日本古学アカデミー

#00258 2013.10.17
『幽界物語』の研究(28) -参澤先生の霊的体験-

 


『幽界物語』( #0231【『幽界物語』の研究(1) -概略-】>> )より(現代語訳:清風道人)

参澤先生より書簡で問 「弘化二(1845)年正月二十四日の夜、夢の中で前年十一月十九日に死んだ駒木根(こまきね)又一久富(またいちひさとみ)の家宅に参りました。かねて心に掛けていた幽冥のことを問い試みようと思い、家の裏口から竹垣の上を越えて縁側に入りました。「又一殿、又一殿」と大声で呼んだところ、又一の霊魂が存世のままの姿を現し、毛綿縦縞(たてじま)の衣を着て座りました。
 私はその人に向かって尋ねました。「顕界と幽界とは絶えて交通がなく、例えば家に亡き父が在って私より言葉を掛けても答える声は聞こえない。また、亡き父が私の側にいて私に言葉を掛けてもその声が聞こえないため、私も答えることができない。そのため、愚人は霊魂を、唐の朱子が云うように漂散し消え失せて無いものとなると思う者もいる。しかしながら、幽魂がものに憑(かか)って言語を為し、また実際に怪異(あや)しきこともあることを思えば、消え失せて無いとは云い難い。この理(ことわり)はどうか。」又一の霊はそれに答えて、「人は死んでも霊魂は漂散することはない」と申しました。 #0010【「死」と呼ばれる現象】>> #0040【魂と心の関係(2)】>>
 さらに私は又一に尋ねました。「それでは仏説の地獄や極楽は実に有るものなのか、それとも無いのか、この一事に人々は疑惑している。願わくば真実を告げ給え」と問うたところ、又一によると、「実に全く無いもので、少しも心に掛けることではない。このことは諸人に伝えてほしい。地獄や極楽は、ただ金を借りる時に証文するような類に用いるものだ」とのことでした。私は、俗間で、仏道に背けば地獄に堕ちて身に苦しみを受けることになるとして、愚人を欺いて恐れさせることがあるのを思い出し、実にそのようなことは無い道理を悟ったのでした。
 又一がこのように天堂地獄のことを告げ終わってから、私はとても嬉しく喜びに耐えず、泣く泣く頭を下げて礼を述べ、頭を上げて見たところ、又一の形も消え失せて、目に掛かる物は何も無い一間の家にいましたが、忽然として夢から覚めました。すぐに起き上がり、平手を打って又一の霊を拝しました。
 その日、又一の家に行き、亡き夫の妻に会って夢のことを語ったところ、大いに喜んで、そのことを家内の者に話して聞かせてほしいと云われました。その帰路で、橋向丁という所で又一の子・牛之助に逢いました。又一が没する前、私に申すには、「私どもには倅(せがれ)があり、何とぞ御教諭を頼みたい」と云ったことがあり、その後に亡くなりましたが、八十四歳でした。
 さて、この夢の次第は常の夢などとは違い、一向に確かなことで、心に染みて少しも忘れることがありません。これはどういう訳でしょうか。また、又一の幽界における様子はいかがでしょうか。」

利仙君から答 「それは汝が夢で分魂して行ったのである。又一は汝に厚い縁があり、今は唐土(もろこし)の日平山にいて名を南部信道仙者武来山人と云う。仙者とは仙人に準ずる官である。」

 参澤先生は自身の分魂を祀り、日々拝されていたことから、知らず知らずの内に夢中で使魂(脱魂)法を行われ、先生の分魂が日平山と呼ばれる支那仙界に属する幽境に赴かれたものと思われますが、仙者となった又一が在世中の姿で出現し、また家宅も生前の様子であったことは、参澤先生を招くための配慮によるものと思われます。 #0235【『幽界物語』の研究(5) -幽界の位階-】>> #0257【『幽界物語』の研究(27) -幽境に通じる神拝の詞-】>>
 夢中脱魂法については宮地水位先生もしばしば行われていたようで、手記に「夢に七夢ありて、その中に分魂の脱して天上の界に逍遥するあり。(中略)我、夢中に脱魂魂徳動作の自在を得て、万里の遠きを凌ぎて一瞬の間に往来し水上を行く如く、地に入ること水に入る如く、巌(いわ)に入ること物無きが如く、水火も溺焼すること能(あた)はず。魂形を変ずることまた自在にして万界に入りては禽獣虫魚の言語自ずから解す。言語の異に聞こえて解することの難きは肉身凡俗の間なり。(中略)歩して遂に冥府の玉門(ぎょくもん)に入る。この界や地球を離るる幾百千里なるを知らず。(後略)」とありますが、この界のことを「天庭(てんてい)」と記されていることから、この法に熟すれば魂徳自在となり、地界に止まらず遥か高次元の幽境に往来することも可能であることが分かります。
(「人は死んでも霊魂は標散することはない」とありますが、帰幽後に位階を賜るほどの人は別として、霊魂が善にも悪にも凝結するほどのことがない人や、現界生活中においてこれといった信念を持たず、本能的打算的に漫然と生涯を終えた人の霊魂の行方については前述したとおりです。 #0144【『仙境異聞』の研究(9) -人や鳥獣の魂の行方-】>> #0222【尸解の玄理(1) -神化の道-】>> )

参澤先生より書簡で問 「以前、若山(和歌山)廣瀬河岸大橋のあたりに熊代玄甫(げんぽ)定賢(さだかね)という人が住んでおり、その妻は總子(ふさこ)と申しました。この両人が死んでから私の夢で、「吾は死んだけれども冥府では今このように暮らしている」と互いに物語し、夢が覚めて愁傷することが毎年度々あります。この人の幽界での様子はいかがでしょうか。」

利仙君より答 「この両人は甚(いた)く徳のある人である。現界のこと故、当人は知らないが、人界で絵を描いている所へ利仙も両度にわたって側にいて対面したことがある。この夫婦は両人共、今は九州の芝山(しばやま)に留まっている。玄甫の名は芝光山人定賢命(しばみつさんじんさだかねのみこと)と申し、山人の官に登っている。妻もかの山の女仙境に留まり、中姫と申す官で、西諸絲引教了姫命(せいしょしいんのりさとひめのみこと)と申す。
 さて、汝のこれまでの夢は、実に玄甫・お總が来て心に通じたものである。利信(参澤先生)はこの両人とは厚い縁があり、尊信すべしと申し伝える。」

 特に縁が深い人とは幽顕にわたって通じ合うことが分かりますが、現界においても同じ想念を持った人が集うことになるという幽理(自然の摂理)も、魂徳によるものといえるでしょう。 #0041【祈りのメカニズム(2)】>>

清風道人

カテゴリ:『幽界物語』の研究
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