日本古学アカデミー

#00713 2021.5.2
求道の本義(1) -人生は大移住旅行の一過程-

 


(清風道人云、この「求道の本義」は、宮地神仙道道統第四代・清水宗徳先生(道号・南岳)が、昭和二十七年二月二十九日付の広報誌に「師仙御四十八年祭を迎ふ」と副題して掲載された論稿です。 #0382【水位先生の門流(4) -道統第四代・南岳先生-】>> )

 私たち宮地神仙道道士が最も身近い親しみの裡(うち)に現幽を通じて師仙と仰ぎ奉る水位先生が、五十三年に亘る御流謫(りゅうたく)の肉身生活を閉じられて神集岳の道山に帰天されましてから、こゝに御四十八年祭の忌辰(きしん)を迎へました(昭和二十七年三月二日)。

 御承知の通り師仙水位先生は嘉永五年十一月八日より明治三十七年三月二日に至る五十三年間現界に御在世になったのでありますが、この間、人間生活を営まれつゝも一方神界にありては神集岳二十八令の員列に列せられ、晩年には既に尊貴なる大霊寿真人の仙階にまで昇られ、玄台開監令とて神集岳の根本神府たる大永宮中の青真小童大君少名彦那大神の御公殿たる小理宮の枢要な御仙職に任ぜられた仙真でありまして、人間界に出生されて現界在世中にかうした破格の立場を許される御方は古来極めて稀有とするところであります。 #0323【『異境備忘録』の研究(8) -青真小童君-】>>

 これは従前折に触れて言挙げ致して参りました如く、先生は普通の人間ではなく、現界御出生前既に神集岳神界に在りて大霊寿真の仙真に坐したるを、或る神界の掟を誤られた為に一時仙階を失はれて人間界に流謫されて居られた真人に坐し、神界から然るべき仙真が流謫の人間生活を送らるべく出現されるのを「謫仙」と申し上げますが、水位先生は或る謫命を受けて一時人間界に遷居された御方でありました。
 然るに一面から考へますに、謫仙たる水位先生によりて明らかにせられた最高神界の驚くべき実相と神仙求道の真路、これは実に容易ならざる一大事が現界に齎(もたら)されたもので、正に世紀の荘厳というべきでありまして、師仙水位先生ならでは到底この現幽に亘る世紀の一大事を負荷せらるべくもなかったであらうと私は常々考へて居ります。 #0651【宮地神仙道要義(1) -序に代へて-】>>

 古来人間界に出遊した仙客は枚挙に暇なく、さうした仙真たちによって幽中神秘の一部が洩らされて参りましたことは『道蔵』中にも随所に見られるところでありますし、また彼(か)の西王母が漢の武帝に交渉された時に当りましては『漢武内伝』等にも記されてゐない多くの神秘が齎されたので、「神仙界至深至精の天機殆ど洩れたり」とさへ称せられて居りますが、これをさへ水位先生によりて開かれた天窓の規模に比較致しますれば、その幽中神秘の深さと広さに於ては殆ど比ぶべくもあらずと私は確信して居ります。 #0551【東王父・西王母伝(8) -群仙の王母-】>>

 私(ひそ)かに惟(おも)ひまするに、神界に於かせられては大仙水位先生をして、その謫命に副へてこの一大事を付託せしめられ、一つは以てその贖罪に代へ、一つは以て天運の循環に応ずる幽中神秘の開龕(かいがん)を遂行せられたものと拝察し奉る次第であります。
 かうした荘厳光を浴びて現幽両界に亘る世紀の一大事を負荷せられた文質彬々(ひんぴん)たる大仙を、しかも明治中期といふ近代に於て、その血脈道統のもとに師仙として仰ぐことを得る私たちの道福を、この御四十八年祭といふ人天気線の交流の最も精秀なる機会を以て是非反芻(はんすう)致したいと存じます。

