日本古学アカデミー

#00885 2024.2.28
天地組織之原理(126) -風神の神徳-

 


「故(かれ)、天若日子が妻、下照比売の哭(な)かせる声、風のむた響きて天(あめ)に到りき。」

 この伝は前段に講じたる通り天若日子が死(みうせ)たるによりて、明文の如くその妻・下照比売の哭かせる声、風と共に響きて天に至りたりとのことなり。よく聞こえたることなれば別に語解を加へず。
 これ以下、天若日子の父及びその妻子の降り来て哭き悲しみ喪屋を作る云々より、阿遅志貴高日子根神(あじしきたかひこねのかみ)の弔ひ給ふ伝の本文をも明文に加へて講述すべきなれども、この神代第四期の講述紙数限りあれば、略解の例によりて『古事記』の明文を朗読して前段の気脈を継ぐが故にその朗読の明文に随ひ、講究すべき要点を御質問あればそれに随ひ余が意見を講述すべし。

「こゝに天(あめ)在(な)る天若日子の父、天津国玉神(あまつくにたまのかみ)、またその妻子(めこ)ども聞きて、降り来て哭(な)き悲しみて乃(すなわ)ちそこに喪屋を作りて、河雁(かわがり)を岐佐理持(きさりもち)とし、鷺(さぎ)を掃持(ははきもち)とし、翠鳥(そにどり)を御食人(みけびと)とし、雀を碓女(うすめ)とし、雉(きぎし)を哭女(なきめ)とし、かく行ひ定めて日八日夜八夜(ひやひよやよ)を遊びたりき。
 この時、阿遅志貴高日子根神到(き)まして天若日子の喪を弔(とむら)ひたまふ時に、天より降り到つる天若日子の父、亦その妻哭(な)きて、我が子は死なずて有りけり、我が君は死なずてましけりと云ひて、手足に取り懸かりて哭き悲しみき。その過(あやま)てる所以(ゆえ)は、この二柱の神の容姿(かお)甚(いと)よく相似れり。故、これを以て過(あやま)てるなりけり。
 こゝに阿遅志貴高日子根神、太(いた)く怒りて曰(い)ひけらく、我(あ)は愛(うるわ)しき友なれこそ弔ひ来つれ。何とかも吾(あ)を穢(きたな)き死人(しびと)に比(なぞら)ふると云ひて、御佩(みは)かせる十掬剣(とつかのつるぎ)を抜きてその喪屋を切り伏せ、足以て蹶(く)へ離ち遺(や)りき。此(こ)は美濃国(みののくに)の藍見河(あいみかわ)の河上なる喪山ぞ。その持ちて切れる太刀の名は大量(おおはかり)と謂(い)ひ、亦の名は神度剣(かむどのつるぎ)とも謂ふ。
 故、阿遅志貴高日子根神忿(いか)りて飛び去りたまふ時に、その伊呂妹(いろも)、高比売命(たかひめのみこと)、その御名を顕(あらわ)さむと思ひて歌ひけらく、阿米那流夜(あめなるや)、淤登多那婆多能(おとたなばたの)、宇那賀世流(うながせる)、多麻能美須麻流(たまのみすまる)、美須麻流邇(みすまるに)、阿那陀麻波夜(あなたまはや)、美多邇布多和多良須(みたにふたわたらす)、阿遅志貴高日子根神ぞ。この歌は夷振(ひなぶり)なり。」

 さてこゝに明文を朗読したればこの伝文に就て御質問ありたし。語解等は粗(ほぼ)解釈を加へずとも聞こえたることなるが、その内にて聞こえ難き所のみを略解せんに、「喪屋を作りて」とある「喪」と云ふはマガコトの二段約(つづ)めなりと本居先哲の説あり。
 又「岐佐理持」とは『日本書紀』に「傾頭持者(きさりもち)」とあるを、『日本書紀私記』に「葬送の時、死者食を戴く片行の人なり」とあるを然るべしと先哲も云はれたり。「掃持」は『日本書紀』に「掃持者」とあり、葬儀の時掃を持て行く者を云ふなりとあり。

