日本古学アカデミー

#00845 2023.7.03
天地組織之原理(86) -三種の神器の起源-

 


「これを以て八百万神、天安河原(あめのやすかわら)に神(かむ)集ひ集ひて、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)の子(みこ)(命以て)思金神(おもいかねのかみ)に思はしめて云々、天安河の河上(かわら)の天堅石(あめのかたしは)を取り、天金山(あめのかなやま)の鉄(はがね)を取りて、鍛人(かぬち)天津麻羅(あまつまうら)(命)を求(ま)ぎて(剣を作らしめ)、伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)に科(おお)せて鏡を作らしめ、玉祖命(たまのおやのみこと)に八尺勾璁(やさかのまがたま)の五百津(いほつ)の御すまるの珠(たま)を作らしめて」

 こゝに挙げたる明文に「これを以て八百万神、天安河原に神集ひ集ひて」とあるは聞こえたる通りのことなるが、この時には何れの神の命(みこと)以て集はしめ給ふにも非ず、八百万神自ずから神集ひ給ふなりと本居・平田両先哲の説ある如く、天照大御神の石屋戸(いわやど)を閇(た)て隠れ給ひし時なれば、八百万神はこれを愁ひて自ずから集ひ給ひ、如何にして大御神を石屋より出し奉らんと神量(かむはか)り給ふべきは勿論のことなり。

 平田先哲はこの時は八百万神自ずから集ひ給ふなれども、高皇産霊神も又集ひ給ひて神量り給ふなりと云はれたり。これはかくあるべきことにて、この次の明文に「思金神に思はしめて」或は「鏡を作らしめ」「珠を作らしめ」など皆命令の語あるものは、必ず八百万神に令を下し給ふ程の尊き神坐すべき理(ことわり)なること明文に明らかなれば、必ず高皇産霊神もこの所に集ひ給へる事と窺ひ奉らるゝなり。よく明文の語勢に心を付くべし。

 次に「高皇産霊の子」とあるは平田先哲の云はれたる通り「高皇産霊神の命以て」とあるべき所にて、「子(みこ)」とあるは「命以て」とあるべきを伝写などの誤りもあるべし。如何となれば、思兼神は火神の魂の御名・津速産霊神(つはやむすびのかみ)の神裔なれば、「高皇産霊神の御子」とあるべきに非ず。
 故に余は平田先哲の説に随ひ、この所の「子」の字は「命以て」と成文に改められしに随ひて講究の目的を示す為本文にも加へたるなり。

 次に「思金神に思はしめて云々」とあるは、高皇産霊神の命以て如何にして大御神を石屋より出し奉るべきやと思はしめ給ふなり。然る所以は御名の通り「この神、思慮智有り」ともある程の神なるが故なり。
 次に「云々」として明文を省きたるは、『古事記』には「常世(とこよ)の長鳴鳥(ながなきどり)を集めて鳴かしめて」と云ふ文あれども、これは石屋戸出御の所にあるべきを、錯簡なるべければ、その所の明文に加ふべきなるが故に省きたるなり。先哲の成文又然り。

 次に「天安河の河上の天堅石を取り、天金山の鉄を取りて」とあるは、剣・鏡等を作り給はん為の用に供し給ふなり。「天金山」とあるは「天香山」のことにて、この時神等の種々の物作り給ふ元材を悉(ことごと)く天香山より取り給ひしは深き理あることなるは先哲も論じ置かれたる通りにて、その天香山と云ふは第二期の講述に講じ置きたる通り火神の御体を大山津見神の神量にてかく山と成し置き給へるにて、迦具土神の御名より「かぐ山」と云ふ名は起こりしものなり。尚この事は深く講究すべき事なれば、一通り明文の表を講じ終りたる後合せて講究すべし。 #0809【天地組織之原理(50) -大山津見神の出顕-】>>

 次に「鍛人・天津麻羅(命)を求ぎて(剣を作らしめ)」とある「天津麻羅」と云ふは天目一筒命(あめのまひとつのみこと)の又の御名なれば、他の例によりてこゝにも必ず「命」とあるを、伝写の時に落としたるにもあるべし。故にこれを補ひたるなり。「鍛人」とあるは剣等を作り給ふが故にて、「求」と云ふはこの神を求め来りてと云ふ意なり。
 次に「(剣を作らしめ)」と補ひたるは、『古事記』は必ずこゝに落字あることは明文の語勢にて明らかなるを、『古語拾遺』に「天目一筒命、雑刀斧及び鉄鐸を作りたまひ」と云ふ伝ありて、その「天目一筒命」とあるは則ち天津麻羅命のことなれば、この時必ずこの神の剣を作り給ふこと明らかなり。

 然れども『古語拾遺』の文をその儘加ふる事とすれば、この次の「鏡」「珠」と二種の伝と文語の乱るゝが故に、『古語拾遺』の「刀」とあるのみを「剣」と改めて文を対したるまでなれども、剣のみならずその他の種々の鉄器をも作り給ふこと『古語拾遺』の伝に知られたり。
 かくの如くこの所の欠文を補へば本伝の意よく聞こゆることにて、この御剣故ありて八俣遠呂智(やまたのおろち)の尾にありしを、須佐之男命の御手に入りて終に三種の神器の一つとはなりしなり。既に余が同県人・上田及淵(しきぶち)氏もこの所は「剣を作らしめ」の字欠文なりと云へりと同氏の門人より聞きたることあり。このこと実ならば余が考へと同じなり。

