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#00524 2018.3.14
扶桑皇典(54) -武事の神-
 
 
 武事を掌り給ふ大神は、武甕雷神(たけみかづちのかみ)・経津主神(ふつぬしのかみ)と申す。この大神たちは、伊邪那岐命の、火産霊神(ほむすびのかみ)を斬り給ひし時に、その御刀(みはかし)に因りて生(な)り出で給ひし大神にて、その宮は、武御雷神は常陸国鹿島郡にて、鹿島神宮と申し、経津主神は下総(しもうさ)国香取郡にて、香取神宮と申せり。 #0053【火神の剣尸解(2)】>> #0129【霊剣の魂神】>>

 武甕雷神の常陸国に坐せる故は、葦原中津国を平らげ終へ給ひて、復命(かえりごと)申さんとて、白雲に乗りて天上に昇りし所は、常陸国信太(しだ)郡なりしからにて、経津主神も国は異なれど間も近ければ、下総国には坐せるなり(『玉襷(たまだすき)』)。 #0135【地球上の幽顕の組織定まる】>>

 また、武甕雷神の、神武天皇に献(たてまつ)りし韴霊(ふつのみたま)の神剣は、その後、饒速日命(にぎはやひのみこと)の御子・可美真手命(うましまでのみこと)といふ人、皇居の内に奉斎して、十種の神宝と共に祀りて在りしを、その子孫・伊香色雄命(いかがしこおのみこと)といふ人、崇神天皇の御代に勅(みことのり)を奉りて、大和国の石上(いそのかみ)神宮に遷し奉り、十種の神宝をも共に祀らせ給ひたり。
 可美真手命は、神武天皇の御代に、天物部(あまつもののべ)といふを率て賊徒を討ちて、軍功ありしかば、終に物部氏の祖と為りて、国家の干城(かんじょう)と為りき。石上神社は、この神剣の坐す故に、歴朝の間、諸氏の人も、種々の武器を奉る事ありて、物部氏の人はその武器を掌れりといふ。 #0384【『本朝神仙記伝』の研究(2) -可美真手命-】>>

 然れば、武事は皆この二柱の大神を祈り申す事にて、古くは鹿島の神官に国摩真人(くになつのまひと)といふ人ありて、武芸の名を以て聞こえたり。また、近くは永禄の頃、塚原卜伝(ぼくでん)といふ人は、馬術の御教へを授かり、また塚原卜伝よりも以前に、飯篠長威(いいざさちょうい)といふ人は、香取神宮に祈りて、一巻の書を授かりて、鎗(やり)・長刀(なぎなた)の妙術を得たりといふ(『武芸小伝』)。
 然れば、今も、旅行の首途(かどで)するを鹿島立といふ事あり。

 この大神は、天孫降臨の時、まず天降り給ひし大神にて、天降り給ひて後も、その御勲功もおはせしかば、防人(さきもり)などの、旅に出発(いでた)つ人は、まずこの大神に祈りて、旅行の無事をも願ひしより転(うつ)りて、然らぬ旅人の首途にもいふ事と為りしなるべし。この国の手振りは、大やう皆かくの如しなりしなり。 #0477【扶桑皇典(7) -天孫の降臨・上-】>>

 因みにいふ。二柱の大神は、軍神の軍神とも申すべき大神なるを、中頃の儒仏流行の世には、世人も国風は総て忘れ果てたるにや、清和天皇の御代には、武道の守護神を得たしとて、漢土に求められしかば、漢土よりは蜀・漢の関羽と趙雲との像を描きて渡し来(きた)れりといふ(『春日山日記』)。
 本末を失ひたる余りの不思議さに、筆の便に一笑話として記せるなり。

 本邦の、古来武国の名を得たるも、国民の、神の武勇に習ひたればにて、欽明天皇の御時、韓国に在りし膳臣巴堤便(かしわでのおみはすび)は、小児の亡(う)せたる跡を尋ねて、虎穴に入りて、虎の舌を取りて、刺し殺して、皮をさへに剥ぎ取りて還りし事あり(『釈日本紀』)。
 これなどは、その武勇の動作に現れたる物なれども、未だ動作の上には現れぬ気象といふもありて、この気象の一身に充満する時は、無言不動の間に敵人を圧倒して、犯す事能(あた)はざらしむ。

 藤原保昌(ふじわらのやすまさ)は、源頼光と共に武勇の名、世に高く聞こえし人なるが、この人、秋の末に、明月に乗じて、笛を吹きて野外を逍遙して在りしに、その頃強盗の聞こえのある袴垂保輔(はかまだれやすすけ)、その衣服を剥ぎ取らんと、見え隠れに従ひ行きたるに、何故か後に引き戻さるゝやうに覚えて、足震ひて近付く事能(あた)はぬに、「これは気おくれせしか」と我を励まして、太刀を翻して強ひて近付きし時、保昌は笛を吹き止みて、「何者ぞ」と一声掛けたるに、袴垂は身も縮みて、生きたる心地もせねど、今は逃ぐともよも迯(にが)さじと覚えし儘に、「強盗にて候ふ。衣服の用ありて参りたるにて候ふ」といひたれば、「汝、人の心も知らで過ちすな。此方(こち)へ来ひ」といひたるのみにて、また笛を吹きすさびて、家に伴はれ還りて、衣服など取らせたりといふ(『宇治拾遺物語』)。

