日本古学アカデミー

#00760 2022.2.8
天地組織之原理(1) -序文-

 


(清風道人云、この『天地組織之原理』は、美作一宮・中山神社の神官を勤められ、『神道宇宙観略説』等を著された国学者・美甘政和(みかもまさとも)先生による論考です。 #0210【神道宇宙観略説(1) -宇宙の大精神-】>>
 美甘先生は宮地神仙道道統第二代・宮地厳夫先生とも交流があり、この著を上木されるに際して厳夫先生に序文を依頼されたのですが、厳夫先生は到底自分の如き者の序文を付すべき次第にあらずと謙遜して固辞され、美甘先生の見識には非常に敬服されて深くその学識と道骨を推称されていました。自著の序文を要請するというのは、これもまた並々ならない傾倒の結果ですが、両者の学風と道念の相通が窺われます。)

 夫(そ)れ人は天地の間に生を稟(う)け天地の間に生活するものなり。故に政治に教法に凡百(ぼんぴゃく)の事、皆天地造化の原理に法(のっと)らざるべからず。
 然るにその天地の間に住する人として、この天地は開闢の始め如何なる理由ありて如何なる組織に成りたるものと云ふ大原理を発見せざる間は、たとへ天文地理の学科によりて今日の現象を見るの眼ありと雖(いえど)も、未だ真の文明を称ふることは許すべからざるものなり。

 然れば何等の学科に就てこれを求めんか、各国共に多少天地開闢の伝へ無きには非ざれども、未だ道理に訴へて全く信じ措くべき説を聞かず。独り吾日本国は開国以来万世一系の皇位なるを以て、国体と共に天地開闢より神代の遺伝を存するもの他各国の比に非ず。故に天地組織造化の原理を求めんと欲すれば、吾が太古の伝説を除き他にこれを求むべきもの無し。 #0221【神道宇宙観略説(12) -日本の神典は世界無二の実典-】>> #0541【日本は神仙往来の要路(1) -本立ちて道生ず-】>> #0542【日本は神仙往来の要路(2) -神人雑居・無為の治世-】>> #0543【日本は神仙往来の要路(3) -上古史は幽事の伝承-】>>

 然れば文化日新の今日、吾神国にして最も講ずべきは吾神典に非ずして何ぞや。偶々(たまたま)本居・平田両先哲の説ありと雖も、先哲在世の昔日(せきじつ)に在りては本伝の講究未だ創業の際講じられたるものにして、本辞解釈の如きは盡(つく)されたりと雖も、真理を論ずるに至りては、その説を改むるに非ざれば適せざるもの無きに非ず。

 政和、不肖なりと雖も天地組織之原理を発見せんと欲して、神典の明文に随ひ、道理に訴へてこれを講究し、天地分判の真理は素より地球海底内部の組織如何の原理、且つ太古の天象と現今の天象に一大変革のありし理由を始めて、政治道学その他万物の因て起る所の原則に至るまで、聊(いささ)か発見したりと自信するものあるを以て、同学と他学とを論せず遍(あまね)く世の識者に質(ただ)し、その教を受けんが為、こゝに自家発見の説を挙げて『天地組織之原理』五巻を著す。
 識者、幸ひにその誤りを叱正(しっせい)して益々真理の蘊奥を窺ひ、内外人の別無くこれを信ずるに至らしめんことを懇望の至りに堪へざるなり。

 吾日本国をして太古より神国と称ふるは、凡そ日本の国土に生を稟けたる人として知らざる者有るべからず。然れば何が故に吾国を神国と称ふと問はゞ、何等のことを以てこれに答へんとするか、必ずや太古神代にありて神祇この国土を経営し給ひ、天祖皇孫に勅して降臨坐さしめ給ひし爾来、万世一系の皇位にして君臣共に神代より連綿相承の国なるが故なりと答ふるなるべし。 #0477【扶桑皇典(7) -天孫の降臨・上-】>> #0478【扶桑皇典(8) -天孫の降臨・中-】>> #0479【扶桑皇典(9) -天孫の降臨・下-】>>

 然るに近時に至りては、時弊に流されその神国なる所以(ゆえん)を忘るゝ者多きが如し。これ吾国体に於て大害の兆(きざし)なり。如何となれば、時流者偶々吾神典を一読するも、その意の解すべからざるを以て忽卒(そうそつ)一言の下に論じて曰く、「吾神典に所謂(いわゆる)神国の伝は全く上古男女両人初めて吾日本の国土を発見し、その荒蕪(こうぶ)の地を開拓したる経営の事業を国生みと云ひ伝へたるに過ぎず」と論じ、或は「両神国生みの伝は国民を生むを云へるものなり」と説き、又或は「神典なるものは上古の小説にして比喩を以て作為したるものにて、彼(か)の俵藤太秀郷(たわらのとうわひでさと、藤原秀郷)の蜈蚣山(むかでやま)の昔話に類するものなりものなり」と評し、甚だしきに至りては「神典なるものは上古の英雄が奇事を説きて神に託し、野蛮の民を治むるの具に用ひたる策略の書なり」と云ふに至る。

 前三者の如きは太古の伝説を見るの具眼無き者として暫くこれを怒するも、英雄愚民を治むるの具に用ひたる作為なりと云ふに至りては、歴世天皇の御徳に関するものにして不倶戴天(ふぐたいてん)赦すべからざる放言なり。
 かくの如き妄説行はるゝ今日なるが故に、自ずから神国の臣民たることを忘れ、終にその心意を問へば外国人と異なること無きに至る。今にしてこの弊を矯正せずんば、吾一系正統の皇位は日本の習慣なりとして君臣の大儀も只に習慣と法律の上に存して精神の上に存せざるに至らん。