 「御食人」は殯(もがり)の時、死者に供ふる饌(そなえもの)を執り行ふ人なり。『日本書紀』に「宍人者(ししひと)」とあるこれに当れりとあり。「碓女」は米を衝く人を「碓之者」と云へば、殯に用ふる米を衝く女と云ふことなるべしとあり。「哭女」は喪に居りて哭泣(こっきゅう)するの云ひなり。「遊びたりき」とあるは管絃歌舞の類を云ひて「楽」の字に当れり。その他大概明文にて聞こえたることなれども、尚委しくせんとなれば先哲の説に随ふべし。

 阿遅志貴高日子根神の神名、先哲も未だ思ひ定められざるが如く聞こゆれども、「志貴」と「鉏(すき)」と通はし用ひられたるを思ひ、この時代の国土経営の御事業を窺ひ奉れば、専ら農事を開き給ふ時なれば農に関する御名ならんか。「高日子根」は他に類例もあれば別に解に及ばず。
 太刀の名の「大量」と云ふは『日本書紀』に「大葉刈」と書ける文字の意ならんかとあり。「神度剣」とある「度」は「利」の意なり。「伊呂妹」と云ふは同母妹を云ひ、「高比売」は下照比売の別名なり。

 この所の歌の「阿米那流夜」は「天在るや」なり。「淤登多那婆多能」は「弟棚機」なり。その「淤登」と云ふは季子(すえのこ)を云ふなり。季子は父母の特に愛するものなるが故に、季子ならざるにも女などを愛して乙女など云ふなり。この「棚機」は棚機姫のことには非ざれども、美女と云ふことをかく云へるなり。
 「宇那賀世流」は項(うなじ)にかけるを云ひ、「多麻能美須麻流」は「玉之御統(みすまる)」なり。「美須麻流邇」は重ねて云へるなり。「阿那陀麻波夜」は穴を穿ちて緒を通す玉なるが故にかく云ふなり。「美多邇布多和多良須」は「真谷(みたに)二亘(ふたわた)り」にて、阿遅志貴高日子根神の御身の御光、一谷を越へて二谷まで照らし給へるを云へるなりと先哲の説あり。「夷振」と云ふは総て歌を「何曲(なにぶり)」と云ふ例なり。
 さてこれにて語解等明文の表は一通り聞こえたることなるべければ、尚御質問に随ふて講究あるべし。

 或る人問ふ、御講述によりて本伝明文の表は一通り聞こえたれば、尚真理のある所を承り置きたし。まずこの伝にある下照比売神の哭き給へる声の風と共に響きて天に到るとあるは、『日本書紀』には「疾風神(はやてのかみ)を遣はし云々」とありて、これも風神なるべければ早く疾(と)きことは申すまでも無く、且つ風神を天御柱(あめのみはしら)国御柱命とも申せば天地の間を貫き通すの御神徳なるべく、且つこの時代未だ天地の相去ることも今日の如く遠くも非ざる時代と聞こゆれば、下照比売神の哭く声天に到りたりと云ふも然ることなるべけれども、未だ神典中天地の間に言語の通じたりと云ふことはこの他に無きことなれば聊か疑点無きに非ず。故にまずその理(ことわり)のある所を御弁明乞ふ。

