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#00386 2015.11.26
『本朝神仙記伝』の研究(4) -椎根津彦-
 
 
 椎根津彦(しいねつひこ)は、本(もと)の名を珍彦(うづひこ)と云ふ。神武天皇御東征の時、天皇自ら船師(ふないくさ)を率ひて筑紫の日向国を打ち立たせ給ひ、速吸(はやすい)の門(と)まで進ませ給へる時、亀甲(かめのせ)に乗りて釣を垂れつゝ、打羽(うちわ)と云へるものを挙げて寄り来る者あり。

 天皇遥かに御覧(みそなわ)してこれを呼び寄せ、「汝(いまし)は誰ぞ」と問はせ給ひしかば、その者「我は国神(くにつかみ)にて、名を珍彦と申す者なり」と答へ奉れり。天皇重ねて「汝は海路(うみつぢ)をよく知りたるか」と問はせ給へば、彼また「我よく海路を知れり」と答へ奉れり。天皇更に「我が為に導き仕へ奉らむや」と宣(のら)せ給へば、「導き仕へ奉らむ」と答へ奉りぬ。
 こゝに於て天皇勅(みことのり)して、御船より椎の木の棹(さお)を指出(さしいだ)さしめ、その椎棹に取り付かしめて御船の中へ引き入しめ、海路の教導者(みちびきびと)となさせ給ふ。椎棹を以て引き入れ給ひしに因りて、名を賜りて椎根津彦と呼ばせ給ふ。

 かくて皇師船(みいくさぶね)は、椎根津彦の導きに依りて、所々を経て河内国なる草香邑(くさかのさと)の青雲の白肩の津と云ふに着き、こゝより上陸して孔舎衛坂(くさかのさか)と云へる所にて長髄彦と戦ひ給ひしかど、皇師(みいくさ)利あらずして退き、更に御船に召させられて紀州の灘を乗り回し、紀国と伊勢国との境に近き熊野浦に至り、これより山を越へて大和国に討ち入らせ給ひ、国見丘(くにみのおか)の上に居る八十梟(やそたける)及びその女軍(めいくさ)男軍(おいくさ)、また磐余邑(いわれのむら)に布満(しきいわみ)居る兄磯城(えしき)が軍どもを撃ち平らげむとし給へる時、賊虜(あだども)の據(よ)る所は皆要害の地にして、道路(みち)を絶へたれば通ふべき所なし。天皇、甚(いた)くこれを悪(にく)ませ給ふ。

 この夜の御夢に天神(あまつかみ)降らせ給ひて、「天香山社(あめのかぐやまのやしろ)の中の土を取り、天(あめ)の平瓮(ひちか)八十枚(やそひら)、また厳瓮(いつべ)をも造りて天神地祇を敬ひ祭り、また厳咒詛(いづのかじり)をも為し給はゞ、賊虜自ら平伏(したがい)なむ」と教へ給ひしかば、天皇慎みてこの夢の教を承り、その如く為さむと思食(おぼしめ)し給ふ時に、弟猾(おとうがし)も参りて天神の御教と同じことを奏し奉りしかば、天皇夢の御教を得て吉兆(よきうらかた)と思食し給ふが上に、弟猾の言を聞食(きこしめ)して益々喜ばせ給ひ、椎根津彦に弊衣(やぶれきもの)と蓑笠とを着せて老人(おきな)の貌(すがた)に造り、また弟猾に蓑を着せて老嫗(おうな)の貌に造り、勅して「汝等二人、今より天香山に至り、潜(ひかか)にその頂の土を取りて来れ、基業(あまつひつぎ)の成(なる)と否(ならざる)とは、当(まさ)に汝等の土を取り来ると否とを以て占はむ。努力(つとめ)慎めや」と宣(のたま)はせ給ひしかば、二人は承りて天香山に向へり。

 然るにこの時、虜兵(あだのつわもの)路(みち)に満ち居て往還(ゆきかえる)こと難し。時に椎根津彦祈(うけ)ひて、「我が天皇よくこの国を定め給ふべきならば、行かむ路自ずから通り得られむ。もし能(あた)はずとせば、賊(あた)必ず塞ぎてさゞらむ」と言ひ終りて直ちに行く時に、群虜(あだとも)二人を見て大いに笑ひて「大醜(あなみにく)の老父と老嫗とや」と云ひて、相共に道を開きて行かしめければ、二人は事無く天香山に至りて土を取りて帰り来りぬ。

