日本古学アカデミー

#0063 2010.10.31
幸福な人生をおくるために

 


 人間として生まれてきた以上、「幸福になりたい」という想いは誰もがもっているはずです。その「幸福」とは各個人によって異なり、また時と場合によっても変わるでしょうが、およそ人間の幸福として最も根本的なものは「寿」と「福」でしょう。

 「寿」とは一言でいえば、健康に恵まれ命長く、無病息災に天寿を全うすることで、誰もが念願するところです。わたしたち人間は、普段はそれほど「健康」というもののありがたさを感じていませんが、いったん病気におかされると「健康」というものがどれだけありがたいものかをつくづく考えさせられます。天が生命をわたしたちに与えて、この地上で生きることを許された以上、わたしたちはこの天授の生命を、生涯の最後の一瞬まで支障なく、平らけく、安らけく、健やかに生き抜くべき徳を与えられており、これを「寿徳」といいます。「徳」は「はたらき」という意味で、つまり「寿徳」とは寿(いのち)の徳(はたらき)です。
 たとえば、80年の天寿を与えられて生まれた人も、寿徳を失ってしまうと、惜しくも50年で没し、あるいは30年で病死する場合があります。また、不慮の災難にみまわれて一瞬の間に生命を失ってしまうのもこの寿徳を失うからで、寿徳が完全に発動されているかぎりは健康を蝕(むしば)まれることなく、急病や不慮の災難にみまわれて生命を失うというようなこともありません。つまり、幸福な人生をおくるためには、自らにそなわっている生命力を認識し、それを強く守りとおして、最大限に寿徳を発動させることが必要です。

 また「福徳」とは、人が生活していく上で必要な環境を作り出す「はたらき」で、一言でいえば、衣食住や財産などの恵みを受ける徳です。古いことわざで「お天道様と米の飯はついてまわる」といいますが、人間一人の生命を支えるためについてまわる衣食住や分相応の財は「福徳」の現れで、天授の生命あるところには、必ずその生命を支えるために必要な「福徳」が出現します。
 いかに健康で長命を得ようとも、衣食住財の生活苦に陥って一時も安らぐことがなく、やることなすことうまくいかず、この世の苦労を一身に集めたような不運の生涯をおくることは、人間本来の道に反するものです。これは要するに「福徳」の発動が覆い隠されているからで、生命を活かせていく根元的な力が正しくはたらいていない状態といえます。

 天地のうちに人間一人が生きていくということは、天地の一角に一つの「生きるはたらき」を発現していく相(すがた)であり、この地上に一人の人間として生を享(う)け、肉体を与えられたからには、誰もが「寿徳」「福徳」という「生きていくはたらき」を与えられているはずであり、これは生成化育(自然が万物を生み育て、宇宙を造り上げていくこと)を実相とする宇宙の真理からみても極めて当然のことといえます。 #0059【人類の祖先は本当に猿類か?】>>

 それでは、どうすれば寿徳と福徳を最大限まで発動して、天授の幸福をぎりぎりまで受けることができるのでしょうか。もちろん、「人事をつくして天命を待つ」ということわざがあるように、人間的努力を怠っていては到底無理な話であり、ここで言及するまでもありませんが、たとえば治病、健康といった問題に関しても、肉体の奥に潜んでいる根元的な偉大な力について、世の人はあまりにも無関心です。

 医学では、治病の根元力となるこの神秘な本然(ほんねん)の力を「自然治癒力」と呼んでいますが、それは「寿徳」のごく一部のはたらきを側面的に見ているに過ぎません。古来、釈迦やキリスト、空海などが行った治病の奇跡は、この寿徳の神秘の力を最大限に発揮させたもので、それが時間的にきわめて速く効果を収めたところから奇跡と呼ばれました。

 また福分の場合においても、人並み以上に働いて努力を尽くしても一向に成果があがらず、苦労に苦労を重ねている人がいるかと思えば、やることなすことトントン拍子に成功し、たちまち人並み以上の財産と地位や名誉を手に入れて、「福のある人」とうらやまれる人もいます。その因縁するところは深く遠く、簡単に結論づけることはできませんが、これは「福徳」が覆い隠されてうまく発動しない人と、「福徳」の発現がスムーズに行われている人との違いであり、常識的科学的な人間の論理では到底手が届くところではありません。

 宇宙間には生成化育のはたらきが充満しており、これが人間に宿って「寿徳」と「福徳」になります。そしてこれらの霊徳が、宇宙の分身ともいうべき人間の生涯において「生きていくはたらき」として現れる場合、その内面の奥深い原動力は、天地とつながりをもつ神秘な霊徳に発しているという事実を認めなければなりません。そしてこの霊徳は、誰にでも備わっている人間本来のはたらきであり、知る、知らないに関わらず、その人の生涯を支配する「運命の潜在力」です。もし明確にこの力の存在を自覚して、この「運命の原動力」を最大限に活用するならば、幸福で有意義な人生をおくることは誰にでも可能なことでしょう。

 人が生きている間は常に呼吸を続けていますが、この呼吸の方法が少なからず「寿徳」や「福徳」の発動に影響を及ぼすことが古来より伝えられています。 #0009【生命が宿る瞬間】>> #0027【ビッグバン以前の宇宙】>> #0028【霊・気・質の関係】>> #0050【風神の出顕】>>

清風道人

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