日本古学アカデミー

#00661 2020.6.24
宮地神仙道要義(11) -求道の真義-

 


「夫(そ)れ人の生まるゝや身体血気は天地父母日月に稟(う)くる所、性識霊の三物は天神の下し給ふ至尊の神宝なれば、報本反始親に事(つか)へ君王に忠貞を盡(つく)し、この世に有りて道の為国の為に報る身なれば、生を養ひ疾病を避け、その命を保愛し、天一真君(てんいつしんくん)の元気を守り、身を立て道を行ひ永く天神に仕へ奉る。これ所謂(いわゆる)人の真道なり。
 故に道を奉ずるの士は神仙の玄旨に随ひ、生を養ひて長生久視(きゅうし)を得、永く人間(じんかん)に有りて天に随ひ君に忠し親に孝し、私欲を消除し天神の賜(たまもの)を穢さず、天に通じ神祇に謁し真一(しんいつ)を抱いて霊妙不測の門を経て元始天尊の胎に入り、玄胎を化し作りて永く天地の間に有りて、上は天皇の長命を祈り、中は国の静謐(せいひつ)を願ひ、下は群生の安穏(あんのん)を祈りて只四海の平治無恙(むよう)なる事を祝ふ。これ我が神仙の玄旨なり。」(『好道意言』)

 まことにいみじくも求道の真義を演(の)べ給ひしもので、日夜修唱服膺(ふくよう)すべき御訓戒と拝し奉る次第である。神仙道の玄旨を得んと欲せば、即ちまず人としての真道を履行すべきことを説諭し給ひしもので、如何に神法道術の修練に精励刻苦すると雖(いえど)も、人としての真道を履み違ふるに於ては却って神仙の悪(にく)み給ふところとなり、災禍遂にその身に及ぶことを以下切々論示されてある。

「然るを小人にて私欲の為に形を練り気を窃(ぬす)み、長生久視を慕ひ、悪欲を逞(たくまし)うし生を貪り義に背き、虚談妄誕を吐きて人心を迷惑せしめ、又己に勝る人を悪む。これ信(まこと)に道を奉ずるの士は大に恥る所以(ゆえん)なり。」(好道意言)

「我好む所の玄旨は、長生久視の道の為に慕ひ、永く国家の為に盡さんと願ふ身体なれば、(中略)衛生の術を得て身を以て天道に報じ、夭札(ようさつ)を免れて長く神明に奉仕す。只利欲の為に長命を貪るにあらず。」(『好道意言』)

「乱世を辟(さ)け深山幽谷に遁(のが)れて、形を練り気を窃み、嗜欲の為に我身の長生を祈りて夭札を免れんと岩窟に入りて握固し却老(きゃくろう)の法を修すると雖も、天の照覧明らかなる故に天網を免るゝことあらず、漸々に年積みて頭上に白髪を戴き面色焦衰して玄道を修し得ず、己が身の行く末をかくし或は虚談妄誕を書き遺し無功にして空しく斃(たお)る。(中略)
 然るに人身は君父国民の為に盡す身なれば、己が身を愛し生を養ひ天の永命を祈るにあり。そは『玄真経』の序に、国家の為に天の永命を祈り君に忠し親に孝し形を養ひ気を保ち、身を立て道を行ひ長生を得て真人に至る云々(うんぬん)とあり。
 真に君親国家の為を思ふなれば長命を祈るべし。悪欲の為には祈るべからず。これ真の天理なり。又いか程欲の為に神祇に願ふと雖も天の照覧明らかなる故に天命を経ずして反(かえ)って夭死(わかじに)す。」(『好道意言』)

「然るに養生の術をさとり得てその術を修め得るとも、感一(かんいつ)の法並びに玄胎化作(けさ)の術を知らざれば、妙理に達する事を得むや。又妙理を覚り得るとも国家万民の為に功を立てざれば玄徳の至處に止る事難し。この故に真の道士は道を得れば必ず国民の為に力を盡し、微妙の術を以て貧困の民を救ひ、民に災害する物を厭(はら)ひ除きて只国家の静謐なるを喜ぶ。」(『好道意言』)

「趙瑠淵、字(あざな)は気臺(きだい)号を意川と云ひて濮陽(ぼくよう)と云へる處に生れ、少(わか)くして神仙の道を好み、臨功道士といへる人に従ひて玄書を学び、竟(つい)に見る所、聞く所、腹中に蔵(おさ)め、斯道(しどう)成就せむ時に至りて口慢(こうまん)の心発出し、金銭を取りて神仙の玄旨を賣(ひさ)ぐに至れり。こゝに於て臨功道士師弟の道を絶ち、神仙の道を授けざりき。
 然るに瑠淵、その後崑崙山に遊びて太上老君に謁し再拝して寒暄(かんけん)の礼を述べ畢(おわ)り、三皇内文及び元始天尊回天之訣を以て老君の向ひて問ひけるに、老君莞爾(かんじ)として笑ひて、不道なる小輩、我が伝言を尋聞(じんぶん)して世俗に售(う)らんと欲するの意ありて榮衛五臓の内に舍(やど)れり。汝の行状如きに至りては大仙の忌み嫌ふ所また真人等の大に悪む所にして、汝の如き不聖小輩の至て好み慕ふ所なり。汝よろしくこの理を合点して深く誡慎すべしと教諭し給ふ。」(『伝道開端篇』)

 趙瑠淵の如く雲烟(うんえん)を排して崑崙山に至り太上老君に謁するほど方伎(ほうぎ)に達しても、遂に高慢利欲の念を発出するに及んでは忽ち天譴(てんけん)に逢ひ、後、老魅の為に敢(あえ)なき最期を遂ぐるに至ったのである。
 利欲の為に晦(くら)みて修道の眼目を誤り、神明照覧の前に醜態を暴露するの実例は古今挙げて数ふべからず、縝密(しんみつ)戒心を要する次第である。

 『列仙全伝』に曰く、「王纂(おうさん)、京口(けいこう)の馬跡山に隠れる。晋の永嘉の末、中原大に乱れ、加ふるに飢疫を以て死者相継ぐ。纂、静室に於て章を飛して天に告げ生霊(せいれい)を救はんことを祈る。夜、神人に感ず。纂に語(つ)げて曰く、子生、民を念(おも)ふ。吾今以て子を貽(かえりみ)ることを得たりと。竟に仙教を得」とあるが真の道士の蹤迹(しょうせき)である。 #0230【尸解の玄理(9) -求道の真義-】>> #0375【『異境備忘録』の研究(60) -神仙道の心得-】>>

清風道人

カテゴリ:宮地神仙道要義
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