よ)ガテニ入レテ居ルヤランモ、許容無ケレバ語ル事成ラザルナリ」と付記しておられます。 #0325【『異境備忘録』の研究(10) -諸真形図-】>>
その真図の数は数十種にも上りますが、何れも宇内の霊宝たる真形図(しんぎょうず)でありまして、中には古今の道書にもその名題すら所載されていないものもあり、到底人間界にその名さへ洩らすことを憚(はばか)られる宝軸が大部分を占めているようでありますが、先師も神真の許容無ければ語る事成らざるなりと申されている如く、こうした消息については濫りに公刊物の誌上等に於て深き詮索は慎むべきであり、然るべき時と人を得て語るべき性質のものでありましょう。 只、こゝでは「右ノ真図、皆余(よ)ガテニ入レテ居ルヤランモ云々」とある「皆」の字が主眼で、実に神仙道の師主と坐す東海神仙王金闕上相大司命青真小童大君の御直命により、その霊宝の全図が先師水位先生に付嘱されたる荘厳を想像されることは許されるであろうと存じます。
私は今こゝで、その宝軸中の一巻たる西王母真図について聊(いささ)か洞中の風光を語るの機会を得たることを光栄とする次第でありますが、冒頭に掲げました「亀臺九霊金母者」以下四十九字の一文は、その図巻の末に川丹先生御自ら記されたもので、これは先師が許されて親しく彼(か)の異境に於て伝写された際、川丹先生にこの文の御染筆を請はれたものと考へられます。 #0320【『異境備忘録』の研究(5) -玄丹大霊寿真人-】>> 以下、この文によりて西王母の御神徳の一端を窺ひ奉ることに致したいと存じます。
「亀臺九霊金母」は、また「九霊亀山金女」とも「九光亀臺金母」とも「九霊金母太素元君」とも単に「金母元君」とも「九天玄女」とも「九光玄女」とも号し、太真西王母の別号であります。(「西王母」を、また単に「王母」とも「金母」とも「玄女」とも略称することがあります。) 「亀臺」といふのは彼の『老子西遊文』に、「乃(すなわ)チ西ノカタ亀臺ニ遊ビ、七宝ノ園ニ入リ、飛玄之紫文ヲ観(み)、流精之闕ヲ過レバ、九霊金母太素元君、玉文ノ棗(そう)ヲ進ム」などゝある「亀臺」で、また「亀山(きざん)」とも云ひ、西王母の御本宮の存する西海中の神山であります。 これは天柱たる五岳のうち西極に位置するところの「西岳」即ち「麗農山」の異名でありまして、この外にも「珉城」とも「不周山」とも呼ばれているようであります。
その神山の概要を『十洲記』に拠って略述致しますに(この『十洲記』は漢の武帝の時に出現した仙客・東方朔(とうほうさく)が武帝の請に応じて、その神遊の有りの儘を記した道書で、仙家の方では信憑(しんぴょう)するに足るものとしております)、この神山は西海の中に在って、その広さは方一万里ほども有り、その形は下が狭くて上が広い、丁度富士山を逆にした様な形をしております。 #0547【東王父・西王母伝(4) -神仙の幽境-】>> 現界の山は山上にゆくにつれて段々狭くなるものと決まっていますが、神仙界の山は必ずしもそうではなく、これは現界ではその地質が脆い為に自然にそうした形になりますが、神仙界では地骨が鉄よりも堅い金剛石の様な堅質のもので出来ておりますから、山下よりも山上が広くて決して不安定ではないのであります。
これはこの西岳亀山に限らず、神仙界にはこの逆富士型の山形が非常に多く、それは七十二真形図の諸神界真図を拝してもそうなっておりますが、それが方何千里とか何万里といふ広大なもので(尤もこれは支那里であって、一里は日本の六町(一町は109m)に当たり、六千里で日本の千里に当たる)、その随所に宝石を散りばめた如くに金殿玉楼が点綴(てんてい)散在している、スケールの雄大さに心胆を奪はれるのが、神界入りの第一歩に於て常であります。
その山の下を弱水といふ大川が周流旋回すること九重、万丈の波濤(はとう)を揚げており、颷車羽輪(ひょうしゃうりん)に乗蹻(じょうきょう)する仙真の類に非ざれば至る可らずと記されてあります。 山上の地形はほゞ四角になっており、西北を閬風嶺(ろうふうれい)と云ひ、西方を玄圃(げんぽ)と云ひ、東方を崑崙宮と云ひ、南方に舂山(しょうざん)と呼ばれる苑があります。 その一角に黄金を積んで作られた天墉城(てんようじょう)があり、これは方千里の広壮なもので、城上には黄金台が五所、玉楼十二所があり、西南方の承淵山や西北方の北戸山にもまた黄金燦然(さんぜん)たる墉城があり、各城の金台玉楼が相映じて、その荘厳華美なること言語を絶すと伝へられております。
王母はこの神郷たる神域を治め給ひて玄風の霊仙を主領し、所謂(いわゆる)「坤元(こんげん)の万物資(と)りて以て生ず」という天地育養の坤徳を掌り給ふのであります。 |
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カテゴリ:東王父・西王母伝 |
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#00547 2018.8.05
東王父・西王母伝(4) -神仙の幽境-
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西王母の事はその伝に、「在昔(むかし)、道気凝寂(ぎょうじゃく)ニシテ湛体(たんたい)為スコト無ク、将(まさ)ニ玄功ヲ啓迪(けいてき)シ、万物ヲ化生セント欲シ、マズ東華至真ノ気ヲ以テ化シテ木公ヲ生ズ。木公ハ碧海(へきかい)ニ生レ、陽和ノ気ヲ以テ主トシテ東方ヲ理(おさ)ム。マタ号シテ王公ト曰フ。西華至妙ノ気ヲ以テ化シテ金母ヲ生ズ。金母ハ神州ニ生
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#00382 2015.11.2
水位先生の門流(4) -道統第四代・南岳先生-
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かくして宮地威夫先生が方全先生より継承された道統並びに学系は、神仙道本部を主宰された清水宗徳先生(道号・南岳)に引き継がれましたが、伝法類の整理や伝書類の作成に多忙を極められ、また本部の運営にも大変苦労されたようで、見かねた威夫先生が「道業上の苦しみは道士皆で分け合えば良いと思う、道士皆の道福となって還ってくることだから。苦しみを分け合うこと
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#00325 2014.11.21
『異境備忘録』の研究(10) -諸真形図-
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「明治十年一月二十九日黎明、小童君に伴はれて神集岳大永宮に至る。午十二時頃、要用万事済みて帰る時、川丹先生の室に入らせ給ふ。この時、諸々の真形図(しんぎょうず)を拝見す。その図各々左の如し。 風元山真形図。游岳真形図。天関界図。冠長山真形図。河岳八元図。元都玉京山紫蘭真形図。浮根人長山真形図。玉宝五元真形図。混沌七化真形図。集霊山真形図。八会
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#00320 2014.10.21
『異境備忘録』の研究(5) -玄丹大霊寿真人-
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「川丹(せんたん)先生は一名・玄丹(げんたん)大霊寿真人(たいれいじゅしんじん)と云ふ。本(もと)の産(うまれ)は朝鮮国と云ふ。神仙界にて尊き位に坐(ま)すなり。年齢は明治元年まで二千十六年になりぬと云ふ。容貌は三十四、五歳に見えたり。支那国の仙界中督吏官・許真君(きょしんくん)によく似たり。故に見まがふ事あり。」『異境備忘録』
高山寅吉
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