 こゝに於て天皇甚く喜ばせ給ひ、その土を以て天平瓮八十枚と厳瓮とを作りて丹生(にふ)の川上に上らせ給ひ、天皇祈りて、「我今当に八十平瓮を以て、水無くして飴(たがね)を造らむ。飴成れば、我必ず鋒刃(つわもの)威(いきおい)を借らずして天下(あめがした)を平らけん」と宣(の)り給ひて飴を造り給ふに、飴自ずからに成りぬ。
 また祈りて、「我今当に厳瓮を以て、丹生の川に沈めむ。もし川の魚、大き小さきとなく皆酔ひて流れむこと、例へば柀(まき)の葉の浮き流るゝが如くならば、我必ずよくこの国を定めむ。もし然らざれば、終に成す所なからむ」と宣り給ひて、厳瓮を川に沈め給ふに、その口下に向けり。暫くありて魚皆浮き出て、水の随(まにま)に險喁(あぎと)ひせり。
 時に椎根津彦、これを見て奏上せしかば、天皇大いに喜ばせ給ひて、丹生の川上の五百個真坂樹(いほつまさかき)を抜き取りて、天神地祇(あまつかみくにつかみ)を祭らせ給ふ。

 かくてその霊応に依りて多くの虜(あだ)ども皆平らきて天下治まりし後、帝都(みやこ)を大倭(やまと)の橿原に定め給ひ、功臣に賞典を行ひ給ふ。この時、珍彦即ち椎根津彦を倭国造(やまとのくにつこ)と為させ給ひしかば、その子孫永く倭国造たり。また、大和直(やまとのあたえ)と云へる姓(かばね)もこの椎根津彦より出たり。
 然るに椎根津彦、始め誰が子とも知らず、速吸の門(みなと)の海上に、亀甲に乗り、打羽振り、寄り来て仕へ奉りしより、天香山の土を取る御使仕へ奉りて、大功を立てし前後の事どもを思ふに、これは神仙の皇業を助け奉らむ為、出来りて仕へ奉れるものなるべし。

 厳夫云、本伝は『神武天皇紀』と『古事記』の中巻とを参考してこれを載せたり。『古事記』には椎根津彦の始めて出来れることを挙げて、「亀甲に乗りて釣を垂れつゝ打羽振りて寄り来る人に速吸門に遇ひき」と記されたるを、『神武天皇紀』には「速吸の門に至る時に一(ひとり)の漁人(あま)有りて、艇(こぶね)に乗りて至る」と記して、何の異(かわ)りたることもなき漁夫の如くに挙げられたれど、『日本書紀』の方は、先輩もよく弁(わきま)へ置かれたる如く、成る限り漢文体に記すと共に、奇異なる事跡も多く普通平易のことに書き成したるにはあらざるかと疑はるゝ節(ふし)少なからず。それは『古事記』と比較してこれを読まば、自ずから明らかなり。即ち『古事記』に「亀甲」とあるを『日本書紀』には「艇」と書かれたるの類もその一つと知るべし。故に本伝は『神武天皇紀』に因みて記したれど、この条は全く『古事記』を採りて載せたり。

 さて、本伝に「打羽振り」とある「打羽」のことに就き、本居翁は『万葉集』に「打羽振鷄者鳴(うちはふりとりはなく)」、また「朝羽振風社依米(あさはふりこそよらめ)」など詠める歌の有るを証(あかし)に取りて、「打羽振(うちはぶり)」と訓(よ)まれ、これを椎根津彦が鳥の羽振る如く左右の袖を挙げて、打ち振りつゝ来れるを云へるが如くに説かれたれど、これは然(さ)るにてはあらざるべし。この条のことに就きては、『三神山余考』に碧川好尚主(平田銕胤大人の実弟)の謂(いわ)れたること、実にもと思はるれば、今これを述ぶべし。