 この悪弊をして漸々(ようよう)養生すれば、眼前に大害無きも終には神世相承の国体に及ぼし、如何ともすべからざるに至らん恐れありて、この幣をして未だ盛んならざるの今日に挽回せずんばあるべからず。
 これを挽回せんと欲するの道他無し、吾神代の遺伝を講究し神典の何物たることを知らしむるにあり。余(よ)や又神国の臣民たるを以て壮年の頃より本居・平田両先哲の遺教を奉じ神代の遺伝を講じ、間々論ずべき所あるを以て止むことを得ず、この講述を成すに至りしなり。

 先に本居・平田両先哲の記史両伝(『古事記伝』及び『古史伝』)の著述ありしによりて、余が如きも聊(いささ)か神典の真理を窺ふ端緒を得たるは全く先哲の賜物なり。
 然るに両先哲の説と雖も未だ時運の熟せざる昔日にありて、神典の講究は創業の際なるを以て、今日に至りては天地組織の大原理に於てはその説を改めざるを得ざるものあり。故に余これを徒弟に嘱して自家の意見を筆記せしむ。

 記中間々先哲の説に反するものありと雖も忌憚する所無きは、先哲に対するに不遜の憚りありと雖も両先哲の著書中、「後の人よく考へ正してよ」と幾回か後学に依託(いたく)し置きたり。これ則ち先哲の遺言なれば、後学の徒は必ずこの遺言に対する勉めなかるべからず。
 然るに後学者の多くは先哲の旧説を墨守(ぼくしゅ)するを以て勤めとするが如き傾向にあるにより、偶々神典を講ずるも国学者流の名を以て時流者に愚弄せらるゝに至る。これ愚弄する者の罪に非ず、同学者勉めざるの罪なり。

 神典の講究にして天地の真理に合するまでの確論あらば、時流者の信用は勿論洋人と雖も又これを信ずるに至らん。故に吾邦人は相共に天地に貫く真理を発見するに至るまでこの伝を講究すべきなり。然ればたとへ先哲の説に反するも、その不可とする所あらば必ずこれを論究し、その説を改むるを以て先哲の遺志を継ぐ者と云ふべし。
 先哲の深意は只に神典をして後世益々明らかならしめんとするにありて、自家の説を立てんとせらるゝものに非ざることは、凡そ記紀両伝を拝読したる程の人に於ては必ずこれを知らるゝならん。

 然れば後学者はこの旨を体して益々この伝を講ぜざるべからず。余も又先哲の遺志を継がんと欲する者なれば、自家の説を維持せんと欲するが如き野心あるに非ず。只神典の講究は旧説を墨守するに止まらざるを示し、今の時に当りて改正を加ふべきを忠告すると共に、余が一家説の叱正(しっせい)を乞はんとするの素志なれば、この筆記を一読あらん。
 諸賢は余が説の至らざるを補ひ給はるは勿論、その誤りを叱正して益々神典の真理蘊奥を窺ひ、先哲の後人に依託せられたる遺言をして空しくせざらしめんことを。

 然るに近時世の風潮と察するに、神武天皇以後に於ては御記の講究大(おおい)に振り起し、高論卓説を聞くことを得、雀躍の至りなりと雖も、神代のことに至りては暫く措きて問はざるものゝ如く、偶々二、三の説無きに非ざるも、或は言詞の細末(さいまつ)を論じ、或は一、二の考証を挙ぐるに過ぎざるもの多くして、天地組織の大綱に至りては一向先哲の説を墨守するものに止まるものゝ如し。こゝに於て両先哲の後学に依託せられたる遺言空しからんとす、慨嘆の至りに耐へざるなり。

 近時に至りては洋人をも吾太古の伝説を拝読し、これを評しこれに註解を加ふるにあらずや、今にして先哲の遺志を継ぐにあらずんば、何を以てか天地組織の真理を明らかにし、吾国体の根拠を確かめんや。これ独り国学者のみに放任すべきにあらず。凡そ日本臣民たるものに於ては何等の学派を問はず、一日もこの伝を講ずることを忽ちにすべからざるものなり。

 それ菊花は千歳(せんざい)のものとし、その根の培養無くとも凋枯(ちょうこ)の愁ひ無きものと云はんか、これをその根を培養して天壌無窮年々歳々の盛花を見ると何れぞ。然るに神代のことを措きて問はざるは、根を断ちて国体を摘花(てきか)たらしむるに異ならず。
 こゝに人あり、或は云はん、「神武天皇以後と雖も三千年の久しき習慣あり、たとへ神代のことを講ぜざるも国体に於て何かあらん」と。これ深く思はざるの甚だしき者と云ふべし。習慣の久しきは一時に変ずべからずと雖も、その根を培養せずんば終に凋枯を免るべからず。故にこの時に当りて益々国体の根源を培養せんずんばあるべからず。

 これを培養せんと欲すれば神代の伝を講ぜざるべからず。神代の伝にして天地に貫く正論あらば、何ぞ国体の尊厳を維持するに苦しむことかあらん。然るも尚これを等閑(なおざり)に付し、旧説を墨守するに止まるものとすれば、到底時流理学の為に厭せられ、国体の起源確かざるのみにあらず、吾神道の後栄は望むべからざるに至らん。
 天地と共に開けて万世の今日に貫く大道は独り吾神道あるのみ。その大道を吾国に存する所以のものは又吾神典あるが為なり。故に余、不肖を顧みずその真理を発見せんと欲して神代を五期に別ち、一家の意見を吐露して識者の訂正を仰ぎ、併せて諸家の高論を喚起せんと企て、この不遜の言を発する所以なり。幸に万怒を乞ふ。

明治二十二年十二月   美甘政和

清風道人

カテゴリ:天地組織之原理
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