日本古学アカデミー

#00104 2011.5.17
大国主神の受難

 


「かれ、ここに八十神(やそがみ)怒りて、大穴牟遅神(おおなむちのかみ)を殺さむと共に議(はか)りて、伯岐国(ははきのくに)の手間の山本に至りて云ひけるに、「赤猪(あかい)この山にあるなり、かれ、我共に追ひ下さば、汝(なれ)待ち取れ。もし待ち取らずば、必ず汝を殺さむ」と云ひて、火を以て猪(い)に似たる大石を焼きて転(まろ)ばし落としき。ここに追ひ下る時、その石に焼きつかえて死(みう)せたまひき。」『古事記』

 この伝についても幼稚なおとぎ話のように思われますが、文の表面だけを見ればまさしくそのとおりで、大穴牟遅神(大国主神)ともあろう大神が猪と石の区別がつかないとはどうにも理解に苦しむところですが、深く太古の伝承を考究すれば、その内に古伝の妙味が含まれていることがわかります。
 
 八十神(やそがみ)は思いもよらず、八上比売(やがみひめ)を大国主神に奪われてしまったわけですが、それにしても、それだけのことで兄弟神である大国主神を殺傷しようなどということになったのは一体なぜでしょうか? #0102【稲羽の白兎の伝承(1)】>> 
 八十神たちは八上比売に求婚するために稲羽の地に至りましたが、八十神のいうことを聞かずに「大穴牟遅神に嫁ぎたい」といったことに対して怒ったということですが、それだけではなく、最終的には八十神たちもこの神に帰順すべきほどの神徳がそなわっていることを察し、八十神たちもそれぞれ何となく大穴牟遅神を亡きものにして、自分が大権を得ることを画策していたことは、神といえども自然なことでしょう。

 しかし大穴牟遅神は温厚誠実な大徳の神で、ものを疑うなどということがなく、とくに八十神の中には多くの兄神がいることもあって、八十神のいうことに素直に従い、猪であろうと大石であろうとどうでもよく、兄たちとの約束を守ることを何よりも大切にし、このような災難に遭ったものとうかがわれます。しかしこの大穴牟遅神の受難も、後に第四代地球主宰神「大国主神」となるための神徳の鍛錬であり、「凶を転じ禍を転じ、善となし福となす」造化の真理が存在することがわかってきます。(日本人は忠誠心や犠牲心を美徳としますが、それはこの大国主神の系統をひく民族だからでしょう。楠木正成・正季の「七生報国」の精神はまさにこれです。) #0041【祈りのメカニズム(2)】>> #0069【神代第三期のはじまり ―月の分体-】>> #0083【災い転じて福となる】>> 

「ここにその御祖命(みおやのみこと)、哭(な)き患(うれ)ひて天(あめ)に参上(まいのぼ)り、神産巣日命(かみむすびのみこと)に詣(まお)したまふ時に、すなはち蚶貝比売(きさがいひめ)と蛤貝比売(うむぎひめ)とを遣(よこ)せて作り活(い)かされたまふ。ここに蚶貝比売きさげを集めて、蛤貝比売待ち承(う)けて、母(おも)の乳汁(ちしる)を塗りしかば、麗しき壮夫(おとこ)に成りて出で遊行(ある)きたまひき。」『古事記』

 御祖命(みおやのみこと)とは、大穴牟遅神の母神である刺国若比売命(さしくにわかひめのみこと)のことを指しています。つまりこれは、刺国若比売命が大穴牟遅神の死を憂いて高天原(太陽神界)に昇り、神皇産霊神(かみむすびのかみ)にそのことを報告して、再び活かすべき詔(みことのり)を請願するという伝ですが、神皇産霊神の詔によって二柱の姫神が地球に降され、大穴牟遅神を活かすべき神術を施して、さらに壮麗な男神として蘇生したのでした。 #0030【天地万物造化のはじまり】>> #0035【神代第一期補遺(1)】>> #0088【須佐之男命の行方】>> 

「ここに八十神見て、また欺(あざむ)きて山に率(ひき)ひ入りて、大樹を切り伏せ、茹矢(ひめや)をその木に打ち立て、その中に入らしめて、すなはちその氷目矢(ひめや)を打ち離ちて拷(う)ち殺しき。ここにまたその御祖(みおや)、哭(な)きつつ求(ま)げば、見得て、すなはちその木を拆(さ)きて取り出で活かし」『古事記』

 この時は、大樹を切り伏せて割り、その中に大穴牟遅神を入れ、割れた木の間に打ち立てた氷目矢を打ち放つことによって大穴牟遅神が木に挟まれて死ぬという、八十神によって仕組まれた謀略でした。またもや兄弟神である八十神に欺かれた大穴牟遅神ですが、温厚誠実な神性だけではなく、兄の命令には必ず従うという、従順で裏切らない神性を貫き通し、しかも裏切られたことに対して全く恨みや憎しみの心を抱いていない清陽無濁な精神をもっていることがわかります。そしてこの時もまた、母神である刺国若比売命のはたらきによって再度蘇生したことが伝えられています。(母神の母性から出る純粋な愛情が神皇産霊神ほどの天津神に感動を与え、大国主神を救ったということも注目すべきでしょう。)

 大穴牟遅神は、後に第二代地球主宰神である須佐之男命から第三代地球主宰神として任命され、幽顕分界の後は幽界の主宰神として万神万霊を司ることになりますが、そのためには魂徳自在の大神となる必要があります。大穴牟遅神はもともと国津神ですので、その神徳も化生神の変化玄妙の比ではないことは、この神といえども免れることはできません。(国津神とは、伊邪那岐・伊邪那美二神の交合によって地球で生まれた胎生神の神孫で、この国津神の後裔が人類とされています。 #0049【化生神と胎生神】>> #0059【人類の祖先は本当に猿類か?】>> ) 

 この再度にわたる大穴牟遅神の死(みうせ)と蘇生は、いわゆる尸解(しか)の玄法で、胎生の神胎から、さらに霊妙変化極まりない化生の真胎(玄胎)を結成し、後の大任に相応しい高徳の大神となったものとうかがれます。 #0051【尸解の神術】>> 
 霊妙変化自在の神体を得た大穴牟遅神は、後に見られるように、地下の幽府(黄泉国)にも往来し、その幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)は分魂(わけみたま)として分離独立し、遠く世界各国にも至り、その和魂(にぎみたま)は大物主神(おおものぬしのかみ)となって現れ、荒魂(あらみたま)は大国玉神(おおくにたまのかみ)となるなど、変化無比の霊徳を示したことが伝えられています。 #0038【一霊四魂】>>

清風道人

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