 申すまでもなく私たち道士は、水位先生を師仙と仰ぎ奉るこの地上唯一の道統と、水位先生によりて齎されたる神仙界への信仰と知識、殊には神仙に至るべき求道の要諦たる神法道術の受持、更に帰天後の真胎生活に於ける師仙や霊統上の神祇等の御加護、御啓導といった命題を楔(くさび)として結合して居ります。
 すなはち水位大霊寿真御帰天後の門人として席を同じくし、顕幽一貫霊魂千万年の幽真生活を歩むべくその行歩を共にする天親地愛の同志として、その標識は衆目みな一致して居らねばならぬ筈でありまして、いやが上にもその霊的結合を固くし、所期の仙果を得て修真有終の美を結ぶに至るまでは些少(さしょう)の蹉跌(さてつ)なく一人一霊の落伍者だになからしめん事を期待する為に、日々に相省(あいかえり)みて神仙道道士としての真眼目、真目標を再認識し、自他相策励(さくれい)して深厚なる道縁を虚しうせざらん事を期したいものであります。

 まずこの神仙道の定義とでも申しませうか、我々道士が奉ずるところの神仙道とは如何なる道であるか、その本義をしっかりと掴むことが先決問題でありますが、これが判ってゐるやうでゐて、さて案外にあやふやなところから往々にして醜聞を流すのは遺憾千万であります。
 僅か五日か十日の旅行をするに致しましても、その身を託すべき列車とか船舶の出発地から行き先、発着時刻、さうした個々の条件を守ってゆくことに粗漏であっては、目的地に到達して用件を果たす事は不可能でありますから、事細やかに計画を立てゝ用意を怠らないのが常でありますにも拘らず、我が千万年の生命と生活を託すべき幽顕一貫の大旅行計画に無頓着であり粗漏であっては、到底生命の開展たる幽真生活への向上飛躍は期すべくもない事は自明の理であります。

 しかもこの大旅行たるや何人(なんびと)と雖(いえど)も拒否すべからざる絶対服従の移住命令で、神は死といふ自然現象を以て、凡そ生きとし生けるもの者すべて洩るゝこと無く落つること無く一人の誤配も無くこの至上命令を伝へてゐるのでありまして、人生とは畢竟(ひっきょう)この大移住旅行の一過程に過ぎないのであります。
 現在この地球上に生存して、権利だの義務だの、儲けたの損したのと、血みどろに掴み合ってゐる全人類は、数十年後、遅くとも百年を出でずして一人の洩れ無く総て別世界に移住させられてゐる筈で、しかもその好むと好まざるとに拘らず、身辺無一物はおろか、これだけは自分のものだと確信しきってゐた自身五尺の体躯まで大地に還して、赤手(せきしゅ)も無く移住してゆくので、この至上命令こそは百パーセントの正確さと絶対的な服従関係の下に遂行されますので、何人もこの強制執行から除外されることは出来ないのであります。 #0647【悠久不死の玄道(1) -人生の疑問-】>>

 この至上命令の発令者、しかも誰が為すわざとも知られずして一人の落伍者も無く百パーセントの正確さを以て遂行される大移住旅行の統率者とは何者か、人類はかくして如何なる権威者によりてどこに移され如何に成りゆくか、かうした課題に就て知らるゝ限りはこれを知識し、その知識せるところの判断に基づいて、この永遠に続く間断無き大旅行に就て周到精密なる計画を立て、その最もより良き条件への方向を決定し、今日只今よりその行歩を辿ることは、我々流転の旅人に許された統率者よりの恩典であります。
 久遠の過去より尽未来際(じんみらいさい)の将来に亘って流転して止まない地上万霊(ばんれい)の進退集散を司る統率者こそ神仙でありまして、我々の奉ずるところの神仙道なるものは、この統率の司命者より出でたる行歩の操典に外ならぬのであります。

清風道人

カテゴリ:求道の本義
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