 また、同じ頃、大矢四郎といふも、聞こゆる勇者なりしが、大太郎といふ強盗の張本(ちょうほん)、四郎の宿りたる家とも知らずて、その家に八丈絹などの多く取り散らして在るを見て、手下の者どもを催して、或る夜押し入らんとしたるに、内より押し出さるゝ如き心地して、いかにしても入る事能(あた)はねば、「これは何か臆病神の付きたるか」とて、大勢を力にて強ひて門内に入りたれば、奥の方に矢を爪よる音の聴こえたるに、その矢、飛び来て当たるやうに覚えて、一足も進まねば、「故こそあらめ」と、その夜は空しく帰りたるが、その家の辺(ほとり)に大太郎の知れる人もありしかば、何となく訪ね往きて、酒肴などの饗応をも受けたれば、物語の便に、近隣の家を問ひて、「かの家には誰が住みたるぞ」といひたるに、主人は驚きたる面持ちにて、「未だ知り召さぬか、かの家にはこの頃、大矢四郎殿のおはしたるは」といふと等しく、大太郎は顔色変りて、持ちたる盃を主人の頭に投げつけて、起(た)ちて走らんとして躓(つまず)き倒れたりといふ(『宇治拾遺物語』)。

 この武勇の気象は、唯人を制するのみにはあらず、猛獣をも制する事ありて、豊太閤(ほうたいこう)の時、大阪城中に飼ひたる虎の、檻を破りて走り出でたれば、上下驚き騒ぎて、太閤も座を起(た)たれたるに、虎は眼を怒らして、徳川秀忠の在るを見て、一声、高く吠えて飛び掛からんとせしを、秀忠、はたと睨みて身構へせしかば、虎はすごすごと縁側をつたひて、今度はまた、伊達正宗・加藤清正を見て向ひたるを、両人は膝を立て直して、屹度(きっと)睨みたれば、虎はうなだれて、庭に飛び降りて、片隅に潜みたりといふ(『新著聞集』)。

 安積艮斎(あさかごんさい)は、この気象を評していふには、薩摩の新納武蔵守忠元(にいろむさしのかみただもと)、初めて豊太閤に謁せし時、太閤は陣羽織を脱ぎて与へ、また側に立て掛けたる自刀の眉尖刀(なぎなた)の螻蛄首(けらくび)を取り、石突(いしづき)の方を出して授けられしに、新納は始終戦々恐々として、身を震はせながら進み寄りて拝領して、退きて、家に還りたるに、少壮の者ども、新納を見て、「今日はいかにせしか、予ては、謁見の時には一刀に斬らんと語られしは」と問ひたるに、新納は、「さればなり、太閤は武蔵などの手向ひすべき人にあらず。武蔵も今日は腰が抜けたるよ」といへりとぞ。これ、太閤の気の盛んにして、勇士を圧せしなり。
 人の気の、一身に流行し、毛孔より煙の如く発生するは、人の目にこそ見えね、皆然り。英雄の人は、その気、沛然(はいぜん)として人を衝撃するなり。無形の英気は、有形の矢石よりも強くして、よくその心志を圧倒せりといへり(『良斎間話』)。

 伊達正宗の、豊太閤に服せしも、また然り。正宗、陸奥より来りて、小田原の陣中にて太閤に謁せし時、太閤はその来る事の遅かりしを咎めし程に、正宗は尚、詞(ことば)を尽くして罪を謝せし間(ほど)、「然らば」とて、「遠来の馳走に陣営を見すべし、後の山に登れ」とて、太刀を正宗に持たせ、小童一人を従へて、先に立ちて行かれしが、一度も後を顧みざりしに、正宗は戦々恐々として、後に付きて行きたり。
 正宗、後に人に語りて、「その時は、唯恐怖の念のみにて、害心など少しも起こらざりき」といへりとぞ(『野史』)。

 また、安積氏の説に、近世、四ツ車といふ相撲取、芝の明神前にて大勢の鳶の者と喧嘩して、三、四人を打ち伏せしかば、鳶の者は鳶口(とびぐち)を以て四ツ車を撃ちたるに、鳶口は跳ね返りて四ツ車を透さゞりきと、老人どもの話に聞きたり。その気の壮強なる事、想見すべしといへり(『良斎間話』)。

 気の壮強なる時は、鳶口も受けぬが如く、気の充満したる時は進みても刀を受け、また大傷を負ひても屈撓(くっとう)せぬ事あり。
 寛文年中、腕の喜三郎といふ侠者(きょうしゃ)あり。人に片腕を斬られて、皮の骨に掛かりしかば、見苦しとて、骨を肘の程より、鋸(のこぎり)にて引き切らせたりといひ(『近世奇跡考』)、また寛永・正保の頃、江戸の侠客・夢野市郎兵衛の弟、放駒四郎兵衛といふは、風呂屋の二階より降りる所を、首を斬られて、頭の下に垂れたるを、片手を以て押し上げながら、終に相手を切り殺したるに、かゝる大傷も癒えしものか、七十歳に至るまでも存命したりといふ(『一話一言』)。
 
 
 
清風道人
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