日本古学アカデミー

#00222 2013.3.16
尸解の玄理(1) -神化の道-

 


 前節の『神道宇宙観略説』において、人の帰幽後について美甘政和(みかもまさとも)先生による解説がありましたが、これは甚(はなは)だ略説のため、尸解(しか)の玄理と合わせてさらに詳しく考究してみたいと思います。  #0219【神道宇宙観略説(10) -物質万能から神霊万能へ-】>> #0220【神道宇宙観略説(11) -陰教と陽教-】>>

 まず、人の死後もその霊魂は不死不滅で霊体をもって幽真生活を送るといっても、必ずしも個性の存続が永久不断であるという意味と同一ではありません。
 例えばここに一杯の海水を汲み取ると、それは一つの個性を持った存在といえます。しかしある時間を経て再びこれを大海に投じると、そのコップの水は、ある極めて僅かな時間は凝結力を失わずに存続して周囲の海水と混交しませんが、間もなく洋々とした大海の水と融合して一体となってしまいます。その未だ凝結力を失わない間のホンの僅かの時間を指して永遠不断の存続などといっては、決して精細な物の見方とはいえないはずで、誰でもわかるとおり、それは決して消滅して無くなったわけではありませんが、時間の経過と共に個々の凝結の相(すがた)を失って溶け込んでしまったのです。

 日本古学によれば、普通の人が死後の世界において経験する若干の霊的生活は、大海中に投じられたコップの水がまだ凝結力を失いきらないような、極めて僅かな時間の経過に伴う相の変化に過ぎず、その凝結力が崩れゆく時間は、現界の年月に換算して何百年に亘るほど長い経過を持つものではないとされています。 #0010【「死」と呼ばれる現象】>>
 特に大善を修し大徳を積んだ人、または非常な大悪を行った人に比べて、これといった信念を持たず、本能的打算的に漫然と生涯を終えた人の霊魂や霊体の凝結力(精神力)は案外に脆弱で、個性を存続している僅かな間に再生や転生することがなければ、まず例外なく大海に投じられるコップの水のように、早々に霊魂は霊分子に、霊体は幽質分子に還元することが伝えられています。 #0013【「生まれ変わり」の事実(1)】>> #0014【「生まれ変わり」の事実(2)】>> #0215【神道宇宙観略説(6) -幽質と顕質-】>>

 そこで洋の東西を問わず、あらゆる宗教や哲学で精神修養(祈り)の重要性が説かれ、日本の神道では鎮魂、道教では守一(しゅいつ)、密教では阿字観、仏教では座禅、インドではヨーガなどが実修され、ユダヤ教やキリスト教、イスラム教などでも瞑想が広く行われてきました。
 またその一方で、不老不死の仙薬を求め、錬金術や練丹術などの研究が行われてきましたが、明治の古神道の大家・宮地水位先生が「還精胎息の法などの法を修し得て、頭髪を替へ四肢の爪を替へること八度にして、血を替へ肉を替へ骨を替へ老却りて若くなることもありて長寿すれども、終(つい)には死を免るることあらむや」と記されているように、不老長寿を達成することはある程度可能でも、物質体である肉身のまま永遠に生息できるものではないことは明らかであり、これらの不老不死の法とは、玄学(霊学)でいう尸解(しか)法の内の一法で、古来より和漢の書には尸解を遂げたと見るべき人の伝が多く記されています。 #0051【尸解の神術】>> #0119【万国を開闢せし皇国の神々】>> #0164【神仙の存在について(2) -『本朝神仙記伝』のあらまし-】>>

 あるいは釈迦の「慈悲の心」(人に施しを行って徳を積むこと)と「戒律を守ること」(罪を作らず、心身の清浄を保つこと)を守れば「来世は天の世界へ生まれる」という教えも尸解に至る道のことを表しており、また磔刑によって壮絶な死を遂げ、埋葬されたはずのイエス・キリストが弟子たちの前にその姿を顕現して対話を行い、ペテロがキリストの墓を確認したところ亜麻布だけが残っていたという「キリストの復活」も、尸(しかばね)を解いて幽顕相通の霊体を結び成したものと窺われます。 #0161【『仙境異聞』の研究(26) -原始仏教の本質】>>
(仏教で高僧の帰幽のことを「遷化(せんげ)」と申しますが、これはもともと仏教用語ではなく漢語に由来するもので、本来は尸解のことを表していたのですが、時代を経るに従ってその本意が失われてしまったものと考えられます。)

