日本古学アカデミー

#00875 2023.12.30
天地組織之原理(116) -皇産霊神の長子-

 


「故(かれ)、こゝに神産巣日御祖命(かみむすびみおやのみこと)に白(まお)し上げしかば、此(こ)は実(まこと)に我(あ)が子(みこ)なり。子の中に我が手俣(たなまた)より漏(くき)し子なり。故、汝(いまし)、葦原色許男命(あしはらしこおのみこと)と兄弟(あにおと)と為りて、その国を作り堅めよと答白(まお)したまひき。故、それより大穴牟遅と少名毘古那と二柱の神、相並(あいなら)ばしてこの国を作り堅めたまひき。然る後、その少名毘古那神は常世国(とこよのくに)に度(わた)りましき。故、その少名毘古那神を顕(あらわ)し白せりし所謂(いわゆる)久延毘古(くえびこ)は、今に山田之曽冨騰(やまだのそほど)といふ者なり。この神は足は歩かねど、尽(ことごと)く天下(あめがした)のことを知れる神なり。」

 こゝに挙げたる明文に「故、こゝに神産巣日御祖命に白し上げしかば」とあるは、久延毘古に問ひ給ふに「此は神産巣日神の御子・少名毘古那神なり」と答へたるによりて、久延毘古の云ふ如くなりや否やと高天原に坐す神皇産霊神に白し上げ給ふなり。
 次に「此は実に我が子なり。子の中に我が手俣より漏し子なり」とあるは、神皇産霊神より答へて告げ給へるに、実に我が子なりて、中でもこの子は我が手の俣より久岐(くき)落ちたる子なりと詔り給ふにて、他の古伝には少名毘古那神は皇産霊神の長子なりともある程の神にて、特に奇霊(くしび)なる徳の神に坐して、神名の「少名毘古」と云ふは、古は大小と多少とを通はしたるにて御神体の小さきより申し奉るにて、この神は皇産霊神の長子なりとあれば葦牙彦遅神(あしかびひこぢのかみ)と御同神なりと平田先哲も論じ置かれたることなれども、それは隠身神に坐す葦牙彦遅神の御本霊に非ず、必ずその御分霊のかく小さき神体の神と顕れ給ひしにて、何れの時に天降り給ひしと云ふこと伝へ無ければ知るべきに非ざれども、神皇産霊神の「我が手俣より漏し子なり」と告げ給ふを以て考ふれば、始めより最も小さき御神体と窺ひ奉らるゝを、この時波の穂より帰(よ)り来坐せるも鷦鷯(ミソサザイ)と云ふ小さき鳥の羽を衣服として来り給ひ、又この神の後に常世国(とこよのくに)に渡り給ふ時も『日本書紀』には粟の茎に弾かれて常世国に渡り給ふと云ふ伝あるを以て考ふるに、この神は小さき鳥と変化し給ふを常の御変体と成し給ふには非ざるかと窺はるゝ旨あり。

