日本古学アカデミー

#00544 2018.7.19
東王父・西王母伝(1) -概略-

 


(清風道人云、古代中国の玄道においては、日本の古神道(神仙道)と同様に東王父(大国主神)と西王母(須勢理姫神)は青真小童君(少名彦那神)と共に斯道(しどう)における大尊神で、造化三神即ち太一真君(たいいつしんくん、天之御中主神)、元始天尊(げんしてんそん、高皇産霊神)、大元聖母(たいげんせいも、神皇産霊神)及びその代命神・天皇大帝(伊邪那岐神)の命を受け給い、群仙万霊を司掌される大司命神としての幽的事実があからさまに伝承されております。 #0100【世界太古伝実話(9) -道教に見える日本の神々-】>> #0119【万国を開闢せし皇国の神々】>> #0252【『幽界物語』の研究(22) -出雲の大神-】>> #0322【『異境備忘録』の研究(7) -宇内の大評定-】>>
 道教の経典『道蔵』に伝えられている大国主神の御名は、太真(たいしん)東王父と号し奉る外に、扶桑大帝(扶桑帝君)、東王公、東陽公、元陽公、春皇、青帝、木公、太昊氏(たいこうし)、伏義氏(ふっきし)、玉皇君等とも称し奉り、正に「大名持神」の御名に相応しい多くの御名を持たれているのは、即ちそれだけ多くの御神徳を仰がれている証左で、現界に交渉接触される範囲の広大さを物語っております。 #0101【神代第四期のはじまり】>>
 また、その后神・須勢理姫神は、太真西王母と号し奉る外に、金母(九霊太妙亀山(きざん)金母、大霊九光亀台金母、金母元君)、女媧氏(じょかし)、九天玄女等とも称し奉り、その御広徳を称えられております。 #0107【大国主神と須勢理姫神の運命的出会い】>>
 古代中国は大国主神及びその宗族の神等の開拓された土地柄ということもあって、大国主神の執政し給う幽事に関しても正しい伝承が多く、「国譲り」(顕幽分界)以降の寂然と永く隠れ坐しゝ後の日本の神典の盲点ともいうべき消息が、かの地の玄道に所伝されておりますので、ここに古代中国に伝承された大国主神及び須勢理姫神の御神蹟を、羽雪大霊寿真仙・平田篤胤先生の御論考より抄出して講究致したいと存じます。 #0177【「天孫降臨」の年代】>> #0254【『幽界物語』の研究(24) -平田篤胤大人のこと-】>> #0477【扶桑皇典(7) -天孫の降臨・上-】>> #0480【扶桑皇典(10) -顕幽分界-】>> #0483【扶桑皇典(13) -幽政の神廷・下-】>> )

 『漢武内伝』なる西王母の語に、「世ノ初発(はじめ)ニ、三天太上大道君(さんてんだじょうだいどうくん)天降リテ天柱ヲ立テ、五岳ヲ植(たて)タル」等語る所に、「大帝ヲ榑桑之墟(ふそうのおか)ニ棲(すま)シメ」とある太上道君(伊邪那岐大神)は上帝なるを以て知られ、且つ王逸が『九思』の『疾世(とせい)』に、「東遊シテ太昊ニ道要ヲ訪(と)フ」と詠じてその註に、「太昊ハ東方青帝ナリ、将(まさ)ニ天道ノ要務ヲ問ハムトス」と云へるも、榑桑に帝たる故事に本づきて詠出せるなり。

