日本古学アカデミー

#00696 2021.1.20
宮地神仙道修真秘訣(22) -内心の端直-

 


「劉向(りゅうきょう)が『新論』に、将(まさ)に情欲を収めんとせば、まず五關(かん、関)を斂(おさ)めよ、五關は情欲の路、嗜好の府なり。目、綵色(さいしょく)を愛す、命じて性を伐つの斤(おの)といふ。耳、淫声を楽しむ、命じて心を攻むるの鼓といふ。口、滋味を貪る、命じて腸を腐らすの薬といふ。鼻、芳香を悦ぶ、命じて喉を燻(いぶ)すの煙といふ。身、轝駟(よし)に安んず、命じて蹶(つまずき)を召すの機といふ。
 この五者は生を養ふ所以(ゆえん)にして又生を傷(そこな)ふ所以なり。耳目の声色に於ける、肌体の安適に於けるその情は一なり。然れども又これを以て死し又これを以て生くとも種々に云へるは、欲の度を過ぐる時は、心身を労するよりして長生し難き故に私欲を戒めたる文なり。また『養生訣』にも、暴怒を去りて以てその性を養ひ、思慮を少にして以てその神(しん)を養ひ、言語を省きて以てその気を養ひ、思欲を絶ちて以てその心を養ふ云々とあるを思ひ味ふべし。」(『好道意言』)

 道学者流の論に似て而(しか)も然(しか)らずで、これを以て死し、これを以て生くる深遠の道要を思ひ味ふべきである。張伯端が『金丹四百字』の序にいへるには、人もし眼視ざる時は魂、肝の臓にあり。耳聞かざる時は精、腎の臓にあり。鼻、臭(かが)ざる時は魄、肺の臓にあり。舌声せざる時は神、心の臓にあり。四肢動かざる時は意、脾の臓にあり。これを五気朝元といひ、これを漏るゝこと無からしむを五無漏(ごむろ)の法といひ、私欲を去り五官各々その職を忘るゝ時は、我が性命の本体たる霊物を恍惚の中に認むることを得、道家はこれを霊胎凝結の第一階梯として説いてゐる。

 『神仙伝』に、広成子(こうせいし)が至道の要として黄帝に授けたる語に、「至道の精は香々冥々たり、視ることなく聴くことなく神を抱いて以て静なれば形将(まさ)に自ずから正しからんとす。必ず静に必ず清く、汝が形を労することなく、汝が精を揺(うご)かすことなくんば乃ち長生すべし。目に見る所なく、耳に聞く所なく、心に知る所なくして汝が神魂将に形を守らんとす、形乃ち長久なり。内を慎み、外を閥(た)ち、多知は敗を為す。我その一を守り以てその和に処す。故に千二百歳にしてしかも形未だ嘗て衰へず。我道を得る者は上、皇と為り、我道を失ふ者は下、土と為りて将に去らんとす。汝、無窮の門に入り無極の野に遊び、日月と光を交へ、天地と常を為さば、人それ儘(ことごと)く死して我独り存せむ」とあり、道士内端の道に契合せざれば外の三宝たる耳・目・口、安寧ならず、内の三宝たる精・気・神、擾乱(じょうらん)して遂に我が天を以て事(つか)ふる所の天に合する能(あた)はざる所以を深く味ふべきである。

 先師(水位先生)は「無我無心無欲無感無念無想の中より清浄の感念を引き出して理を究めずんば、有敵なる無我無心無感無想の中より引き出したる濁れる感念ありては、忽ち妄想煩悩の邪気に意識を穿たれて、感念の働きを閉じ塞ぎて、天性の真一(しんいつ)に基きてその理を測る事難し。然るに無敵なる念力を凝らして霊胎を感結する真理を悟り得る時は、その一理神妙不測、万事に渡りて種々に転換して天意を穿つ迄にも及ぶものにして実に奇といふべし(『霊胎凝結口伝』)」と述べられ、また「妙理を覚り得るとも国家万民の為に功を立てざれば玄徳の至所に止まる事難し(『好道意言』)」とて実践道としての求道上の指標を明らかにされて居られる。 #0661【宮地神仙道要義(11) -求道の真義-】>> #0666【宮地神仙道要義(16) -霊胎凝結口伝(4)-】>>

 『萬寿丹書』に引ける老子の語に、「闇昧(あんまい)といふこと勿れ、神、我が形を見る。小語といふこと勿れ、鬼(き)、我が声を聞く。故に天、人を欺かず、これに示すに影を以てす。地、人を欺かず、これに示すに響を以てす。人は天地の気中に生じ、勲作喘息皆天に応ず」といひ、また「善人の行は日を選ばず、凶中に至りて凶中の吉を得、悪中に入りて悪中の善を得。悪人行動すれば時を選び、吉中に至りて反って吉中の凶を得、善中に入りて反って善中の悪を得。これ皆自然の符なり」とあり、一念の生動起滅皆天に応ずる自然の符合を深く思量して内心の端直を守るべきである。

清風道人

カテゴリ:宮地神仙道修真秘訣
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