 答ふ、これは御尤もの御疑点なり。然れどもかくの如きことに疑点の起こるは未だ人智を以て神を量るの意に出ずるものにて、かくの類は神代ならざるも間々あることにて、既に平田先哲の『玉襷(たまだすき)』に龍田大神を拝する条に引かれたる、師の門人・江戸南鍋町野山種麿が子の多四郎が十五歳の時、則ち文化十三年五月十五日のことなりしが、親族の方に行きて居(おり)たる間に天狗に誘はれて見えずなりけるを、父の種麿は我家の二階の上に斎き奉る神棚に向ひ、まず龍田の風神を祈りて申したるに、今天津神国津神に祈り奉ることを御耳彌高(いやたか)に疾く聞こえ上げ給へと云ふことを返す返す祈り、次に天津神国津神辞別(ことわけ)て幽事(かくりごと)知食(しろしめ)す大国主大神・産土神にその子・多四郎が天狗に誘はれたることを奏し、今早く我子を返らしめ給へと祈りけるに、その夜七ツ時の頃多四郎が至り居たる親族の家の家屋の中震動して、空よりこの家の戸口に多四郎を投げ付けて返したることあり。

 一旦は気絶したるも程無く正気に帰りて後に物語したるに、全く天狗に誘はれたるにて何れとも知らざる天狗の住居に至りたるに、風の随(まにま)に父・種麿が神に祈る声の聞こゆるを、天狗なども聞き取りてそれが為に返さるゝことになりたることを記し置かれたるなり。
 これは先哲在世中、眼前ににありしことなるが、天狗界は顕界より云へば一つの幽界に属するものにて、その里数の何程なりしやは知らざるも、父子の至情切なるに至り一心に神に祈り、自ずから言語までも幽通するに至りたるにて、全く風と共に響きたるは同じ理なり。 #0257【『幽界物語』の研究(27) -幽境に通じる神拝の詞-】>> #0518【扶桑皇典(48) -風の神-】>>

 然るにこの所の伝は後世と違ひ幽顕相通の太古なるに、下照比売神の至悲至哀の情を以て天若日子死たりと哭き給ひし声の天に通じざらんや。総て造化の真理中には遠近を問はず速達の神理を含めるものなるが故に、近時は人間の上に於ても万里速達の法も開けて或は電信機と云ひ、或は電話器と云ふが如きことありて、人間の肉体上よりしても万里の間一瞬に速達するに非ずや。
 これ等は皆器械によりて達するものゝ如くなれども、天地造化の真理中に万里速達の真理を含蓄せざれば行ふこと能(あた)はざるべし。然れば万里速達の真理は天地開闢の時より備はりたるものにて、器械有りて後初めて万里速達の真理を天地の間に生じたるに非ざることは三歳の童子と雖も知る所なるべし。

 然れば太陽系中、何れの所に向ふも造化真理の中にはこの速達の理は含蓄したるものなるは明らかなることにて、後世人間の上にさへ造化の玄妙を借り用ゆるの法を知ればかく玄妙の術あり。況(いわん)や幽顕相通の神代、天地往復自在の神等にしてこの玄妙なからんや。
 幽顕本(もと)一理なればこの理を以てこれを肉体の離れたる精神の上に及ぼして講究あらば、即今の人間と雖も精神所謂(いわゆる)魂徳の上にはこの真理玄妙自ずから備はりありて、神人不二なること疑ひ無しと云ふことも自得せらるべし。これを自得すれば人魂不死、神と成るべきものにて、己の精神は常に神に通じてあるものなりと云ふことも又明らかなるべし。

 然るに現世上の肉眼に見ゆる顕物に現るゝことのみを以て文明と信じ居る如き学問にては、到底造化の真理を窺ふこと難かるべく、造化の真理に適はんことは又最も難かるべし。故に余は常に明文の極度は到底哲学より以上神道を極め、精神、神に通ずるに至らざれば得て得べからざるものと信ずるなり。
 前に申し述べたる所を以て御講究あれば下照比売神哭く声、天に到る如きことは珍しからぬことにて、その理も明らかに了解せらるゝ所ならん。尚これをも疑ふものとすれば全く後世の人智を以て神明を測るものにて、相共に語るべからざるより外無きものなり。

清風道人

カテゴリ:天地組織之原理
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