 尸解とは神化の道であり、即ち帰幽後に仙胎を得て仙境に入る道であり、また真胎を得て真境に入る道といってもよく、この神化の道とは、水位先生が「夫(そ)れ尸解は常に尸解すべき術を学び得て、霊魂を使ふ法を自由になし、死に至りて屍(しかばね)を解き、かの玄気神の元化霊妙なる霊気の中に胞胎するが如き霊胎を化作(けさ)し、その神霊と同体になりて天長地久と共に無窮を期し、再び死する期とてはなく、生き通しにわたるを目的となし、屍を解きて霊胎をさらに結ぶを神化の道とも云ひて、道士はこれを尊みたるなり」といわれているように「生き通し」の道で、また「霊胎と字せるものは自己霊魂の舎(やど)にて、神魂の身体を以て宿とせし如くなれども、霊胎は不滅の舎、身体は終(つい)に滅亡するの家なり」とあるように、胎生の肉体を解消して直ちに化生の真胎に移り、その真胎をもって仙界に遷ることですが、その道を得た者を尸解仙(しかせん)と称します。 #0065【玄気があれば何でもできる】>> #0168【神仙の存在について(6) -仙去の玄法-】>>

 ここで、人の帰幽後も霊体を具備しているのであれば、その霊体を存続させるための凝結力を維持することに集中すれば良いだけのことで、なぜわざわざ新たに仙胎(または玄胎、真胎、天胎、)を化生する必要があるのかという疑問を抱かれるかと思いますが、その理由については霊魂の組織について考究する必要があります。
 人の霊魂が魂・魄という陰陽両性の徳(はたらき)を有していることは前述したとおりで、ここで詳しくは述べませんが、現界で肉体をもって生存している間は当然魄霊の徳を必要としますので、全く魄気を消去することは不可能であり、現界生活の延長として普通に帰幽した人の霊体も、自ずと魄気を含んでいることになります。 #0009【生命が宿る瞬間】>> #0015【人間の本性は善か悪か?(1)】>> #0016【人間の本性は善か悪か?(2)】>> #0017【心の中の葛藤とは?】>> #0041【祈りのメカニズム(2)】>> #0043【祈りのメカニズム(3)】>>

 仙界に入るに当たってなぜ魄気を含んだ霊体では不都合かといえば、その不純さのために魂徳を自由自在に発揮することができないためですが、通常の地上霊界と高貴な神仙界ではその生活環境も当然異なり、濁気を含んだ霊体で神仙界での居住が困難であることは、泥水を好む魚類が清水の中で生息が困難であることと同じ趣でしょう。 #0138【『仙境異聞』の研究(3) -山人の霊徳-】>> #0144【『仙境異聞』の研究(9) -人や鳥獣の魂の行方-】>>
(『古事記』に、原始太陽系星雲の状態から清陽なるものと重濁なるものの分判が起こり、清陽なるものが太陽と成り、重濁なるものが地球と成ったことが伝えられていますが、また『日本書紀』の開巻冒頭にも、「古に天地(あめつち)未だ剖(わか)れず、陰陽(めお)分かれざりしとき、渾沌(まろかれ)たる鶏子(とりのこ)の如く、湨涬(ほのか)にして牙(きざし)を含めり。その清陽(すみあきらか)なるものは薄靡(たなび)きて天(あめ)と為り、重く濁れるものは淹滞(つづ)きて地(つち)と為るに及びて、精(くわし)く妙(たえ)なるが合えるは搏(むらが)り易(やす)く、重く濁れるが凝りたるは竭(かたま)り難し。故(かれ)、天(あめ)先成りて地(つち)後に定まる」とあり、この地界が混濁の気が留まり溜まって成れる世界であることが明らかに指摘されています。 #0006【太陽と月と地球の関係】>> #0032【太陽の成立】>> )

 そもそも玄胎結成は霊魂(精神)の産霊(むすび)の徳(はたらき)によって行われますので、魂霊が魄霊に制せられた状態で、不純な性を含有した精神力によって清明純陽なる霊胎を結び成すことが不可能であることはいうまでもなく、このことは、悲・苦・哀・怒・恨などの情念を原動力として結形した幽霊と呼ばれる霊物が、とても清明純陽とはいえないことからも自得されるものと思います。 #0030【天地万物造化のはじまり】>>
 つまり、現界生活を終えた後、半清半濁の地上界から清明純陽なる仙界に昇遷して高位高徳の仙真となり、造化の神業を分掌するためには、重濁な気を含まない純陽清明なる玄胎を新たに結び成す必要があるということになります。 #0072【宇気比の神術】>> #0104【大国主神の受難】>> #0150【『仙境異聞』の研究(15) -山人界の修行-】>> #0216【神道宇宙観略説(7) -人は分霊神-】>>

 さて次回より、先師たちによって伝えられた情報をもとに、様々な角度から「尸解の玄理」について考究して参りたいと思います。
(記事内容の重複を避けるために前述した用語や概念の詳しい解説は省略しており、初学の方におかれましては難解な点もあるかと思いますが、リンク先の過去の関連記事をご一読下さいます様お願い申し上げます。)

清風道人

カテゴリ:尸解の玄理
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