日本古学アカデミー

#00746 2021.11.16
奇蹟の書(21) -霊感筆記-

 


 霊感筆記は自動書記とも称せられ、交霊上の主要な現象である。死者の霊が霊媒の手を使用して文章を綴り、絵画などを描いて思想の交通を為すのであって、霊媒の磁気を使って幽霊姿を造ったり、または霊媒の内声を借りて言語を為すよりも容易な点があるらしい。尤もそれも霊次第のことで、すべての霊が皆その通りであるのではない。

 霊感筆記の最中を写真に撮った場合に、腕の先に光明が集まったのや、鉛筆なりペンなりの先端から発光してゐるのが映ったものもある。
(一時我国に流行したコックリやプランシェットだのは、その原理は憑依霊の能力である。科学張りの心理学者輩は、コックリやプランシェットを使う人の手の皮膚を通じてその潜在意識が書かすとてもつまらない心理遊戯だと説いた。この臆断的妄語は現代の多数人を征服してゐる。)

 こゝに注意すべきは、霊感筆記は半霊媒質の未熟者によく発生することがあるが、その多くは信用のならぬ文語である。もしそれ等を公にするならトンでもないことになる。
 一八七四年四月八日の夜に、英国の牧師ステートン・モーゼスが両親と一緒に居るときに現れた霊感筆記に、レクトルなる一個の霊がモーゼスの母と生前に知己であったファニーと云ふ婦人の霊を仲介すると云って、長々と問答態の記述をしたが、その文句の中に「彼女はかく言ふ、自分は生前に肉体欲を充たすことのみに心を馳せたので、進歩の機会を多く逸した。自分の進歩はこれからだ。(中略)自分はヌーリーを感化したけれど、彼女に接近することが出来ぬ。吾々が人間に伝へんとする使命を、君が慎重に伝へて下さるなら大に喜ぶ。真に吾等の仲間の喜びである。天帝願はくば貴下を幸ひし給へ。レクトル」とあり、この筆記から霊感筆記が研究者の間に重要視されるに至った。

 クルークス博士が自宅で行った交霊会での霊感筆記の記述は趣がある。曰く、鉛筆と二、三枚の紙がテーブルの中央に置いてあったが、鉛筆は急に起き上って飛びかけたけれど、自ずから抑制して徐(おもむろ)に前進し、紙の所へ来て一旦倒れた後、直ぐに起き上ってまたも倒れた。三度目には結果が不良であったから、同じテーブルの一方にあった小さい木製の木摺(きずり)が鉛筆の方へ滑って来て二、三インチほど頭を上げたら、鉛筆も立ち上がって自身で木摺に寄って行き、一緒になって紙面にものを書く努力をした。両者は一旦転倒したが再び協力が行はれた。三度目をやってみてから木摺は諦めをつけて元の場所へ返り、鉛筆は紙の上に横ざまにグタリと倒れたまゝでゐた。今しがた鉛筆の書いた文句を見ると「私達はお望み通りにしてみたが、力が尽きてしまった」と書いてあった。

 燈火の下で数人の実験者と共に科学界の権威たるクルークスほどの人が、自分の書斎で真実な試みの下に行はれたこの超科学的な活動に、詐欺や幻覚や虚言だと疑ふべき仮定がどうして潜入する隙があらう。
 それでも世の反霊派だの懐疑派だのゝ学者は、クルークスほどの人間が何かの見誤りを真面目くさって発表してゐるであらうとて、事実を認めなかった。

清風道人

カテゴリ:奇蹟の書
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