 太昊氏、かく扶桑の霊域の神帝として東方を司るより起源して、「木、火ヲ生ズ」と云ふ理を以てその次に功有りし神農氏は、火徳と称せるを赤帝と号(なづ)けて南方の帝に配し、「火、土ヲ生ズ」と云ふ理を以てその次に興れる軒轅(けんえん)氏は、土徳と称せるを黄帝(こうてい)と号けて中央の帝に配し、「土、金ヲ生ズ」と云ふ理を以てその子・少昊(しょうこう)は、金徳と称せるを白帝と号けて西方の帝に配し、「金、水ヲ生ズ」と云ふ理を以て次に立ちたる顓頊(せんぎょく)は、水徳と称せるを玄帝と号けて北方の帝に配せり。帝王の五運と云ふこと、これより起これり。
(但しこれは、彼(か)の国の古説に、五行を司る神々を青帝、赤帝、黄帝、白帝、黒帝と号くるが、各々別に東、南、中央、西、北に位して世に霊幸(たまち)はひ、その精は紫微垣内の所謂(いわゆる)五帝座に在りと云ふにより、また太昊伏羲氏の東方扶桑に住する事にも打ち合せて、その方々に配せるものなり。)

 さて、太昊伏羲氏、東方に然(しか)隠身(かくりみ)して御(おわ)すが故に東王父と称せり。それは彼の『十州記』に、「扶桑ノ地、方万里、上ニ大帝ノ宮有リ。太真東王父所治ノ所ナリ」とあり。これは太昊伏羲氏、やがて太真東王父なるが故なり。
 抑々(そもそも)大帝とは伏羲氏のことなるに、その宮を「太真東王父所治ノ所」と言ひ、玄学の諸書に扶桑大帝とも東王父とも称し、『老子中経』東王父の条に「号ケテ伏羲ト曰フ」とも有るを思ひ合せて悟るべし。

 尚言はゞ、本文に「木徳ヲ以テ王タリ。故ニ春皇ト曰フ。位、東方ニ居シテ以テ蠢化(しゅんか)ヲ含養スルコト木徳ニ適フ。号ケテ木皇ト曰フ」と有るに、東王父をまた木公とも言へり。(皇・公ともに君の義を取りて書きたるにてその意は異なることなし。)
 それは『木公伝』に、「木公ハ万神ノ先ナリ。マタ東王父ト云フ。三維之冠ヲ冠リ、九色ノ服ヲ服シ、雲房之間ニ居シテ、紫雲ヲ以テ蓋ト為シ、青雲ヲ以テ城ト為ス。仙童侍立シ、玉女(ぎょくじょ)香ヲ散ズ。真僚僊友、巨億万許(ばかり)、各々所職有リテ皆ソノ命(めい)ヲ禀(う)ク。故ニ男子ノ道ヲ得ル者ハ名籍ノ隷スル所ナリ。功業ヲ校定シ、元始ニ上奏シテ命ヲ太上ニ禀(う)ク」と有るにて知るべし。

(『淮南子(えなんじ)』の覧冥訓に、伏羲氏・女媧氏の、かの蒼生を教化し終て後に院没せる古伝を載せて、「雲車ニ乗リ、応龍ニ駕シ、鬼神ヲ導キ、九天ニ登リ、霊門ニテ帝ニ朝シ、太祖ノ下ニ休(いこ)フ」とあれば、その初め彼の国に渡りて蠢化の民を含養すべき法を立て給ひしは、天の太祖及び上帝の詔命に依れる事なるが、功烈すでに終てかく朝せる事は、復命(かえりごと)せる古伝なりけり。
 但しこの事、我が神代に、大物主神の、八百万神を率ゐて天津皇祖神に復命し給ひ、大物主として無窮(とこしえ)に幽事しろしめす趣に似たるは故ある事なり。 #0133【事代主神及び建御名方神の帰順】>>
 然ればこそ、三皇は更なり、次々の六皇、伏羲氏をも、正しき古書には「没ス」と云へれ。「没」とは「出」に対して何処にまれ身を隠せる事にこそあれ、「死」の事には非ざるを、『史記』を始め然る古書には「没」とありしを「崩」と改め記せるが多かるは、皆古へを知らぬ儒流の小智見にぞありける。 #0051【尸解の神術】>> #0391【『本朝神仙記伝』の研究(9) -武内宿禰-】>> )

清風道人

カテゴリ:東王父・西王母伝
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