 次に「伊斯許理度売命に科せて鏡を作らしめ」とある「伊斯許理度売命」とあるは、天香山命と御同神にして天糠戸神(あめのぬかとのかみ)の御子なりと平田先哲の説あり。この神の御名の伊斯許理度売命と云ふは、鏡を三度までも作り給へるにより鋳重(いしきり)の義ならんかと先哲の説あり。余は未だ考へ得ず。
 この時初めて作り給へるは小にして神等の御心に適はず、三度目に作り給へる八咫(やた)の御鏡神等の御心に適ひ給ひて、終に天照大御神の御魂代(みたましろ)とも成り、三種の神器の一つとして皇孫命降臨の時授け給ひし御物なり。
 次に「玉祖命に八尺勾璁の五百津の御すまるの珠を作らしめて」とあり。これは大御神の御装ひの所に専ら同じ文ありて、既に弁じたれば別に語解を加へず。これ又三種の神器の一つにして、今に至るまで皇上の御許を離れ給はざる御物なり。 #0832【天地組織之原理(73) -魂・心の別-】>>

 尚三種の神器のことは第五期皇孫命降臨の伝を講ずるに至りて委しく講述すべけれども、その三種のこの時に成りたるを知らしめんとこゝに一言を加へ置くのみ。尚神等は何が故にこの時かく御物を作り給へるかと云ふことを窺ふべきは、余が一家講究の旨とする所なれども、それはこの次々種々の物を作り給ふをも一通り講じ終りたる後合せて意見を講述すべし。
 『古事記』のこの伝は略伝にして、只三種の神器を作り給ふことのみを伝へられたるものなれども、この外にも八百万神の種々の物を作り給ふことは『古語拾遺』に多く伝はりたれば、聊(いささ)かこゝに『古語拾遺』の伝を明文に加へて『古事記』本伝の欠漏を補ひ置くべし。

『古語拾遺』曰く、「長白羽神(ながしらはのかみ)をして麻を種(う)へ、以て青和幣(あおにぎて)を為(つく)らしめ、天日鷲神(あめのひわしのかみ)津咋見神(つくいみのかみ)をして穀木(かずのき)を種殖(うえ)て、以て白和幣を作らしむ。」

 この『古語拾遺』の明文に「長白羽神」とある「羽」は布帛(はたもの)にて、次の伝にある「天羽槌雄神(あめのはづちおのかみ)」の「羽」と同じく羽衣の如き薄きを云ひ、「長」は布帛の長きを云ふならんとの説あり。この神は伊勢神麻績連(いせのかむおみのむらじ)等が祖神なれば然ることなるべし。
 又天日鷲神は平田先哲の説に、天日鷲翔矢命(あめのひわしかけるやのみこと)とも申せば、この神は弓を削り矢を作り木綿を作り給ふより日鷲と云ふ名を負ひ給ひけりと云はれたり。これは弓削(ゆげ)氏の遠祖と聞こゆれば、必ずこの時弓矢をも作り坐しけるを伝への欠けたるなるべし。
 「津咋見神」と云ふは如何なる由(よし)にか考へ得ず。平田先哲の説によれば多少この伝にも錯簡(さっかん)あるべけれども、この時必ず青和幣・白和幣又弓矢をも作り給ひし事と聞こえたり。

同書曰く、「天羽槌雄神に文布(あや)を織らしめ、天棚機姫神(あめのたなはたひめのかみ)に神衣(かむみそ)を織らしめ」

 この明文にある「天羽槌雄神」の「羽」は前に弁じたる如く布帛の羽衣の如きより羽と云へるにて、この神は倭文連(しとりのむらじ)の遠祖なれば然るべきなり。次の「天棚機姫神」は天八千々比売命(あめのやちぢひめのみこと)とも申す神にて、機織の業に功の神と聞こえたり。
 この時この神等の織り給ふは、天羽槌雄神は荒妙(あらたえ)を織り給ひ、天棚機姫神は和妙(にぎたえ)を織り給ふなり。これは平田先哲特に委しく論じ置かれたれば先哲の『古史伝』に就て講究あるべし。余(よ)は先哲の説に随ふものなれども、紙数限りあればこゝには只『古事記』明文の欠漏を補ふ為に聊か講究の目的を示すのみ。

同書曰く、「手置帆負彦(たおきおいひこ)狭知(さしり)二神をして、天御量(あめのみはかり)を以て大峡(おおがい)小峡(おがい)之杙(き)を伐りて瑞殿(みずのみあらか)を造り、兼(また)御笠及び矛盾(ほこたて)を作らしむ。」

 この明文にある「手置帆負彦神・狭知神」と云ふ御名の意は平田先哲の説に、「手置」とは手を布(し)く物を度(はか)るを云ふ。古へには総て手を以て度るが故に十握剣(とつかのつるぎ)、八握剣(やつかのつるぎ)、八握髭(やつかひげ)など云へるなり。
 又八咫鏡(やたのかがみ)の「咫」と云ふも皆手で度るなり。「帆負」は尋負(ひろおい)なりと云はれたり。次に「彦」は男神の称辞にて、「狭知」は度知(さししり)の義ならんとの説なり。然ることなるべし。
 「天御量」のことは、平田先哲は大神等の御神体の長(たけ)より御量りの起源は起こりたるならんとの説あり。手を以て小なるを量り給へば、大なるは全体の丈を以て量り給ふべき理もあれば然ることなるべし。委しくは先哲の説を見るべし。
 「大峡・小峡」の「峡」は山と山の間を云ふなり。「瑞殿」の「瑞」はミズにて清く美麗なるを云ふ。「殿(みあらか)」と云ふはミアリカと云ふことにて在所の意なり。「笠」「矛盾」は聞こえたる通りにて、この明文の意は粗(ほぼ)かくの如きことなるを、この時に神等のかく作り給ふは如何なる事と云ふ理は次に合せて講究すべし。

清風道人

カテゴリ:天地組織之原理
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