日本古学アカデミー

#00702 2021.2.25
仙去の玄法(1) -日本武尊の尸解-

 


(清風道人云、この「仙去の玄法」は、宮地神仙道道統第四代・清水宗徳先生(道号・南岳)が、昭和三十年十一月三十日及び昭和三十一年一月三十一日付の神仙道広報誌に掲載された論稿です。 #0382【水位先生の門流(4) -道統第四代・南岳先生-】>> )

 人皇第十二代・景行天皇には二大神人が側近に侍し奉ってゐた。皇子・日本武尊と武内宿禰公である。(精確に申せば、先代・垂仁天皇の御宇(ぎょう)、伊勢国五十鈴の川上に皇大神宮を斎(いつ)き給ひ、創めて斎宮を立て給ひて雄略天皇の二十二年に至るまで凡そ四百八十三年間に亘りて天照大御神の御杖代(みつえしろ)として留まり給ひ、五百余歳を以て仙去せられし大神人・倭姫命を加へて三大神人と申し上ぐべきであるが、倭姫命は専ら大御神に側近奉仕せられし関係上、こゝには日本武尊、武内宿禰公の二神人と称し奉るのである。)
 この中、武内宿禰公の御上に就ては従来若干言及し奉ったことがあるので、本篇は方全先生の御論稿を主として神人・日本武尊の御行蔵に就て神仙道の特殊な角度から御蹤迹(ごしょうせき)の片鱗を窺ひ奉らんとするものである。 #0388【『本朝神仙記伝』の研究(6) -倭姫命-】>> #0389【『本朝神仙記伝』の研究(7) -日本武尊-】>> #0391【『本朝神仙記伝』の研究(9) -武内宿禰-】>>

 日本武尊は景行天皇の十二年の御誕生であるから武内宿禰公より九年の御年少に当る(武内宿禰公は景行天皇三年の御生誕)。而して尊は御年三十歳を以て尸解して仙去し給ひ、宿禰公は景行、成務、仲哀、神功、応神、仁徳天皇の御六代に棟梁の臣として仕へ奉り、三百十八歳を以て仙去し給ひ(倭姫命は武内宿禰公仙去の後、更に仁徳、履中(りちゅう)、反正(はんぜい)、允恭(いんぎょう)、安康(あんこう)、雄略天皇に至るの間、垂仁朝より十一代四百八十三年に亘りて皇大神宮の斎宮に留まり給ふ)、その御肉身を現界に留め給ひし御在世年数に至りては余りにも対比的に感ぜられるが、それぞれに御使命あってのことで、遠く深き天際の御幽政の任々に天定の御使命を果たされたものと窺ひ奉るのである。

 日本武尊は御幼名を小碓尊(こうすのみこと)、又の御名を日本童男(やまとおぐな)と申し、景行天皇の皇子として御生誕になったが、同天皇の十二年、大碓皇子と同じ胞(えな)にて双児として生れられた。天皇異(あやし)みて碓の上に誥(たけ)び給ひしによりて、この二皇子に大碓・小碓と名付けられた。幼にして雄略の気有らせられ、長じて容貌魁偉(かいい)、身長一丈あらせられ、力よく鼎(かなえ)を扛(あ)げ給ひしといふ。

 御年十六にして熊襲(くまそ)を撃ち給ひしを始め、その神武の御行蔵は記紀に伝ふる如くであるからこゝにこれを省くが、天皇の勅の中に「今、朕、汝(いまし)の人となりをみるに身体長大、容姿端正、力よく鼎(かなえ)を扛(あ)ぐ、猛(たけ)きこと雷電(いなづま)の如し。向ふ所前なく、攻むる所は必ず勝つ。即ち知る、汝は形は則ち我子なれども実(むざね)は則ち神人(かみ)なり。これ寔(まこと)に天神、朕が不叡にして且つ国の平らかざることを愍(あわれ)み給ひて、天業を経綸(おさ)め、宗廟を絶たさゞらしめむが為に降し給へることを。又これ天下は則ち汝が天下なり、これの位は即ち汝の位なり」と仰せられてあるところより推しても、如何に尊が神異に坐せしかを知るに足るものがある。

 まことに天皇の仰せられ給ひし「形は則ち我子なれども実は則ち神人なり」とある如くで、況(いわん)や至尊の皇子として生れ出で給ひし神人の御本身こそは、想ひ奉るだに畏き極みに拝し奉る次第である。
 尊は御東征の途次(とじ)、まず伊勢国に至り大神宮を拝し奉り、御叔母・倭姫命に見(まみ)えて御神慮を伺ひ、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を受け給ふたが、この時、神人・倭姫命より種々の神法を相伝せられたことは容易に推量し奉り得ることで、御東征の帰途、能褒野(のぼぬ)にて尸解し給ふ事と御関係ありと考へられるのである。

 尊は御尸解後、白鳥と化して御昇天されたと伝承されてゐるが、これは尊の神術を以て一時形を白鳥に変化されて飛去されたまでのことで、彼(か)の大年神が鶴と化して上天より飛来され、櫛八玉神(くしやたまのかみ)が鵜と化して海底に入られたのと一般で、所謂(いわゆる)神変自在の御徳を以て禽獣虫魚の形に至るまで臨機応変、心の儘にその御形を変ぜられるのであって、これを転生と解しては誤りである。
 転生といふは人体を転じて禽獣虫魚はもとより石にさえも変ずるので、所謂(いわゆる)正身正味に本質的に異形を稟(う)け異物と成るをいふので、神人仙真がその玄法神術を以て一時的に鳥獣に変化し、時あって再び本身に還るの類とは根本的に相違するのである。

 この転生は転化の気といふに当って俄然として本身を変じて異物と転ずるので、(宮地水位)先師は「この転化の気と云へるものは、地気に交りて起こるあり、水に交りて発するあり。この転化の気に触るゝ時は、俄然にその性を変じて異物となる。その気(変化の気)に種々ありて、鹿と成る気も鳥と変ずべき気も百端ある中に、多きは石に変化する気は最もあるなり。木の石と変じ、人の石と化すもこの気に触れて化せらるゝなり」と論じて居られるが、造化の微妙といふべきで、この頃しきりにいはれる突然変異といふ現象も、この転化の現象の親類筋位に当るものかも知れない。 #0275【『幽界物語』の研究(45) -人霊の行方-】>> #0300【怪異実話(16) -石に成った人のこと-】>>

 尸解はかゝる転生の化などゝ同一視せらるべきものでなく、道を得たる道士が性命の期至りて一度死し、死するや否や法術によりてその屍を解消して別の玄胎に移り、その胎を以て神仙界に遷入するをいふので、転化の気などゝは全く無関係なものであり、その玄胎も尸解した肉体の体躯面貌と同様なものである。(但しその体は肉体とは比較にならぬ霊妙性を帯び、変化自在の徳を具へ、玄妙なる神仙界の幽真生活に適応せる体を具備するに至るのである。その詳説は後章の補説尸解法の条に譲る。)

清風道人

カテゴリ:仙去の玄法
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