日本古学アカデミー

#0092 2011.3.13
世界太古伝実話(1) -神代という時代-

 


 この話は、大正3年に行われた宮地巖夫先生(1847~1918、宮内省式部掌典として明治天皇の側近を務められた明治における神道界の重鎮)による講話を筆記したものの一部(導入部分)を、僭越ながら、後学の徒、清風道人が現代語風におきかえたものです。

 これより世界太古伝の実話をはじめたいと思いますが、それについて、まず申し上げておかなければならないことがあります。それは何かといえば、この我ら日本人が住むところの地球は、中国、インド、及び欧米各国の人が住むところの地球と同一の地球で、別の地球ではありません。また、我ら日本人がいただくところの天は、中国、インド、及び欧米各国の人が住むところの天と同一の天で、別の天ではありません。つまり、我国の天地を造ったと伝えられる神は、中国、インド、及び欧米各国の天地を造った神と同じ神ということになります。なぜなら、造られた天地が同一であるならば、造った神も同一であることは申し上げるまでもないことでしょう。

 そうであるなら、世界に伝えられている天地開闢(かいびゃく)の説はいうまでもなく、人間万物のはじめの伝えが、同じように一定しておりそうなものですが、実際は一定していないだけでなく、中には甚(はなは)だしく異なった伝えが各国に遺(のこ)っているのは、一体どうしたことでしょうか?
 その訳は、世界の太古より東洋、西洋と相(あい)隔たっていただけでなく、東洋でも日本、中国、インドをはじめ、その他の各国も互いに相隔たっており、また西洋においてもユダヤ、ギリシャ、ペルシャをはじめ、その他の各国も互いに相隔たっており、しかも革命を経験していない国は一国もなく数千年を経てきましたので、その間には互いに誤って伝えられたこともあり、中には久しく年月を重ねる間に人が作った妄説が混入したものもあるからと思われます。

 そこで一つの古伝説を偏信することなく、いわゆる虚心平意になって、公明正大な心をもって、世界各国の各種の太古の伝説を集めてそれぞれ比較すると共に、目前に現存する天地間の事実と、真正なる良知とを引証して、よくこれを考究する時は、自然に事実は事実、妄説は妄説、訛伝(かでん)は訛伝と、微証の正確なものが発見されて明白になるはずですので、その真を採り、妄を去り、正を挙げ邪を棄て、これを淘汰し、世界太古の伝説の真正なものだけを集めれば、ここにはじめて天地開闢のことや、人間万物のはじめに関わる世界草創の真実のことを、誰でも知ることができるようになるのではないかと思われます。これが、わたしが世界太古伝の実話をしようと思ったきっかけです。

 さてまたここで、もう一つ申し上げておかなければならないことがあります。それはこの世界の古代において、東洋と西洋とが隔絶していただけでなく、東洋においても西洋においても、その内の各国が相隔たっていたということについて、よく考えてみなければならないということです。
 それは、今の欧州人の説に、世界のはじめは野蛮であって、それが進んで未開となり、未開より進んで半開となり、半開よりさらに進んで文明国となったとありますが、その文明国となった以上は、いつまでも無窮に文明が続くというものではないでしょう。
 なぜなら、およそこの世界のすべての実際は、何もかも往(ゆ)きては復(かえ)り、復りて往きして、さながら端のない輪のように回っています。まず月も満ちては欠け、欠けては満ちして、満ち欠けが交代循環しています。また昼夜においても、日の出入によって明るくなり暗くなりして、昼と夜とが輪転しています。あるいは一年においても、日の位置によって寒暑が往来する間に春夏秋冬が行われており、日でも月でも年でも、往ゆきては復り、復りて往きして、まったく端のない輪のように循環していることは目前に見えているとおりです。

 ならば、この世界の進化においても、前に申し上げたとおり、野蛮から未開となり、未開から半開となり、半開から文明となったところで、その文明のまま止まって無窮にその状態が続くはずはありませんので、また何かに変遷していかなければならないことは、誠にわかりやすい道理であります。その文明の次にはどのような世が来るのかといえば、わたしが考えるところでは、必ず未閉の世とでもいうべき世になり、その次には未閉が半閉となり、その半閉からまた元の野蛮に復り、この野蛮よりさらに未開となり、半開となり、また文明となるというように、これもやはり明暗往来して昼夜をなし、寒暑輪転して一年をなすのと同じように、野蛮と文明とが往復循環しているものと思われます。

 それなら、今の世界は野蛮時代から未開、半開を経て今日の文明となった訳ですが、その野蛮時代の以前はどのような時代であったかといえば、それ以前はやはり文明であって、その文明から未閉、半閉を経て野蛮となり、その野蛮より追々に進んで今日の半開文明の世界となって来たものであろうと思われます。
 そこで、顧(かえり)みてその野蛮以前の文明の世界の状態を想像してみますと、やはり今より追々進み行きて、この世界の人間が将来において遭遇すべき文明の極度は、いわゆる神人一致顕幽合同して、まったく神代(かみよ)という状(さま)になるべきですが、すでに過去の文明の時代もこのような状態にまで進んで世界が統一され、地球上、普(あまね)く通じないところがないほどまでに至った世を経て来たであろうことは申すまでもないでしょう。そのような文明を経て来たことが、一度であったか、二度であったか、それ以上であったか、それは何とも申し上げられませんが、事実において、このような文明を経て来たことは明白であると思われます。 #0001【「往復循環の法則」という自然の摂理】>>

 さて、その文明の世というのがいわゆる神代で、顕幽混同して神と人とが相(あい)通じるだけでなく、世界が普く親密に交際する時代であります。このような時代においては、世界全般の学問が進んで、宇宙間の真実のことが普く世界に知れ渡っておりますが、その次の野蛮時代を経る間に種々に変化して、異なる伝になったものと考えられます。今、現に世界各国の古伝が種々に異なる伝のようになっているのも、このような訳であろうと思われます。これもこの話には最も重要な点ですので、まず申し上げておく次第であります。 #0024【幽顕分界という歴史的事実】>>

清風道人

カテゴリ:世界太古伝実話
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