 如何となれば、粟の茎に弾かれ給ふとある伝なども後世人智の作為すべからざる古伝なるを思ふに、常世国に渡り給ふ時かく粟の茎に弾かれ給うは必ず小さき鳥と御変体坐して粟の茎に上り給ひ、その実を啄(ついば)みながら弾かれて渡り給ふ事と窺はるゝが故に、尚深く考ふるにこの神始め神皇産霊神の手俣より漏落ち給ふ時にも必ず小さき鳥と変化して天降り給ふには非ざるか。
 もし然りとする時は伊邪那岐・伊邪那美命の初めて淤能碁呂島に降り給ひ、美斗能麻具波比(みとのまぐわい)し給ふ時に鶺鴒(セキレイ)飛び来りて交道を教へ奉りしこと『日本書紀』に見えたるを、これは全く太古の伝なりとして平田先哲も成文に挙げられたる程のことなるに、この時は未だ実の鳥などのあるべき時に非ざるのみならず、この鳥空より来りたりとすれば、この時は高天原には皇産霊神の外には葦牙彦遅神と天之常立神の御両神の外無き時なるに、「長子」とあれば葦牙彦遅神にて、伊邪那岐・伊邪那美命に交道を示し給はんが為に小さき鳥と変化して皇産霊神の御手を上に坐したるを、神性の建き神なるが故に未だ皇産霊神の神勅をも待ち給はず、御手の俣より漏落ち給ひて両神に交道を示し給ひし以来、地球造化の神業を冥々の中より助け給ひ、外国にまでも回り給ひてこの時に至り、大国主大神の御神業を助け給はんが為に波の穂より又小さき鳥の羽を衣服としてその変体を示し帰り来り給ひし後に、又小さき鳥と成りて粟に上りて常世国に渡り給ふと見る時は、前後を照らしてよく聞こゆる事と考ふるなり。 #0323【『異境備忘録』の研究(8) -青真小童君-】>>
 然るに始めは鶺鴒とあり次は鷦鷯とあれども何れも小さき鳥なれば、その時の宜しきに随ひ何鳥に限らず随意に御変体坐すべからず。これは余(よ)も未だ思ひ定めたる説にも非ざれども、大に由る所あるものと考ふれば御参考までに意見を述べて識者の高論を俟つ。

 さて前に講じたる明文の次に「故、それより大穴牟遅と少名毘古那と二柱の神、相並ばしてこの国を作り堅めたまひき」とあるは、別に解を加へずともよく聞こえたる通りなり。次に「然る後その少名毘古那神は常世国に度りましき」とある「常世国」のことは次に云ふべし。
 『古事記』のこの伝は略伝にして、少名毘古那神のことは只その始めと終りとを伝へたるのみなれども、大国主大神と共に長く国土経営の事業を執り給ひし後、常世国には渡り給へることなれば、その伝の他書にあるをも悉(ことごと)く明文に挙げて講ずべきなれども、略解のよくすべからざることなれば、この次に『日本書紀』の一伝をのみ明文に加へて聊(いささ)かその欠を補ひ置くべし。
 次に「故、その少名毘古那神を顕し白せりし所謂久延毘古は、今に山田之曽冨騰といふ者なり。この神は足は歩かねど、尽く天下のことを知れる神なり」とあるは、前の講述に弁じ置きたればこゝには論ずるに及ばず。前の講述に合せて参考あるべし。 #0874【天地組織之原理(115) -久延毘古の神術-】>>

『日本書紀』曰く、「大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命と力を戮(あわ)せ心を一つにして天下(あめがした)を経営(つくり)給ふ。また顕見蒼生(うつしきあおひとくさ)及び畜生(けもの)の為に、則ちその病を療(おさ)むるの方(のり)を定む。また鳥獣・昆蟲(はうむし)の災異(わざわい)を攘(はら)はむ為に、則ち禁厭(まじない)の法(のり)を定む。」

 こゝに挙げたる明文は『日本書紀』の伝にて、『古語拾遺』にも同じ伝ありてその意は文章の上によく聞こえたる通り、大己貴命則ち大国主大神と少彦那命力を戮せ心を一つにして天下を経営し給ひ、尚蒼生を始め畜生の為に病を療するの方、又鳥獣・昆蟲の災異、彼(か)の『大祓詞』にもある如く昆蟲の災、高津鳥の災等を避くべき禁厭(まじない)の法をも定め給ひて、後世の為を量り置き給へる伝なり。
 この外にも所々に温泉を開き給ひ、又葦管(あしくだ)等を生じ給ひて未だ固まらざる国土を堅め給ひ、国土の経営粗(ほぼ)成るに及んで少彦那命は常世国に至り給ひしなり。尚委しくは両先哲の説に随ひ講究あるべし。
 さてこの伝にある如く医薬・禁厭等の術に至るまで大己貴命・少彦名命その祖神にして、皆後世蒼生の為かく神量り置き給へる神恩の広大なるを拝謝し奉るべきなり。

清風道人

カテゴリ:天地組織之原理
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