 それは、この椎根津彦は海神(わたつみのかみ)の御末裔(みすえ)にして、今出来れるはその御祖(みおや)綿津見神の、天神の御子の御軍を助け成し奉らむが為に、仕へ奉らしめ給へることゝ推量(おしはか)らる。然れば、「亀の甲に乗りて来る」と云ひ、「よく海路を知る」ともありて、その勲功も許多(そこばく)あり。
 また、「打羽振り来る人」の「打羽」は、師の説に、後に羽扇(はうちわ)と云ふ物にて、それを振り挙げて遥かに招きつゝ来るを謂ひ、固(もと)より天皇の軍師とも称(たた)ふべき神なれば、これを以て皇軍を指揮することは更なり、猶種々の用ひ方ども多かることゝ知られたり。然れど、この後皇国(みくに)にて羽扇を軍旅(いくさ)に用ひたる人、我が読みたる書どもには未だ見当たらず。赤県(もろこし)にては、蜀の諸葛亮を始め、用ひたる人も往々有りき。これはもと神仙より伝来せしものにて、今も幽境の真神等は専らと用ひ給ふ由なれど、その用法を知り得たる人は、有りや無しやと知らずと云はれたり。実に然ることゝ云ふべし。

 因みに云ふ、この羽扇の作り方、または用ひ方に就きては、水位霊寿真より親しく聞きたることもあり。またその著に係る『異境備忘録』にも往々見えたることありて、今にも幽境にては専ら用ひられある由なれど、その説長ければ、こゝには尽くし難し。故に折を得む時、更にこれを述ぶべし。 #0336【『異境備忘録』の研究(21) -幽界の羽団扇-】>>

 さてまた椎根津彦を海神の御末裔なりと云はれたるは、即ち『古史伝』に、椎根津彦は大綿津見神の御子・振魂命(ふりたまのみこと)の御末・武位起命(たけいおきのみこと)の御子なる由を説明されたる如くなれば、この命は本書のこの巻の後に載せたる水江浦島子(みずのえのうらしまこ)の伝の下(もと)に云へる、かの蓬莱洲(ほうらいしゅう)とか瀛州(えいしゅう)とか称する海中の仙境、即ち我が神典に所謂(いわゆる)海宮(わたつみのみや)とある大綿津見神の御本境に在りて、早く神仙と成りて居られたるを、好尚主の説の如く、天神の御子の御軍を助け成し奉らむが為に出来らしめられたるものなれば、その仙境にて用ふる羽扇を持ち、殊に亀の甲に乗り、霊異を現はして出来れるものなるべし。 #0344【『異境備忘録』の研究(29) -海神-】>> #0345【『異境備忘録』の研究(30) -海宮神界-】>>

 かくて椎根津彦は元より神仙にて在りしを以て、皇軍御助成の大功を全うし、中洲(なかつくに)御平定の後、その功に依りて倭国造となりしことは本伝に挙げたる如くにして、その子孫に倭国造及び大和直など云へる姓の後裔を残したることは、昭々として歴史に伝へたるも、椎根津彦その人の末期は如何(いか)になりしか更に聞こゆる所無し。
 思ふに(皇紀)二千六百年に成りなんとする古代の事蹟なれば、その末期の詳(つまびらか)ならざるは、特にこの椎根津彦に限らずして皆然らざるは無けれれど、本伝に挙げたるこの人の歴史を考ふるに、その末期の詳ならざるは、皇業輔翼の大任を全うして、顕界(うつしよ)にはめでたき子孫後裔を遺し、その身は元の海宮に帰りて復命(かえりごとまお)し、世に立ちたる莫大の勲功に因りて、大(おおい)に仙位を進められて大神仙となれるが故なるべし。 #0339【『異境備忘録』の研究(24) -勲功を立てる-】>>

(清風道人云、椎根津彦と同様に国津神であった猿田彦神も天孫降臨の際、皇業輔翼の大任を全うするという大功を立て給い、皇孫命より「大神」の称号を賜われたことが神典に見えますが、水位先生が神仙道の心得として、「国のために上は天皇の長命を祈り、中は国の静謐(せいひつ)を願ひ、下は群生の安穏(あんのん)を祈りて、ただ四海の平治無恙(むよう)なることを祝ふ」と記され、三宮凱温先生も「皇孫命の天業に、神と人、幽と顕の中に立って、応分の使命尽くすべきが我が神仙道の努めである」と示されているように、奉道の士は皇業(天業)輔翼(補佐)という大義についてよく弁えておくべきでしょう。 #0174【皇孫命、天降る】>> #0178【猿田彦神と天宇受売命の功業】>> #0375【『異境備忘録』の研究(60) -神仙道の心得-】>> #0382【水位先生の門流(4) -道統第四代・南岳先生-】>> )
 
 
 
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