日本古学アカデミー

#0058 2010.10.3
日本人として

 


 以上のように神代第二期中は、伊邪那岐・伊邪那美神の御心が一たび感動されるごとに、直ちに化生神が出顕するほどの気運ですが、その感動とは本魂が動かれるのではなく、ただ情が動くものと考えられます。伊邪那岐神の女神を偲ぶ愛情が変じて遂に怒りとなりましたが、建(たけ)き神々が化生した後はさらに怒ることはなく、また、伊邪那美神の恨みの情が変じて怒りとなり、泉津醜女(よもつしこめ)が化生した後は直ちに麗しき御心に直りました。 #0048【「神生み」の時代】>> #0049【化生神と胎生神】>> #0053【火神の剣尸解(2)】>> #0056【神々の怒り】>> #0057【女神の御心 -母性愛の起源-】>>

 わたしたちも人間生活を営む上で、怒りや悲しみという感情をまったく抑えることは不可能です。いやむしろ怒や哀があればこそ喜や楽もあるはずで、これらの喜怒哀楽があってこそ人間というものでしょう。このことについては本居宣長先生も、「事しあらば嬉し悲しと時々に動く情(こころ)ぞ人の真心」また「動くこそ人の真情(まごころ)、動かずと言ひて誇らふ人は岩木か」と詠みおかれています。

 しかし人間は本魂が動揺して魄系のものに制せられると自然の摂理から外れてしまい(いわゆるキレた状態になって)、本来の道を誤ってしまいますので、神々から賜わった貴い魂をけがすことがあってはなりません。そのあたりのことも、人類の祖神(みおやのかみ)ともいえる伊邪那岐・伊邪那美二神によって示されていることがわかります。 #0015【人間の本性は善か悪か?(1)】>> #0016【人間の本性は善か悪か?(2)】>> #0017【心の中の葛藤とは?】>> #0018【「はらひきよめ」という日本文化】>> #0039【魂と心の関係(1)】>> #0040【魂と心の関係(2)】>>
 また、神とは「人間のことは何をしても許して下さる慈悲のかたまり」のような存在ではなく、時には思いもよらない福を与え、時には思いもよらない災禍を与えることもあり、人間の頭脳では理解し難い驚異の存在であることを、『古事記』『日本書記』などの日本の神典はたださながらに伝えています。

 わたしたちの祖先である古代日本人は、夜空に散りばめられた星々を眺め、どこからともなく吹いてくる風に耳を傾け、命の息吹を感じる森を愛し、時には穏やかで、また時には荒ぶる大自然に畏怖の念を抱き、その中に自らの魂と響き合う八百万(やおよろず)の神々を感じ、神の世界のさらなる繁栄と祖先の御霊(みたま)の安寧(あんねい)を祈り、また神々の恩頼(みたまのふゆ) #0044【祈りのメカニズム(4)】>> に感謝の祈りを捧げて祭祀を行ってきました。とくに日本人であるならば、今も変わらずその祭祀を奉斎し続ける日本の皇室のことを決して忘れてはならないでしょう。 #0046【陰徳を積む】>>

 また、今の人には理解し難い行為かもしれませんが、イザという時には侍は自害し、軍人は決死の特攻隊として、潔く死を選択しました。彼らはハッキリと認識していたわけではないかもしれませんが、古代日本人から連綿と受け継がれてきた真理、つまり「肉体は滅びても魂は存在すること」や「また再生して生まれ変わること」を本能的に知っており、したがって「人間として最も大切なのは生き様であり、死に様である」ことを確信していたものと思われます。 #0009【生命が宿る瞬間】>> #0010【「死」と呼ばれる現象】>> #0013【「生まれ変わり」の事実(1)】>> #0014【「生まれ変わり」の事実(2)】>>
 この世で得た地位や名誉や財産はおろか、これだけは自分の所有物であると信じていた肉体さえも「あの世」にはもっていけないことは、今も昔も変わりません。

清風道人

カテゴリ:日本の神伝
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